カテゴリ: 赤煉瓦
【マンホールの蓋には】下を向いて歩こう。中央区のカラーマンホール蓋【テロワールがある!】③
【マンホールの蓋には】下を向いて歩こう。東京都編【テロワールがある!】③
【マンホールの蓋には】犬!縁!坂!ハチ公は今も道玄坂で上野教授を待っている【テロワールがある!】②
マンホールである。
日曜というのに渋谷くんだりでお仕事。
渋谷は年に5〜6回はお仕事で訪れるのですが、赤煉瓦はもちろん、お茶の水博士のマンホールなどもあるわけもなく、と思いきや…。

↓普段働いてる有楽町〜銀座界隈にはないマンホール蓋を道玄坂に発見。
中央部に「DOG-EN-SAKA」のアルファベット。

道玄坂(どうげんざか)なので、本当は「DOGENZAKA」が正解ですが、そんなことは言いっこなし。
「DOG」「EN」「ZAKA」の「DOG」はもちろん犬、ハチ公のことなら、マンホールに無数に並ぶ、歩く人型は東京帝国大学の上野英三郎教授がモデルでしょうか。
そして、よくマンホールを見ているとハチ公もいるではないですか!

これ↑わかりますかね。右半分をよく見て下さい。
本物のマンホールを見ればすぐに気づきますが、画像だとわかりにくいかもしれません。
彫られた人型に対して浮いてる部分がハチ公です。
他にも何か隠されているかもと、やりたくなかったけどネット検索。
すると「首輪をしているハチ公」が一匹、「しっぼを巻いてるのも一匹」いるとか。
確かに右下から二番目の真ん中のハチ公が、首輪してます。
「尻尾巻き」も左上二番目のハチ公の尻尾が確かに巻いています。↓

しかし、こんな遊びが渋谷のマンホールに秘められていたとは。
というわけで、赤煉瓦と並行して急速にマンホール蓋に興味を持ってしまった私は、きっと明日から下を向いてノロノロ歩くのでしょう。
日曜というのに渋谷くんだりでお仕事。
渋谷は年に5〜6回はお仕事で訪れるのですが、赤煉瓦はもちろん、お茶の水博士のマンホールなどもあるわけもなく、と思いきや…。

↓普段働いてる有楽町〜銀座界隈にはないマンホール蓋を道玄坂に発見。
中央部に「DOG-EN-SAKA」のアルファベット。

道玄坂(どうげんざか)なので、本当は「DOGENZAKA」が正解ですが、そんなことは言いっこなし。
「DOG」「EN」「ZAKA」の「DOG」はもちろん犬、ハチ公のことなら、マンホールに無数に並ぶ、歩く人型は東京帝国大学の上野英三郎教授がモデルでしょうか。
そして、よくマンホールを見ているとハチ公もいるではないですか!

これ↑わかりますかね。右半分をよく見て下さい。
本物のマンホールを見ればすぐに気づきますが、画像だとわかりにくいかもしれません。
彫られた人型に対して浮いてる部分がハチ公です。
他にも何か隠されているかもと、やりたくなかったけどネット検索。
すると「首輪をしているハチ公」が一匹、「しっぼを巻いてるのも一匹」いるとか。
確かに右下から二番目の真ん中のハチ公が、首輪してます。
「尻尾巻き」も左上二番目のハチ公の尻尾が確かに巻いています。↓

しかし、こんな遊びが渋谷のマンホールに秘められていたとは。
というわけで、赤煉瓦と並行して急速にマンホール蓋に興味を持ってしまった私は、きっと明日から下を向いてノロノロ歩くのでしょう。
【マンホールの蓋には】お茶の水で、お茶の水博士に会った。【テロワールがある!】①
東京医科歯科大を目掛けて…ではなく別の大学のお仕事でお茶の水くんだりへ。

東京医科歯科大病院、立派です。白い巨塔です。
東工大との統合で名前がかわります。「東京医科歯科大」が残るわけないですから。
楽器の店が異常に多いお茶の水は、大学時代に音楽大好きな友だちに強引に連れ込まれた記憶があるくらいで、あまり馴染みはありませんでした。
後楽園ホールの水道橋や、古書店ひしめく神保町はちょくちょく行ってましたが。
社会人になって、大学生・教育関係の仕事をするようになってから、お茶の水にも年に1〜2回訪れています。

この歩道を歩いていたなら、気づかないことはないと思うのですが…。
〝それ〟は明治大学の前にあるのですが、今まで気づきませんでいた。
気づかないわけがないので、奇跡的に〝それ〟の近くを通っていなかったのかもしれません。
車で来るときは駐車場に入るので、気づかなくて当然ですが。
駅から歩いて明治大学に出入りするときは〝それ〟の手前から、お茶の水駅からの往復では気づかなかったのでしょう。

…これは、ここだけにあるのか?
「お茶の水」に引っ掛けてお茶の水博士というのはわかりましたが、アトムやウランちゃん、あるいはプルートゥみたいな超大物もこの近辺に潜んでいるのでしょうか?
魔神ガロンとかいたら、結構な感動です。
半径50メートルくらいを探しましたが、お茶の水博士は一人ぼっちのようでした。
うむむ、マンホール蓋か。
マンホール蓋。エリアによって、なかなか個性がありそうです。

東京医科歯科大病院、立派です。白い巨塔です。
東工大との統合で名前がかわります。「東京医科歯科大」が残るわけないですから。
楽器の店が異常に多いお茶の水は、大学時代に音楽大好きな友だちに強引に連れ込まれた記憶があるくらいで、あまり馴染みはありませんでした。
後楽園ホールの水道橋や、古書店ひしめく神保町はちょくちょく行ってましたが。
社会人になって、大学生・教育関係の仕事をするようになってから、お茶の水にも年に1〜2回訪れています。

この歩道を歩いていたなら、気づかないことはないと思うのですが…。
〝それ〟は明治大学の前にあるのですが、今まで気づきませんでいた。
気づかないわけがないので、奇跡的に〝それ〟の近くを通っていなかったのかもしれません。
車で来るときは駐車場に入るので、気づかなくて当然ですが。
駅から歩いて明治大学に出入りするときは〝それ〟の手前から、お茶の水駅からの往復では気づかなかったのでしょう。

…これは、ここだけにあるのか?
「お茶の水」に引っ掛けてお茶の水博士というのはわかりましたが、アトムやウランちゃん、あるいはプルートゥみたいな超大物もこの近辺に潜んでいるのでしょうか?
魔神ガロンとかいたら、結構な感動です。
半径50メートルくらいを探しましたが、お茶の水博士は一人ぼっちのようでした。
うむむ、マンホール蓋か。
マンホール蓋。エリアによって、なかなか個性がありそうです。
元戒厳司令部がリニューアルオープン。〜帝冠様式とはデストロンの怪人なのだ!〜
1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校らが決起。
首相官邸や警視庁、政府首脳・重臣の邸宅などを襲撃し、大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実らが殺害されてしまいます。
決起軍は帝都・東京中枢を占拠。
事件発生の翌日、2月27日、天皇の名のもと東京市内に戒厳令が施行されました。
このとき、戒厳司令部が置かれたのが2年前に竣工したばかりの軍人会館、のちに九段会館と呼ばれることになる建物でした。
1930年代、鉄筋コンクリートのビルに瓦屋根を乗せた建築物が続々と登場します。九段会館や、上野の東京国立博物館などがその代表です。
のちに「帝冠様式」と呼ばれる建築物は「醜いキメラ」のように語られることも多かったのですが、再評価も進んでいます。
明治維新からの急速な脱亜入欧に対する副作用のようにも見えましたが、当の建築家は楽しんで設計していたと確信しています。良い意味で「遊んでいた」と言っても差し支えないかもしれません。
帝冠様式、無理やりに見えるハイブリッドは、分かりやすく言うとデストロンの怪人=機会と生物の合体=です。「ジシャクイノシシ」「ガマボイラー」「ピッケルシャーク」みたいなもんです。
かつて、戒厳司令部が置かれていた九段会館は2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で天井が崩落、2名が亡くなってしまいます。
長らく休館していた九段会館は2017年から建て替え工事を実施、一昨日竣工しました。
帝冠様式の九段会館を忠実に復元する建て替え工事が進められていました。
30年代の香りを残しながらも、17階建ての高層建築に生まれ変わった新・九段会館。
復元された建物のバックに近代的なタワーが聳える、歌舞伎座スタイルです。
外壁はスクラッチ煉瓦(タイル)ですが、かつての九段会館を完コピしています。
令和の建造物ではありません。趣があります。
首相官邸や警視庁、政府首脳・重臣の邸宅などを襲撃し、大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実らが殺害されてしまいます。
決起軍は帝都・東京中枢を占拠。
事件発生の翌日、2月27日、天皇の名のもと東京市内に戒厳令が施行されました。
このとき、戒厳司令部が置かれたのが2年前に竣工したばかりの軍人会館、のちに九段会館と呼ばれることになる建物でした。
1930年代、鉄筋コンクリートのビルに瓦屋根を乗せた建築物が続々と登場します。九段会館や、上野の東京国立博物館などがその代表です。
のちに「帝冠様式」と呼ばれる建築物は「醜いキメラ」のように語られることも多かったのですが、再評価も進んでいます。
明治維新からの急速な脱亜入欧に対する副作用のようにも見えましたが、当の建築家は楽しんで設計していたと確信しています。良い意味で「遊んでいた」と言っても差し支えないかもしれません。
帝冠様式、無理やりに見えるハイブリッドは、分かりやすく言うとデストロンの怪人=機会と生物の合体=です。「ジシャクイノシシ」「ガマボイラー」「ピッケルシャーク」みたいなもんです。
かつて、戒厳司令部が置かれていた九段会館は2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で天井が崩落、2名が亡くなってしまいます。
長らく休館していた九段会館は2017年から建て替え工事を実施、一昨日竣工しました。
帝冠様式の九段会館を忠実に復元する建て替え工事が進められていました。
30年代の香りを残しながらも、17階建ての高層建築に生まれ変わった新・九段会館。
復元された建物のバックに近代的なタワーが聳える、歌舞伎座スタイルです。
外壁はスクラッチ煉瓦(タイル)ですが、かつての九段会館を完コピしています。
令和の建造物ではありません。趣があります。
海の日というのに海には行けず。それでも中央線LOVE。
蒸し暑い1日でした。蒸し暑い東京でも、気持ち的に蒸し暑さ度が高い、中野でお仕事。
昔はただのちょっとおもろい街でしたが、今は大企業が本社を構えたり、大学がキャンパスをオープンしたりで雰囲気はずいぶん変わっています。
おかけで中野でお仕事する機会が増えたのは、ありがたいのですが
。


まだまだ開発途中の中野。
帰りの車で通りかかった「蚕糸(さんし)の森公園」。
公園とは思えない〝正門〟に目を奪われてしまいました。


明治44年に設置された蚕糸試験場が、昭和55年に筑波に移転したあと公園として整備されたそうです。
〝ガチ煉瓦〟の匂いがしますが、近寄って見ると化粧煉瓦です。

管理事務所として修復・保存されている旧守衛所も、化粧煉瓦。
コストを考えると仕方がありません。
そもそも煉瓦マニアなんてめったやたらにいませんし。

結構大きな滝も。気持ちも涼しくなります。
この水は小川になって、池に注がれるのですが、そのせせらぎで子供たちが遊んでいました。
いやー、中央線って本当に良いものですね。
昔はただのちょっとおもろい街でしたが、今は大企業が本社を構えたり、大学がキャンパスをオープンしたりで雰囲気はずいぶん変わっています。
おかけで中野でお仕事する機会が増えたのは、ありがたいのですが
。


まだまだ開発途中の中野。
帰りの車で通りかかった「蚕糸(さんし)の森公園」。
公園とは思えない〝正門〟に目を奪われてしまいました。


明治44年に設置された蚕糸試験場が、昭和55年に筑波に移転したあと公園として整備されたそうです。
〝ガチ煉瓦〟の匂いがしますが、近寄って見ると化粧煉瓦です。

管理事務所として修復・保存されている旧守衛所も、化粧煉瓦。
コストを考えると仕方がありません。
そもそも煉瓦マニアなんてめったやたらにいませんし。

結構大きな滝も。気持ちも涼しくなります。
この水は小川になって、池に注がれるのですが、そのせせらぎで子供たちが遊んでいました。
いやー、中央線って本当に良いものですね。
北区中央図書館〜東京砲兵工廠・弾丸の製造工場は平和と知識の館へ。
赤煉瓦遺構の魅力の一つは、現役で活躍しているということです。
日本は諸行無常が染み付いた社会で、観光地でもない限り、欧米のように古い建造物や街並みを大切にする習慣は稀薄です。
しかし、赤煉瓦建造物の中には街の中に溶け込み、現役バリバリのものも珍しくありません。
東京藝術大学の校舎のように当時の赤煉瓦の外観を残しながら、鉄筋などで補強して今も使われている建物や、東京駅のように大正バージョンを見た目だけ完全復元したものは、現役とはいえ、構造物の芯まで当時のままではありません。
それに対して、JR高架の新永間市街線高架橋などは、110年以上も〝芯から〟当時のまま東京を支えるインフラです。赤煉瓦が支える高架の上を山手線がガンガン走り、すぐ横を新幹線が通っているのは壮観です。
今日のご紹介は東京都北区中央図書館。
残念ながら〝芯から〟ではありませんが、現役バリバリです。

見た目は普通の公立図書館ですが、左に見える赤茶屋根の建物、コイツが見事な赤煉瓦建築なのです。
図書館脇の階段を降りると、町にある赤煉瓦遺構の多くがそうであるように、唐突にそれが出現します。

そして、しばらく見入っていると、唐突感は不思議なほど全くなくなり、周囲に溶け込んでゆくのです。
やはり、愛想のない重厚なイギリス積み。この建物が頑固な性格を持っているように思えてきます。
旧日本陸軍の東京砲兵工廠銃砲製造の敷地に、大正8年(1919年)に弾丸を製造する工場として建てられました。

昭和20年に終戦を迎えてから、昭和33年に土地の一部が日本に返還、日本の陸上自衛隊が倉庫として使用していました。
その後、赤レンガ棟は北区へと移管され、平成20年6月28日に図書館としてオーブンしました。
日本陸軍の軍事施設が、北区中央図書館=赤レンガ図書館=に変わったのです。
戦乱の世から、平和の時代へ。
100年の時間を経過した建物は「図書館自体が過去から現在に繋がっている知や時空の体験として表現したい」というデザイナーの思いが込められているそうです。


照明装置を建物の足元にいくつか見つけました。
夜にライトアップされると、さぞかし美しいことでしょう。
日本は諸行無常が染み付いた社会で、観光地でもない限り、欧米のように古い建造物や街並みを大切にする習慣は稀薄です。
しかし、赤煉瓦建造物の中には街の中に溶け込み、現役バリバリのものも珍しくありません。
東京藝術大学の校舎のように当時の赤煉瓦の外観を残しながら、鉄筋などで補強して今も使われている建物や、東京駅のように大正バージョンを見た目だけ完全復元したものは、現役とはいえ、構造物の芯まで当時のままではありません。
それに対して、JR高架の新永間市街線高架橋などは、110年以上も〝芯から〟当時のまま東京を支えるインフラです。赤煉瓦が支える高架の上を山手線がガンガン走り、すぐ横を新幹線が通っているのは壮観です。
今日のご紹介は東京都北区中央図書館。
残念ながら〝芯から〟ではありませんが、現役バリバリです。

見た目は普通の公立図書館ですが、左に見える赤茶屋根の建物、コイツが見事な赤煉瓦建築なのです。
図書館脇の階段を降りると、町にある赤煉瓦遺構の多くがそうであるように、唐突にそれが出現します。

そして、しばらく見入っていると、唐突感は不思議なほど全くなくなり、周囲に溶け込んでゆくのです。
やはり、愛想のない重厚なイギリス積み。この建物が頑固な性格を持っているように思えてきます。
旧日本陸軍の東京砲兵工廠銃砲製造の敷地に、大正8年(1919年)に弾丸を製造する工場として建てられました。

昭和20年に終戦を迎えてから、昭和33年に土地の一部が日本に返還、日本の陸上自衛隊が倉庫として使用していました。
その後、赤レンガ棟は北区へと移管され、平成20年6月28日に図書館としてオーブンしました。
日本陸軍の軍事施設が、北区中央図書館=赤レンガ図書館=に変わったのです。
戦乱の世から、平和の時代へ。
100年の時間を経過した建物は「図書館自体が過去から現在に繋がっている知や時空の体験として表現したい」というデザイナーの思いが込められているそうです。


照明装置を建物の足元にいくつか見つけました。
夜にライトアップされると、さぞかし美しいことでしょう。
瑞穂橋梁の向こうは米軍基地ノースドック・ゲート1、瑞穂橋梁は朽ち果てて渡れない。そしてポーラスターとスターダストが呼んでいる。②
東神奈川駅東口から海へ向かって直進。
瑞穂橋のたもとに、見るからにアメリカンなバーが2軒。
それもそのはず、橋を渡るとそこは米軍施設「横浜ノース・ドック」。
「ポーラスター」(奥)と「スターダスト」(手前)。
いい感じです。日が暮れると、みなとみらいの夜景がとんでもなく綺麗そうです。
瑞穂橋に並行して架かっているのは赤錆れた「瑞穂橋梁」。1934(昭和9年)年に建造され、日本最初の溶接鉄道橋だそう。

こういう廃線を見ると、往時を想像してノスタルジックな気分になります。
しばらく橋梁や線路を見て、遠回りして駅に引き返すと、運河の向こう側にゴルフの打ちっ放しが。
赤煉瓦を見たいと、近くまで行きましたが、なかなかの断崖絶壁で思うように見れません。
東神奈川駅にもまた赤煉瓦の見所があります。
京急東神奈川駅品川寄りの跨道橋の下の赤煉瓦。
横浜鉄道貨物線を通すために1910年(明治43年)に京浜電気鉄道が築堤・高架化したもので、122年の歴史を感じさせてくれます。
まだまだ現役。煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む、強度重視の「イギリス積み」。
JR横浜線東神奈川駅のホームを支える赤煉瓦は、駅が開業した1908(明治41)年当時からのもので、こっちは124年の風雪に耐えてきました。こちらもイギリス積みです。
瑞穂橋のたもとに、見るからにアメリカンなバーが2軒。
それもそのはず、橋を渡るとそこは米軍施設「横浜ノース・ドック」。
「ポーラスター」(奥)と「スターダスト」(手前)。
いい感じです。日が暮れると、みなとみらいの夜景がとんでもなく綺麗そうです。
瑞穂橋に並行して架かっているのは赤錆れた「瑞穂橋梁」。1934(昭和9年)年に建造され、日本最初の溶接鉄道橋だそう。

こういう廃線を見ると、往時を想像してノスタルジックな気分になります。
「かながわの橋100選」にも選ばれているのですが、もう誰も使っていない現役でない橋はこいつだけかもしれません。
しばらく橋梁や線路を見て、遠回りして駅に引き返すと、運河の向こう側にゴルフの打ちっ放しが。
むむむ!打ちっ放しの土台部分に見えるは赤煉瓦ではないか!
この辺りは昔は倉庫か何かがあって、その跡地に打ちっ放し場が作られたと思われます。
東神奈川駅にもまた赤煉瓦の見所があります。
京急東神奈川駅品川寄りの跨道橋の下の赤煉瓦。
横浜鉄道貨物線を通すために1910年(明治43年)に京浜電気鉄道が築堤・高架化したもので、122年の歴史を感じさせてくれます。
まだまだ現役。煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む、強度重視の「イギリス積み」。
JR横浜線東神奈川駅のホームを支える赤煉瓦は、駅が開業した1908(明治41)年当時からのもので、こっちは124年の風雪に耐えてきました。こちらもイギリス積みです。
瑞穂橋梁の向こうがノースドック・ゲート1、しかし瑞穂橋梁は朽ち果てて渡れない。なにはともあれ大勝軒。そしてポーラスターが呼んでいる。①
春は転勤、引越しの季節というわけで、取引先のお一人が先月から東京勤務の横浜住みに。
このブログでも紹介した、筋金がダースで入った文学元少女、現文学おばさんの川上さんです。
川上さんからは「遊びに来て〜」とお誘い頂いてたのですが、「時間が出来たら是非お邪魔します」と、行く気もないのに社交辞令なお返事をしてました。
私は基本的に、仕事とプライベートは断崖絶壁的にガチッ分断したい人間です。
ただ、この川上さんとは商談でもほとんど文学の話で終始して、仕事ベースは私の部下とメールでやりとりみたいな、おかしな関係が続いていました。
一応、私にとって川上さんがクライアントなのですが、彼女の方が年下で、それは、どこにでもある、どうでもいい関係です。
ただ、その「どこにでもある関係」でも、彼女がタメ口をきいてくるのがすごく気になって。
仕事関係の取引先で使う言葉は、年齢とか関係なく敬語が常識です。そんなこともあって、仕事の延長上の飲み会まで、のお付き合いでしたが、川上さんのご主人からも「是非」とお願いされて、ついにこの連休に遊びに行くことに…。
最寄り駅は、娘が通ってた高校と同じだったので土地勘はあるつもりでしたが、そこから15分も歩くと結構な高級マンションが立ち並び、なんでもマウント取りたがる猿女が「遊びに来い」と言う理由がわかった気になりました。
横浜みなとみらいの対岸で、素晴らしい夜景でしたが、ここで「素晴らしい眺めですね!羨ましいです!」とか褒めたら、負けです。
「名古屋から横浜来るとタワーマンションってだけで浮かれる感じですか?」「会社の借り上げなんですよね?」「ここ地震あったら真っ先に液状化しますよね?」と、距離を潰されないようにジャブを打ち続けます。
旦那さんが「いっぱい不愉快な思いさせてると思います、すみません」と人間的な気配りを見せてくれる一方で、猿女は「そう、だから地震のとき、三島さん(私の仮名)とこに泊めてもらおうと思って、これで迎えに来る場所わかりますよね」と、ジャブに右クロスをかぶせてきます。
猿女はいつものように文学の話で試合を支配するばかりか、実はプ女子(女子とは認めたくないからプ猿)であることまで判明、そこでも私の生半可な知識にマウントを取ってくるのです。
私が「良い意味で優れた台本がまずありき。そして、相手の長所を封じる他のスポーツと違って相手の強さを引き立たせるのがプロレス」みたいな話をすると、「三島君らしいわ〜、ほんと浅いわ〜」と猿女がウキキと笑うのです。
猿女は「本当に良いプロレスは台本はない、少なくとも見えない。筋肉のジャズがプロレス。相手の長所を引き立たせるんじゃない、それだと台本があるみたいに見える、自分の長所をぶつけ合うのがプロレス」とか、それって俺が言ってるのと基本同じことじゃねえか、と思いますが、不条理な角度からカウンターを見舞ってくるのです、猿だから。
ああ、でも猿女のおかげでプロレスと文学が同じだということがよく理解できました。それは、それで面白い気づきでした。「文学少女」と「プ女子」には、非常にニアな心理的源泉があるのです。
月1は生観戦するという猿女は「8月に一緒に行こう」と誘ってきます。誰が行くか!と、断り続けましたが、一度も観戦に付き合ったことがないという旦那さんにも説得されて、御同伴することに…。
そして、大学生が友人の下宿先に遊びに行ったかのように(〝かのように〟ではなくそのまんまな乱れっぷりで)、明け方までおしゃべりして、お泊り。
9時前に起きると猿女が「朝ごはん食べてって」と言いますが、猿と違う人間は忙しいねん。そもそも、朝ごはん作ってる雰囲気ないし。
「8月のプロレス、仕事入ったらいけませんから、そのときはゴメンなさい」と、帰ろうとすると猿女は「10時に開店する美味しいラーメン屋さんが近くにあるから」「ラーメンの前、ということは酒、ちょっと入れとく?」と、完全に相手の距離に引き込まれているのがわかってても「10時開店って早いですね?なんてラーメン屋さんですか?」と、完全にクロスレンジのパンチ交換に応じてしまっていました。
猿女は「大勝軒だったかな?」とつまらなそうに言いました。
まじか?この付近に大勝軒の暖簾分け店があったのか!
アンソニー・ジョシュアの気持ちが、やっとわかりました。きっと、オレクサンダー・ウシクは「大勝軒だったかな?あの甘酸っぱい醤油ベースのスープとモチモチの麺の…」とジョシュアの耳元で囁いたに違いありません。こうなったら、クロスレンジで打ち合うしかありません。
そして、開店に合わせて猿の家を出ることに。
ドミトリー・ビボルのように、カネロ・アルバレスの囁きに耳を貸さずに左ジャブで突き放す、そんな理性と知性は私にはありません。
10時の開店を待ち、向かい酒。大量の酒を飲んだ私ですが、さらに向かい酒。
そして、我らのマディソン・スクエア・ガーデン、大勝軒へ。一番乗りかと思いきや、すでに行列が。
カウンターだけの、質素な店構え。店外吹きさらしの券売機で「瓶ビール」と「ラーメン中盛り」のボタンをプッシュ。
お店の人に「朝早くから開けてるんですね」と聞くと「夕方の4時に店閉めますから」とのこと。
早ッ!
築地的な営業時間です。
それにしても、猿の陣地に、こんな魅惑的なラーメン屋があったとは…。
東神奈川は猿の惑星であった。
赤煉瓦やらポーラスターの話は、また続くのだ〜〜〜〜。
このブログでも紹介した、筋金がダースで入った文学元少女、現文学おばさんの川上さんです。
川上さんからは「遊びに来て〜」とお誘い頂いてたのですが、「時間が出来たら是非お邪魔します」と、行く気もないのに社交辞令なお返事をしてました。
私は基本的に、仕事とプライベートは断崖絶壁的にガチッ分断したい人間です。
ただ、この川上さんとは商談でもほとんど文学の話で終始して、仕事ベースは私の部下とメールでやりとりみたいな、おかしな関係が続いていました。
一応、私にとって川上さんがクライアントなのですが、彼女の方が年下で、それは、どこにでもある、どうでもいい関係です。
ただ、その「どこにでもある関係」でも、彼女がタメ口をきいてくるのがすごく気になって。
仕事関係の取引先で使う言葉は、年齢とか関係なく敬語が常識です。そんなこともあって、仕事の延長上の飲み会まで、のお付き合いでしたが、川上さんのご主人からも「是非」とお願いされて、ついにこの連休に遊びに行くことに…。
最寄り駅は、娘が通ってた高校と同じだったので土地勘はあるつもりでしたが、そこから15分も歩くと結構な高級マンションが立ち並び、なんでもマウント取りたがる猿女が「遊びに来い」と言う理由がわかった気になりました。
横浜みなとみらいの対岸で、素晴らしい夜景でしたが、ここで「素晴らしい眺めですね!羨ましいです!」とか褒めたら、負けです。
「名古屋から横浜来るとタワーマンションってだけで浮かれる感じですか?」「会社の借り上げなんですよね?」「ここ地震あったら真っ先に液状化しますよね?」と、距離を潰されないようにジャブを打ち続けます。
旦那さんが「いっぱい不愉快な思いさせてると思います、すみません」と人間的な気配りを見せてくれる一方で、猿女は「そう、だから地震のとき、三島さん(私の仮名)とこに泊めてもらおうと思って、これで迎えに来る場所わかりますよね」と、ジャブに右クロスをかぶせてきます。
猿女はいつものように文学の話で試合を支配するばかりか、実はプ女子(女子とは認めたくないからプ猿)であることまで判明、そこでも私の生半可な知識にマウントを取ってくるのです。
私が「良い意味で優れた台本がまずありき。そして、相手の長所を封じる他のスポーツと違って相手の強さを引き立たせるのがプロレス」みたいな話をすると、「三島君らしいわ〜、ほんと浅いわ〜」と猿女がウキキと笑うのです。
猿女は「本当に良いプロレスは台本はない、少なくとも見えない。筋肉のジャズがプロレス。相手の長所を引き立たせるんじゃない、それだと台本があるみたいに見える、自分の長所をぶつけ合うのがプロレス」とか、それって俺が言ってるのと基本同じことじゃねえか、と思いますが、不条理な角度からカウンターを見舞ってくるのです、猿だから。
ああ、でも猿女のおかげでプロレスと文学が同じだということがよく理解できました。それは、それで面白い気づきでした。「文学少女」と「プ女子」には、非常にニアな心理的源泉があるのです。
月1は生観戦するという猿女は「8月に一緒に行こう」と誘ってきます。誰が行くか!と、断り続けましたが、一度も観戦に付き合ったことがないという旦那さんにも説得されて、御同伴することに…。
そして、大学生が友人の下宿先に遊びに行ったかのように(〝かのように〟ではなくそのまんまな乱れっぷりで)、明け方までおしゃべりして、お泊り。
9時前に起きると猿女が「朝ごはん食べてって」と言いますが、猿と違う人間は忙しいねん。そもそも、朝ごはん作ってる雰囲気ないし。
「8月のプロレス、仕事入ったらいけませんから、そのときはゴメンなさい」と、帰ろうとすると猿女は「10時に開店する美味しいラーメン屋さんが近くにあるから」「ラーメンの前、ということは酒、ちょっと入れとく?」と、完全に相手の距離に引き込まれているのがわかってても「10時開店って早いですね?なんてラーメン屋さんですか?」と、完全にクロスレンジのパンチ交換に応じてしまっていました。
猿女は「大勝軒だったかな?」とつまらなそうに言いました。
まじか?この付近に大勝軒の暖簾分け店があったのか!
アンソニー・ジョシュアの気持ちが、やっとわかりました。きっと、オレクサンダー・ウシクは「大勝軒だったかな?あの甘酸っぱい醤油ベースのスープとモチモチの麺の…」とジョシュアの耳元で囁いたに違いありません。こうなったら、クロスレンジで打ち合うしかありません。
そして、開店に合わせて猿の家を出ることに。
ドミトリー・ビボルのように、カネロ・アルバレスの囁きに耳を貸さずに左ジャブで突き放す、そんな理性と知性は私にはありません。
10時の開店を待ち、向かい酒。大量の酒を飲んだ私ですが、さらに向かい酒。
そして、我らのマディソン・スクエア・ガーデン、大勝軒へ。一番乗りかと思いきや、すでに行列が。
カウンターだけの、質素な店構え。店外吹きさらしの券売機で「瓶ビール」と「ラーメン中盛り」のボタンをプッシュ。
ビールはエビスの小瓶、320円。ネギチャーシューのツマミ付き。この良心の爪の垢を煎じて、アルファベット団体に飲ませたい!
WBCとかは大勝軒を見習え!
麺は太麺ではなく、まさかの細麺でしたが、醤油味の力強く、かすかに甘酸っぱいスープにしっかり絡んできます。
これは、ボクシングなら「バンタムの井上尚弥」です。文句無し。今、この時点で、これ以上のご馳走は地球上に無し!!!
WBCとかは大勝軒を見習え!
麺は太麺ではなく、まさかの細麺でしたが、醤油味の力強く、かすかに甘酸っぱいスープにしっかり絡んできます。
これは、ボクシングなら「バンタムの井上尚弥」です。文句無し。今、この時点で、これ以上のご馳走は地球上に無し!!!
お店の人に「朝早くから開けてるんですね」と聞くと「夕方の4時に店閉めますから」とのこと。
早ッ!
築地的な営業時間です。
それにしても、猿の陣地に、こんな魅惑的なラーメン屋があったとは…。
東神奈川は猿の惑星であった。
赤煉瓦やらポーラスターの話は、また続くのだ〜〜〜〜。



























