1968年2月27日、ファイティング原田がライオネル・ローズにバンタム級王座を追われてから、日本人の腰に再びこの階級のベルトが巻かれるまでには1987年3月29日まで、19年以上の歳月を待たねばなりませんでした。
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「しかもジョーはロープの反動まで使った。力石君とて生身の人間、たまろうはずがない」。(丹下段平)…「たまろうはずがない」っていいですねぇ、そんな日本語ないはずですが、この場面ではしっくり聞こえてしまいます。 

史上二人目の世界バンタム級王者になったのは、大阪帝拳の六車卓也。前年にヒルベルト・ローマンに敗れた渡辺二郎に続く、大阪帝拳二人目の世界王者でもありました。

しかし、当時も承認団体はすでに3つに分裂、階級最強と目されていたのはWBC王者ミゲール〝ハッピー〟ロラでした。

六車はWBAバージョンのベルトを決定戦を制して手に入れますが、紆余曲折を強いられます。

ジュニアフェザー級の東洋太平洋王者として7度防衛、アジア無敵となった26歳の若者にWBA王者ベルナルド・ピニャンゴへの挑戦が決定したのは2月24日。試合まで1ヶ月しかないというタイトなスケジュールです。

直前の防衛戦(2月4日:フランキー・デュアルテ戦)で、悪戦苦闘の末にV3を果たしたピニャンゴでしたが、六車戦が決定した後の3月に入ってまさかの王座返上。

WBAは「1位の朴讃栄と2位アサエル・モランが決定戦を行い、その勝者が80日以内に六車の挑戦を受ける」と規則通りに指示します。

しかし、会場の守口市民体育館はもちろん、関西テレビの番組枠も抑えている大阪帝拳は後には引けません。何よりWBAに前払金(アドバンス)もしっかり納めています。

「スケジュールを反故にするならアドバンスを返せ」。そう詰め寄られた腐敗団体が、ルールを遵守するためにカネを返すわけがありません。「六車は2位のモランと決定戦を行い、勝者は45日以内に朴の挑戦を受ける」と規約を捻じ曲げました。

可哀想なのはモランです。なんと2月21日に地元パナマでリングに上がったばかり。過酷な減量から解放された試合後に暴飲暴食して膨れ上がった肉体を、短時間で再び118ポンドに削るのは悲惨な作業だったでしょう。

試合は5ラウンド2分50秒、母校近畿大学のブラスバンド応援団のマーチに乗ったエンドレスファイターの猛攻に、衰弱したパナマ人は決定的なパンチを食ったわけでもないのに自ら崩れ落ちてしまいます。

この瞬間、20年近くも日本人の挑戦を拒み続けてきたバンタム級のタイトルが、あまりにもあっけなく転がり込みました。
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「Number 170」より。この頃まで日本人が挑む世界のスポーツはボクシングでした。当時のNumber誌は、現在のサッカーのようにボクシングを特集、辰吉丈一郎が初めて敗れたときは緊急増刊号まで発行したものでしたが…。
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直近では「Number 944」で村田諒太をカバーしていますが、今では一般スポーツ誌がボクシングを特集していると「お!珍しい!」となるのが普通になっちゃいましたね。このボクシングのニッチな扱い傾向が強まっているのは、米国のスポーツイラストレイテッドやESPNマガジンでも同じです。


モランのトレーナーは「あまりに急な減量を強いられた影響?それはありません。六車がストロングでインテリジェンスなボクサーだったから負けました」と勝者を称え、モラン本人も「六車の攻撃は素晴らしかった。苦しい試合になるのはわかっていたが、六車が強かった」と言い訳しませんでした。

六車戦まで17勝8KO1敗と綺麗に数字を積み上げてきたパナマのバンタム級王者は、六車戦からは4勝10敗と大きく負け越し、再び世界挑戦の機会に恵まれることなく、21勝9KO11敗でグローブを吊るしました。

しかし、プロボクシングの薄汚い政治力に翻弄され、極東のリングにいきなり引っ張り上げられながらも、潔く敗北を認め勝者を称えたアサエル・モランの態度は本当に立派でした。

六車は5月24日、朴讃栄の挑戦を受けますが、ダメージの残るアンラッキーなバッティングにも見舞われて11ラウンドTKOでバンタム級のベルトを手放してしまいます。

そして、3人目の世界バンタム級王者も同じ守口市民体育館の特設リングで、大阪帝拳所属のボクサーが掴み取るのですが、そのお話の前に…。

原田と六車の間に横たわる〝失われた19年〟で、5人のバンタムが世界の壁に跳ね返されました。

東京五輪金メダリストの桜井孝雄(1968年:ローズ戦)、沼田久美(1975年:ロドルフォ・マルチネス)、磯上秀一(1980年:ホルヘ・ルハン)、ハリケーン照(1981年:ルペ・ピントール)…そして村田英次郎です。

リング誌など海外メディアでもたまに「日本においてバンタムは特別なクラス」という記事を見かけますが、そのほとんどは「あしたのジョー」と、そのリアル版・辰吉丈一郎を取り上げたステレオタイプなものです。

しかし、何度もチャンスを与えられて三度も世界王者になったスポーツセレブよりも、村田英次郎の方がはるかに矢吹丈に近いと感じるのは私だけではないでしょう。

次回は、〝よりリアルな〟リアルあしたのジョーのお話です。