「ボクマガ青春情熱物語」と言いつつも、リング誌を紹介することが多かった気もしますが、今夜はドーンと2冊のボクマガ12月号を振り返ります。

⬇︎左が47年前の1976年、右が32年前の1991年のボクシング・マガジン12月号です。

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1976年。私はまだ海外ボクシングに目覚める前の小学生。

この年は5月に輪島功一がホセ・デュランに14ラウンドKO負け、WBAジュニアミドル級のストラップを手放して、世界王者不在となっていましたが、10月9日にロイヤル小林がWBCジュニアフェザー級、翌10日には具志堅用高がWBAジュニアフライ級のタイトルを何もKOで奪取。波乱の1年間でした。

そじて同じ10月の27日。小林、具志堅に続いて辻元章次が、日本初の世界ウェルター級タイトルマッチに挑むのです。

WBAウェルター級王者ホセ〝ピピノ〟クエバスは、このときまだ19歳!(BoxRecでは18歳ですが、ここではボクマガの記事を優先)。

クエバスはウェルター級最強と目されていたアンヘル・エスパダを大番狂せの2ラウンドKOで屠って、これが初防衛戦。

第5ラウンドには28歳の日本人サウスポーが主導権を握りかけたのですが…。

当時は、シュガー・レイ・レナード降臨の前夜。ウェルター級は、現在ほどの特別な階級ではありませんでしたが、それでも日本でも世界でも「ミドル級と並んで最もレベルが高い」というのが共通認識でした。

そして、ボクマガの記事から次のセンテンスを引用します。

「日本では100回以上も世界タイトルマッチが行われてきたが、白井義男、ファイティング原田、海老原博幸、大場政夫、花形進、小熊正二(フライ級)、原田(バンタム級)、西城正三、柴田国明(フェザー級)、ガッツ石松の世界チャンピオン以外はジュニアのタイトルである」。

8階級しかなかったタイトルが認定団体のエゴで細分化される状況を憂い、ジュニアの付かない階級、それもウェルターで真っ向勝負した辻本を讃えているのです。

初防衛戦を迎えたばかりのクエバスでしたが、ボクマガにも「怪物王者」の四文字があちこちに踊っていました。

19歳のメキシカンはその通りに11連続防衛(10KO)を果たす怪物になり、そのクエバスを2ラウンドで破壊したトーマス・ハーンズの格付けにも〝貢献〟。

クエバスとウィルフレド・ベニテスの凄みが、80年代の米国ボクシング最大のヒット〝4KINGs〟の物語で最高の隠し味となっていることは、ボクシングファンなら誰もが認めるでしょう。

4KINGsは何故に偉大なのか?彼らに敗れたファイターたちもまた、あまりにも強かったからです。

この尺度で測ることの出来る日本人は、今でもファイティング原田しかいません。

そして、その原田を超える日本史上最高ボクサーの期待をかけられたのが辰吉丈一郎でした。

1991年12月号では日本ジュニアライト級タイトルマッチ、王者・赤城武幸が渡辺雄二に2ラウンドKO負けで、世界戦線から脱落する一戦もレポートされています。

この試合はフルハウスの後楽園ホールで観ました。十分起こり得るKO劇でしたが、実際に目の前で見てしまうと衝撃的。ボクシング、特に世界への切符を争うレベルの選手の場合、「負けても次にリベンジ」なんてチャンスは、まず与えられません。

香川照之は〝お江戸のタイソン〟渡辺を「アラい。カタい。ギコチない。だけど、渡辺の〝危険な魅力〟はたまらない」と、ボクマガに連載していた「熱病的思考法」に綴りました。

1991年、WBOが主要団体への道を着々と固めていた時期、同一団体が同一階級で複数の王者を濫造する4-Belt Eraの前夜でした。

当時も「プロボクシングは無茶苦茶だ」と感じていましたが、今と比べたらまだ、ずっと全然マシだったのでした。