初回KOは、どんなケースであれ衝撃的です。

しかし、どんなものにもグレードが存在します。

その意味で、この試合の3分9秒は日本史上最上等の初回KOでした。

刻は1986年7月24日、処ろは両国国技館。

WBCジュニアウェルター級タイトルマッチ。

王者レネ・アルレドンドに挑んだのは、15連続KO勝利の日本記録を持つ浜田剛史。

25歳、同い年の強打者対決。

初回終了間際、メキシカンを強引にローブに詰めるとバズーカ砲のような浜田の連打が火を噴きます。

ローブに体をあずけて失神状態のアルレドンドに、渾身の左ストレートまで炸裂。長身のメキシカンが沈んだ、その瞬間のタイマーは2分59秒。1ラウンド終了ゴングが鳴る、1秒前でした。

リングの上に2分59秒立っていたアルレドンドは、再び体を起こすまでに8分間もかかりました。

そして、この瞬間のテレビ視聴率は30%超え。




浜田剛史。

あの軽くて明るくて薄っぺらくて浮ついた1980年代に、どうして彼が登場したのか、今もってわかりません。

本当に〝琉球武士〟が迷い込んできたような容貌と立ち居振る舞い、話し方をする男でした。

浜田の入場曲はボニー・タイラーの「ホールディング・アウト・フォー・ア・ヒーロー」(Holding Out for a Hero)。大ヒットしていた洋楽なのに、浜田にはPOPなイメージなど微塵もありませんでした。

映画「フットルース」のサウンドトラックが、死地に赴く戦士の咆哮にしか聞こえませんでした。

浜田は強打者であるが故に左拳を何度も故障、4度も手術。さらに、右膝を3ヶ月前にやはり手術していたのです。

浜田に似合うアルファベットは、この夜も両拳に嵌めていたREYES くらいですが、その生き様はNo pain, no gain. 痛いのも苦しいのも当たり前という達観でした。

真っ赤なREYES以上に似合っていたのは、右膝に巻いた純白のサポーター。

グローブ以外はガウンもトランクスもシューズも、白。真っ白いガウンに縫い付けられたシーサーと「浜田剛史」の漢字。劇的な勝利で、四方から飛び交う座布団を避けようともせずに悠然と立つ浜田は、全くの無表情でした。

耐え難きペインを耐え抜いた、その苦行が最高の形で報われたというのにガッツポーズはおろか、微笑みすら浮かべないのです。

浜田剛史は、何から何まで時代錯誤でした。

当時は世界王者ゼロ、帝拳にとっては大場政夫以来、16年ぶり二人目の世界王者誕生でした。

しかし、あの夜熱狂した日本中のボクシングファンは満身創痍の浜田が、長期政権を築くことなど不可能だとわかっていました。

だからこそ、沸点を超えた熱狂につながったのでしょう。

それにしても、最近はタマ遊びの分際で「サムライ」を名乗る輩が横行していますが、浜田剛史こそがサムライです。


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しかし、BoxRecの写真はときどき「もっといい写真使ってあげて」と思うこともありますが、浜田の場合は、これしかない一枚。

ジュニアライト級でデビューした浜田は、この試合まで140ポンドで戦ったことがなく「レネは生粋の140パウンダー、これが勝負を分ける」(日本のリングに6度も上がった元WBCジュニアライト級王者リカルド・アルレドンド)という見方も。

当時のライト級からジュニアウェルター級の世界シーンは、WBCジュニアライト級王者フリオ・セサール・チャベスが進撃を始める前夜。

WBAはライト級王者がリビングストン・ブランブル、WBCがヘクター・カマチョ、WBAジュニアウェルター級王者はパトリツィオ・オリバ。世界ランキングにはエドウィン・ロサリオやビニー・パチエンザ、ホセ・ルイス・ラミレスら錚々たるメンツ。

試合翌日の会見で本田明彦会長は、次期対戦者候補として「ヘクター・カマチョ」の名前を出すなど、ボクシングファンの熱い胸を踊らせたのでした。