一人称の話。
先日の井上尚弥の会見では、一人称は「自分」でした。そういえば、浜田剛史も「自分」。
スポーツの世界では、その選手のキャラクターによって一人称が使い分けられてしまうことがあります。ときには。当人が使っていない一人称を当てはめられることも。
沢木耕太郎のエッセイで語られていたのは、江夏豊が「僕」と語った一人称が、活字になると「ワシ」にされてしまうという、キャラの決めつけ。
山本浩二は「ワシ」で正解ですが。
スポーツの世界ではありませんが、ドナルド・トランプの「I(アイ)」が「俺様」にされてしまうことがあるのは、さすがに可哀想な気がします。
英語には「僕」も「ワシ」も「俺様」もないのですから。
夏目漱石の「吾輩は猫である」。かしこまって聞こえますが、昭和の初め頃までは「吾輩」は男性の一人称として決して珍しい表現ではなかったそうです。
先日の井上尚弥の会見では、一人称は「自分」でした。そういえば、浜田剛史も「自分」。
スポーツの世界では、その選手のキャラクターによって一人称が使い分けられてしまうことがあります。ときには。当人が使っていない一人称を当てはめられることも。
沢木耕太郎のエッセイで語られていたのは、江夏豊が「僕」と語った一人称が、活字になると「ワシ」にされてしまうという、キャラの決めつけ。
山本浩二は「ワシ」で正解ですが。
スポーツの世界ではありませんが、ドナルド・トランプの「I(アイ)」が「俺様」にされてしまうことがあるのは、さすがに可哀想な気がします。
英語には「僕」も「ワシ」も「俺様」もないのですから。
夏目漱石の「吾輩は猫である」。かしこまって聞こえますが、昭和の初め頃までは「吾輩」は男性の一人称として決して珍しい表現ではなかったそうです。
コメント
コメント一覧 (3)
フシ穴の眼
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例えば、アウェー(日本)に乗り込んでくる外国人ボクサーの発言が「彼を倒してみせます」ではなく「あいつをぶっ倒してやるぜ」のように和訳されたり、ここまでではなくとも、外国人ボクサーの発言がタメ口で和訳されることは少なくないように感じます(その言語では本当にそういうニュアンスなのかもしれませんが)。
別にこうした翻訳を否定するつもりはないですし、和訳する以上は日本語独特のニュアンスが混じるのは不可避なのですが、日本人ボクサーを引き立てるために過度に歪んだキャラクター付けがされていないか、本当にそのボクサーの真意を正しく理解できているだろうか、と感じてしまうことがあります。
もちろん、こうした言葉の綾こそ日本語の奥深さだと思うんですけどね。
フシ穴の眼
が
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