ボクシングが地上波から大きく舵を切って、完全にネット配信にシフトするまで、わずか数年しかかかりませんでした。

テレビ局の衰退により、より高いファイトマネーを保証できるネット配信にジム(興行主)と選手が一気に流れた構図です。

日本の場合、究極の現金ビジネスである「米国のPPV」とは違う、宣伝広告料を大量投下している「ネット配信企業」が支えているという危うさを孕んでいますが、その話はまた別に引き続きます。

この大きな転換は、プロスポーツ選手の報酬が世界的に高騰していることがアクセルの一つになったと考えられます。

そもそも、20世紀まで日本は世界最高レベルの豊かなスポーツ市場を抱えていました。

ファイティング原田は1960年代に、1試合で4000〜6000万円のファイトマネーを獲得していました。驚くべき金額です。当時のボクシング界で、軽量級では言うに及ばず、モハメド・アリを除くと全階級を通じても世界最高クラスだったはずです。

そりゃ、エデル・ジョフレでも誰でも呼べちゃいます。 

米国ではいまだに「マイケル・カルバハルvsウンベルト・ゴンサレス」のビッグファイトがジュニアフェザー級以下で歴史上最も注目を集め、最も高額のファイトマネーが保証された試合の一つですが、その10年前に活躍していた具志堅用高は全く羨ましいと思わなかったでしょう。

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1974年シーズンにベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新したハンク・アーロンの年俸は、わずか20万ドル、当時の為替レート(1ドル300円)で換算すると日本円で6000万円。10年も昔にファイティング原田のわずか1試合で稼いだファイトマネーに過ぎませんでした。

それどころか、1974年の王貞治の年俸(5220万円)と比べてもほとんど変わりません。当時は他の選手の年俸を抑えるため、長嶋茂雄や王貞治らの年俸は過小に発表されていましたから、王がアーロンの年俸を遥かに上回っていたのは確実と見られています。

後年、落合博満が野球選手で史上初の年俸1億円を手にしたとき、野村克也は「落合が初めてじゃない。俺ももらってたし、長島や王はもっともらってた」と自慢げに語りましたが、あれは非常に浅ましい姿でした。

そのときに、他の選手の待遇改善のためにオーナーと交渉するなんてありえなかったかもしれませんが(それならカッコ良すぎますが)、後から「俺が先」というのは卑しいにも程があります。

また、1992年に開幕したJリーグが世界最高の報酬が得られるリーグであったことはよく知られています。



いま、大谷翔平が今オフFA権を行使、7億ドル以上のプロスポーツ史上最高契約を大幅更新してビッグクラブに移籍すると見られています。

しかし、大谷の価値がカネなどで測れるわけもなく、7億ドルなんてどうでもいいと見えてしまうのが大谷の凄さ。実際、二刀流を認めない球団には1京円提示されたとしても、彼は行かないでしょう。


黒田博樹の広島復帰を振り返るまでもなく、カネなんてどうでもいいことです。

もらったカネの額ではなく、何をやってのけたか、何を見せてくれたのか、それだけが全てです。



…なんて綺麗事をまず踏まえながら、どうして日本スポーツは世界に追い抜かれたのか、ネットストリームの風がどこに吹いているのか、という大きなテーマから、ロベイシ・ラミレスにいくら積んだのかという小さな興味まで、カネの亡者となって追いかけてゆきます。