四半世紀前の1998年、ボクシングマガジン5月号です。

「ボクマガ青春情熱物語」とタイトルしながら、リング誌を取り上げることが多かったかもしれませんが、ボクマガの登場です。

1998年、何があったかというと長野オリンピックです。

「大舞台に弱い」と烙印を押されていた原田雅彦がノーマルヒルで 失速、日本はメダルを逃しました。着地すると膝から崩れ落ち、頭を抱える原田。仲間に抱えられ立ち上がった原田は、力無く笑っていました。

ラージヒルでも1本目に失敗。「また俺が足を引っ張ってしまうのか、辛いな」と俯く原田でしたが、2本目に大ジャンプを見せて、金メダルを手繰り寄せます。金メダルが決まった瞬間、顔をクシャクシャにして泣く原田と一緒に日本中が泣きました。

船木和喜、清水宏保、岡崎朋美 …みんな輝いていました。

あちこちで「夜空ノムコウ」が流れていました。

あれから 僕たちは 何かを 信じてこれたかなぁ…ーーーーー

前置きが長くなりました。

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ボクシングマガジン1998年5月号。

表紙は「畑山、激闘を制す(日本ジュニアライト級タイトルマッチ)」。世界ランカーの畑山が、日本王者のコウジ有沢に挑戦する、畑山にとってメリットのない試合でした。

しかし、ボクシングファンにとっては垂涎のマッチアップ、畑山の男気が実現させた、今では想像もつかない、日本タイトルマッチのメガファイトです(と書いてから〝神童〟がいたことに気づきました)。

「拝啓 辰吉丈一郎様 読者からの質問状」ではQ .眉毛は自分で整えてるんですか?という質問に答えて「ととのえてません。中学生のとき、眉毛を抜いてたら生えてこなくなった。再生不能になってしまった(笑)」。

今やトレーナーとして有名になったロベルト・ガルシアが空位のIBFジュニアライト級王座をハロルド・ウォーレンと争って初戴冠の記事も。

デビューから30連勝(23KO)で新王者となったガルシアがデビューしたのは、1992年7月15日。

福岡国際センターで行われた竹田益朗がWBAジュニアライト級王者ヘナロ・エルナンデスに挑戦したイベントのアンダーカードでした。

この頃から、帝拳は今日につながる米国軽量級市場に強固なコネクションをほぼ完成していました。

ロベガルが世界的なトレーナーに登り詰め、ヘナロの兄ルディが多くの日本人選手も育てている、帝拳が世界最高のプロモーションの一つであり、軽量級を中心に海外選手も憧れるブランドであるのは間違いありません。