「脱獄と亡命は違うんだぜ。脱獄と違うのは、亡命者にとって、どんなに酷い環境でも母国は母国なんだ、愛してるのさ。そして、そこには家族が住んでいる。こんな話をアンタにしたって、わかりっこないだろうな。愛してる母国を裏切る気持ちなんて、それをやったことがない人には絶対にわかりっこない」(キューバの亡命ボクサー)。
「ユリオルキス・ガンボアは生活費と娘の誕生日プレゼントを買うために、金メダルを売った。いくらで売ったと思う?1500ドルだ」「オリンピアンにとってメダルは血と汗の対価であり、プライドそのものであり、自分自身でもあるんだ。俺たちがそれを売るってことは、売れるものなら何でも売るってことさ」(別のキューバの亡命ボクサー)。
「アメリカでは敵役にされる、もっとわかりやすくいうとBクラスの〝特等席〟がキューバ人には用意されているわけさ。ガンボアが万全ならテレンス・クロフォードやガーボンタ・デービスごときに負けるわけがない。奴らと戦ったときのガンボアは、もはやガンボアではなかった、それはボクシングを見てる人なら誰にでもわかること」(高名なキューバ人トレーナー)。
「奴らはガンボアと戦う練習をきっちりして、ガンボアが試合日程と相手を教えられるのは、そのずっとあとだ。その逆は絶対にない。衰えた急ごしらえのガンボアを上の階級に引っ張り上げて、金メダリストをKOした、箔が付いたと思ってやがるんだ。一つだけ確かなことは、クロフォードみたいなのが金メダル獲るのは絶対無理ってことだ」(とても高名なキューバ人トレーナー)。

2018年7月。メキシコの高地アグアスカリエンテス。キューバのナショナルチームが、東京五輪に備えて強化合宿を行なっていた。
GO!for TOKYO!
綺羅、星の如きエリートボクサーの中でも、ロベイシ・ラミレスは別格だった。テオフィロ・ステベンソンに並ぶ五輪3連覇の大偉業が期待されていたのだ。
標高2,000メートルに近い高地、朝夕は冷え込んだ。
ある日のある真夜中。
ラミレスは寝ていなかった。静かに起きると、バックパックに必要最低限のものを詰め込むと合宿所を抜け出した。
「そのときのことは、今でもよく覚えている。とにかく緊張した」。「鳥肌がたっているのが分かった。それが恐怖のせいなのか、高所の寒さのせいなのかはわからなかったけど」。
ブローカーが用意したトラックが待つ麓まで、真っ暗闇の山道を一気に走って駆け降りた。
朝になると、同じ名前を何度も叫ぶコーチの点呼の声が、徐々に怒りを含んで、大きく響き渡っていた。
ロベイシー!エロイ!ラミレス!カラサーナ!
残されたチームメイトは、その場に立ちすくんでいた。
コーチが本気で怒っていないことは、みんなわかっていた。
みんなロベイシ・ラミレスが大好きだった。ラミレスはアメリカに行って成功すべき才能だと、誰もが信じていた。
コーチが本気で怒った声を聞いたのは、1年1ヶ月後、ロベイシ・ラミレスのデビュー戦のニュースを聞いたときだった。
コーチは怒りに震えて泣いていた。
ふざけるなよ、あいつが負けるわけがないだろ!何かの間違いだ!
ちゃんと食事を採れてたのか?ちゃんとトレーニングはできてたのか?アメリカ人から嫌がらせでも受けてたのか?
**************
ロベイシ・エロイ・ラミレス・カラサーナは1993年12月20日、首都ハバナから南へ約230㎞離れたシエンフエーゴス州シエンフエーゴスで生まれた。
2019年、25歳の若者は、複数年契約を結んだトップランクの広報に「勉強は苦手だったらしいね」と聞かれると「苦手じゃないよ。苦手ってのはやっても出来ないってことだろう。僕の場合はやらなかったんだから、勉強が苦手か得意かなんて誰にもわからないのさ」と、愛くるしい笑顔を返した。
小さい頃から勉強の成績は悪かったが、スポーツはなんでも出来た。野球、バスケットボール、バレーボール…何をやらせても運動能力は頭抜けていた。
そして、ボクシンググローブをはめた9歳のとき、ロベイシ・ラミレスが何者であるかが、誰の目にも明らかになる。
ワンツーをその場で打たせた指導者がロベイシに聞いた。「誰に教わったんだ?」。
無駄な動きを全部削ぎ落とした、どこまでも美しいサウスポーだった。
9歳の男の子は答えに困って、バツが悪そうに笑った。
指導者は「まさか、今、初めてグローブをはめたのか?」と、驚いた。
ロベイシ・ラミレスは「次はどうしたらいい?」と聞きながら、指導者の周りをリズミカルなステップを踏んで、ワンツーを繰り返した。
指導者は「それだ、次はそれだ…」と、唖然とするしかなかった。
ユリオルキス・ガンボアもギレルモ・リゴンドーも間近で見てきた指導者は、すぐにハバナのナショナルチームの事務所に電話をかけた。
「まだ9歳だが、未来の金メダリストがシエンフエーゴスにいる」。
He was so poor he had to sell his gold medal (for $1,500) to pay for his daughter's first birthday.
「ユリオルキス・ガンボアは生活費と娘の誕生日プレゼントを買うために、金メダルを売った。いくらで売ったと思う?1500ドルだ」「オリンピアンにとってメダルは血と汗の対価であり、プライドそのものであり、自分自身でもあるんだ。俺たちがそれを売るってことは、売れるものなら何でも売るってことさ」(別のキューバの亡命ボクサー)。
「アメリカでは敵役にされる、もっとわかりやすくいうとBクラスの〝特等席〟がキューバ人には用意されているわけさ。ガンボアが万全ならテレンス・クロフォードやガーボンタ・デービスごときに負けるわけがない。奴らと戦ったときのガンボアは、もはやガンボアではなかった、それはボクシングを見てる人なら誰にでもわかること」(高名なキューバ人トレーナー)。
「奴らはガンボアと戦う練習をきっちりして、ガンボアが試合日程と相手を教えられるのは、そのずっとあとだ。その逆は絶対にない。衰えた急ごしらえのガンボアを上の階級に引っ張り上げて、金メダリストをKOした、箔が付いたと思ってやがるんだ。一つだけ確かなことは、クロフォードみたいなのが金メダル獲るのは絶対無理ってことだ」(とても高名なキューバ人トレーナー)。

2018年7月。メキシコの高地アグアスカリエンテス。キューバのナショナルチームが、東京五輪に備えて強化合宿を行なっていた。
GO!for TOKYO!
綺羅、星の如きエリートボクサーの中でも、ロベイシ・ラミレスは別格だった。テオフィロ・ステベンソンに並ぶ五輪3連覇の大偉業が期待されていたのだ。
標高2,000メートルに近い高地、朝夕は冷え込んだ。
ある日のある真夜中。
ラミレスは寝ていなかった。静かに起きると、バックパックに必要最低限のものを詰め込むと合宿所を抜け出した。
「そのときのことは、今でもよく覚えている。とにかく緊張した」。「鳥肌がたっているのが分かった。それが恐怖のせいなのか、高所の寒さのせいなのかはわからなかったけど」。
ブローカーが用意したトラックが待つ麓まで、真っ暗闇の山道を一気に走って駆け降りた。
朝になると、同じ名前を何度も叫ぶコーチの点呼の声が、徐々に怒りを含んで、大きく響き渡っていた。
ロベイシー!エロイ!ラミレス!カラサーナ!
残されたチームメイトは、その場に立ちすくんでいた。
コーチが本気で怒っていないことは、みんなわかっていた。
みんなロベイシ・ラミレスが大好きだった。ラミレスはアメリカに行って成功すべき才能だと、誰もが信じていた。
コーチが本気で怒った声を聞いたのは、1年1ヶ月後、ロベイシ・ラミレスのデビュー戦のニュースを聞いたときだった。
コーチは怒りに震えて泣いていた。
ふざけるなよ、あいつが負けるわけがないだろ!何かの間違いだ!
ちゃんと食事を採れてたのか?ちゃんとトレーニングはできてたのか?アメリカ人から嫌がらせでも受けてたのか?
**************
ロベイシ・エロイ・ラミレス・カラサーナは1993年12月20日、首都ハバナから南へ約230㎞離れたシエンフエーゴス州シエンフエーゴスで生まれた。
2019年、25歳の若者は、複数年契約を結んだトップランクの広報に「勉強は苦手だったらしいね」と聞かれると「苦手じゃないよ。苦手ってのはやっても出来ないってことだろう。僕の場合はやらなかったんだから、勉強が苦手か得意かなんて誰にもわからないのさ」と、愛くるしい笑顔を返した。
小さい頃から勉強の成績は悪かったが、スポーツはなんでも出来た。野球、バスケットボール、バレーボール…何をやらせても運動能力は頭抜けていた。
そして、ボクシンググローブをはめた9歳のとき、ロベイシ・ラミレスが何者であるかが、誰の目にも明らかになる。
ワンツーをその場で打たせた指導者がロベイシに聞いた。「誰に教わったんだ?」。
無駄な動きを全部削ぎ落とした、どこまでも美しいサウスポーだった。
9歳の男の子は答えに困って、バツが悪そうに笑った。
指導者は「まさか、今、初めてグローブをはめたのか?」と、驚いた。
ロベイシ・ラミレスは「次はどうしたらいい?」と聞きながら、指導者の周りをリズミカルなステップを踏んで、ワンツーを繰り返した。
指導者は「それだ、次はそれだ…」と、唖然とするしかなかった。
ユリオルキス・ガンボアもギレルモ・リゴンドーも間近で見てきた指導者は、すぐにハバナのナショナルチームの事務所に電話をかけた。
「まだ9歳だが、未来の金メダリストがシエンフエーゴスにいる」。
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