サッカー強国になるには、長い時間をかけてサッカーを文化に昇華させなければならない。

日本にはまだ文化と呼べるまでに、サッカーが熟成されていないから勝負所で綻びが出る。

ーーーそんな言い分はクソ喰らえ、である。

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ずっと昔…。昭和の時代、あちこちに〝夢想花〟が咲いていました。

大きな挫折や不幸、失恋…波瀾万丈の人生経験は演歌歌手の唄に生命の艶を吹き込み、土壇場に追い込まれた棋士に起死回生の一手を指させる。

そんな〝夢想花〟を羽生善治は「あり得ない」と一笑に付しました。

人生経験という点では話にならない藤井聡太という才能が走り出した令和の時代、勝負事において必要なのは正しい練習と厳しい鍛錬であることは誰もが分かっています。

波瀾万丈の人生経験など、余計な荷物、時間の無駄でしかありません。

それでも、もしかしたら、歌謡曲の世界ではまだ夢想花が咲いているのかもしれません。

それは、良い意味でのお花畑です。

最近、読売新聞に連載されていた五木ひろしの「時代の証言者」の行間には、そんな〝夢想花〟がちらちら咲いている気がしました。


しかし、スポーツの世界にお花畑はありません。

それなのに、サッカーの世界では、そんな〝昭和の夢想花〟がまだ咲いているのです。

おそらく、演歌ファンは唄に、その歌い手の人生を重ねて見ようとしたがる性質を本能的に孕んでいるのかもしれません。

もちろん、芸術は専門の大学や養成所で素晴らしい成績を残した人の唄や作品が売れるような単純な世界ではありません。

しかし、スポーツは力だけが支配する分かりやすい世界です。

昨日、U-20女子日本代表がブラジル代表を競り落とす勝負強さを見せました。あの勝利の背景に、深いサッカー文化があったと考える人は1人もいません。

昨日の勝利は、彼女たちの技術と根性が、ブラジルを凌駕していた、ただそれだけのことです。



それでも、悔しいかな、負けてる限りは、そんな馬鹿げたことが、さも正論のように大手振って闊歩してしまうのです。






日本のお花畑が、ドイツに踏み潰されるまで、あと88日になりました。