「ボクマガ青春情熱物語」とタイトルしながらも、今回は「ワールド・ボクシング」です。
「ワールド・ボクシング」は、現在の「ボクシング・ビート」のルーツ。
1968年1月創刊のボクシング・プロレス専門誌「ゴング」から1982年年4月にボクシング部門が独立、「ワールド・ボクシング」として創刊されました。
出版・発売元は日本スポーツ出版社(NSP)。
経営難から2004年6月号から制作をMACC出版へ移行、それでも2006年9月発売の10月号で休刊を余儀なくされてしまいます。
2006年11月号から「ボクシング・ワールド」として再出発。しかし、売り上げは伸びず、2009年6月号を最後にまたも休刊に追い込まれます。
2009年7月には「ボクシング・ビート」8月号として復活、現在に至っています。
「ビート」の系譜は波乱万丈でしたが、実質的な休刊時期はほとんどなく、ゾンビのようにすぐに蘇って書店に並び続けてきました。
そんなタフな血が流れる「ビート」の源流「ワールド・ボクシング」は多くの名物企画・連載に彩られてきました。
佐瀬稔の「感情的ボクシング論」、ジョー小泉の「リング誌だより」、三浦勝夫の「ラテン・リングスコープ」、具志堅用高の「ボクシング教室」…。
寺内は作家、スポーツライターで、リングサイドでボクシングの解説や非公式の採点もしていました。
本業は浄土宗の僧侶で、名僧の格言などを織り交ぜ、ワーボク誌面で説法を繰り広げていました。
ご紹介するのは昭和60年(1985年)9月号の「大吉リング説法」。渡辺二郎のフットワークに焦点を絞った説法の概略、一部わかりやすいように加筆しています。
*****宮本武蔵や柳生宗矩をはじめ名だたる武芸者に「剣禅一如」を説き、江戸剣法の基礎を作った禅僧・沢庵和尚の言葉「水を踏むこと地の如し、地を踏むこと水の如し」は、武術におけるフットワークをずばり言い当てたもの。
水を踏むとは足裏で水面を掴むように、滑らかに動くこと。直線的、硬直的ではないスリ足の動きだ。
ぼくは、ソウルの金喆鎬戦から渡辺二郎のフットワークにその片鱗を見てきた。絶妙の距離を保って、敵の裏側へ、からめ手へとポジションを転じていく動きは、西洋の科学的なリズムではなく、東洋の自然の旋律に他ならない。
渡辺は日本拳法から無意識にこの旋律を体得したのだろうが、こんな芸当は拳法をやったからと言って誰にでもできるものではない。
そもそも、拳法とボクシングは異なる。あの位置取りは、天才だからできるものである。*****
まさに、吉川英治の「宮本武蔵」の世界観、最強論です。
寺内は2008年9月6日に遷化(高僧が亡くなること)してしまいました。
もし、現代に生きていたら井岡一翔のボクシングを「これぞまさしく禅である」と喝破していたかもしれません。
「ワールド・ボクシング」は、現在の「ボクシング・ビート」のルーツ。
1968年1月創刊のボクシング・プロレス専門誌「ゴング」から1982年年4月にボクシング部門が独立、「ワールド・ボクシング」として創刊されました。
出版・発売元は日本スポーツ出版社(NSP)。
経営難から2004年6月号から制作をMACC出版へ移行、それでも2006年9月発売の10月号で休刊を余儀なくされてしまいます。
2006年11月号から「ボクシング・ワールド」として再出発。しかし、売り上げは伸びず、2009年6月号を最後にまたも休刊に追い込まれます。
2009年7月には「ボクシング・ビート」8月号として復活、現在に至っています。
「ビート」の系譜は波乱万丈でしたが、実質的な休刊時期はほとんどなく、ゾンビのようにすぐに蘇って書店に並び続けてきました。
そんなタフな血が流れる「ビート」の源流「ワールド・ボクシング」は多くの名物企画・連載に彩られてきました。
佐瀬稔の「感情的ボクシング論」、ジョー小泉の「リング誌だより」、三浦勝夫の「ラテン・リングスコープ」、具志堅用高の「ボクシング教室」…。
寺内大吉の「大吉リング説法」も、そんな名物連載の一つ。
本業は浄土宗の僧侶で、名僧の格言などを織り交ぜ、ワーボク誌面で説法を繰り広げていました。
ご紹介するのは昭和60年(1985年)9月号の「大吉リング説法」。渡辺二郎のフットワークに焦点を絞った説法の概略、一部わかりやすいように加筆しています。
*****宮本武蔵や柳生宗矩をはじめ名だたる武芸者に「剣禅一如」を説き、江戸剣法の基礎を作った禅僧・沢庵和尚の言葉「水を踏むこと地の如し、地を踏むこと水の如し」は、武術におけるフットワークをずばり言い当てたもの。
水を踏むとは足裏で水面を掴むように、滑らかに動くこと。直線的、硬直的ではないスリ足の動きだ。
ぼくは、ソウルの金喆鎬戦から渡辺二郎のフットワークにその片鱗を見てきた。絶妙の距離を保って、敵の裏側へ、からめ手へとポジションを転じていく動きは、西洋の科学的なリズムではなく、東洋の自然の旋律に他ならない。
渡辺は日本拳法から無意識にこの旋律を体得したのだろうが、こんな芸当は拳法をやったからと言って誰にでもできるものではない。
そもそも、拳法とボクシングは異なる。あの位置取りは、天才だからできるものである。*****
まさに、吉川英治の「宮本武蔵」の世界観、最強論です。
寺内は2008年9月6日に遷化(高僧が亡くなること)してしまいました。
もし、現代に生きていたら井岡一翔のボクシングを「これぞまさしく禅である」と喝破していたかもしれません。

コメント
コメント一覧 (1)
そういえば派手な足サバキではありませんでした。
お手本がマービン ハグラーでいく時は、すべてをかけてラッシュして、どつきあいすることが、印象的でした。
井岡一翔も、じみですが、構えのチガイあれど、
サパタとおなじく
斜め後ろに下がり外回りして、側面から攻める
ほんとうにフットワークだけでも奥深いです。
フシ穴の眼
が
しました