紙媒体からボクシングを振り返る。

今夜は、今からちょうど30年前。ボクシングマガジン1992年8月号からです。 

巻頭カラーページは「右一閃。歴史は創られたーユーリ、プロの頂点へ到達」。

1992年6月23日、ユーリ・アルバチャコフ(当時の登録名はユーリ海老原)が両国国技館でWBCフライ級王者ムアンチャイ・キティカセムを8ラウンド2分59秒で沈めて、旧ソ連初の世界チャンピオンになりました。 

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強いチャンピオンは日本にはまず、来ません。正確には、日本側が呼びません。わざわざ、負け戦をする必要がないからです。

ムアンチャイはそんな「強いチャンピオン」の典型でした。

マイケル・カルバハルと死闘を演じたムアンチャイを失神KOしてタイトルを奪うと、再戦は敵地バンコクでもストップ勝ち。

ウーゴ・ソトのボディを一刀両断した強烈なパンチ。

ピューマ渡久地との舌戦・試合前の乱闘と、ワンサイドゲーム。 

日本のジム所属のフライ級ファイターで、史上最高は誰か?

大場政夫かユーリの二択ですが、これは甲乙つけ難い。

大場をリアルタイムで知らない、ユーリの試合は2度見ている私にとってはシベリア連邦管区からやって来たアジア系ロシア人のユーリを推します。

この二人が戦うとなれば、強烈極まる右ストレートの応酬、KO必死のとんでもないスペクタクルになったはずです。

この試合は旧ソ連のボクサーが初めて世界王者に就いたエポックになっただけでなく、日本は21年ぶりに史上最多タイの5人(ユーリ/井岡弘樹/鬼塚勝也/辰吉丈一郎/平仲明信)の世界王者を抱える〝黄金期〟を迎えます。

あのエドウィン・ロサリオを1ラウンドで粉砕してWBAジュニアウェルター級のストラップを奪った平仲のライバル王者はフリオ・セサール・チャベス。

ロサリオ戦でもリングサイドに陣取ったドン・キングが主導権を握っていたクラスだけに、夢のカードが実現していたかもしれません。

この号の平仲への質問企画でもファンから「チャベスと戦って欲しい」という声が数多く寄せられていました。

まさか、初防衛戦でオーバーワークがたたり、モーリス・イーストに負けるとは…。誰も予想だにしていませんでした。

辰吉と鬼塚という2大スターが牽引していた時代でしたが、ユーリのイベントでは深い闇もさらけ出してしまいます。

「どんなに実力があっても外国人は人気が出ない」という理由から「ユーリvsムアンチャイ」という世界軽量級最高のカードはメインイベントではなかったのです。

メインに登場したのは俳優のミッキー・ローク。現代につながる茶番劇の先駆けの一つでした。

あまりにもお粗末な実力からカリフォルニア州や英国のコミッションはロークのライセンス交付申請を却下、特に英国は「限度を超えてスキルがないボクサーは危険。そして、ボクシングは茶番劇ではない」と断固たる態度を見せました。

試合前から国技館の観客席には若い女性やカップルが目立ち、集客には一定の効果を上げたとはいえ、JBCも「質の悪い外国人選手をリングにあげるべきではない」と、興行側の協栄ジムを注意。

高級な寿司やフランス料理のフルコースの後に残飯を出すような愚劣極まるイベントに、当時のボクシングファンも不快感を募らせていました。

とはいえ…。

責任、最も責めを負うべきはロークでも協栄でもなく、一見さんお断りな空気を醸し出し「ユーリの凄さがわからんのか」としたり顔するファンにあったのかもしれません。