井上尚弥は「パッキャオの風景が見たい」と憧憬しました。
もちろん、マニー・パッキャオはボクシングが強かっただけではなく、いくつもの奇跡が複合的に溶け合って空前絶後の化学反応を起こした、本物のモンスターです。
パッキャオが米国デビューを果たしたのは2001年6月23日、日本時間では6月22日ですから21年前のちょうど明日になります。

ケリー・パブリック…当時から過大評価臭しか匂いませんでしたが、パックメイとのスリーショットはキツ過ぎます。そして、ドネアはリング誌を単独カバーすることは一度もないままに、キャリアを終えそうです。
当時ボクシングシーンの主役だったオスカー・デラホーヤのメガファイトのセミファイナルで、IBFジュニアフェザー級王者リーロ・レジャバの対戦相手が直前でキャンセル。急遽白羽の矢が立てられたのがパッキャオでした。
同じ年の4月7日にはマルコ・アントニオ・バレラがナジーム・ハメドを撃退、エリック・モラレスやファン・マヌエル・マルケスとメキシコのスーパースターが3人も雁首並べてフェザー級の覇権を争っていたのです。
ちなみに、バレラvsハメドはHBOのPPVで、MGMグランドガーデンのアリーナが舞台。フェザー級の試合がここまで注目されたことは、現在までも歴史上一度もありません。
井上をはじめ、多くの人が「フェザー級になると景色が変わる」と考えているのは、このあまりにも特殊なメガファイトの印象からでしょう。
パッキャオがメキシカン3人のPFPファイターの引き立て役として選ばれるのは、必然でした。
それにしても、無名のフィリピン人が重厚なメキシコ包囲網を突破するなど、誰も想像だにしていませんでした。
しかも、それを成し遂げたときに、米国気質が偏愛的に好むサイドストーリーを、パッキャオは豊穣なまでに内包していたのです。

極貧の家庭に生まれ、勝利給100ペソ(2ドル=約200円)の草拳闘で家族を支えながら、年齢を詐称してまでプロボクサーになった少年の希望は母親と弟妹を極貧から救うことでした。
世界フライ級王者になり、1万ドル単位のファイトマネーを稼ぐ頃には、地元でも有数の大金持ちになっていました。
しかし、その頃には新たな希望が胸の奥底に芽生えていました。「家族は幸せになったが、町には病院も学校もない。周りには貧困に喘ぐ人で溢れている」。
スポーツイラストレイテッド誌やニューヨークタイムズなどの評伝では、世界フライ級王者になった頃に「政治家になって国を救う」という夢を固めたとされていますが、弟のボビー・パッキャオは「小さい頃から大統領になると宣言していた」と語っています。
まだ、一家が段ボールを敷いた床にバナナの葉などで覆った粗末な〝家〟に住んでいた頃です。
ボビー「天井のある家に住めたら、夜中に雨が降ってもゆっくり寝れるのに」。
マニー「バナナの葉でも天井だ。隙間から星が見えるし、考えてみれば贅沢かもな」。
ボビー「星なんて見えなくていいから本物の天井や壁や柱がある家に一度でいあから住んでみたいよ」。
マニー「今に大金持ちになって天井も壁もある大きな広い家に住ませてやる。それまで、星を見てるんだ」。
ボビー「それよりもお腹が空いたよ。コメや肉や野菜をお腹いっぱい食べてみたい」。
マニー「今に好きなだけ食べさせてやる。病気になっても薬がもらえる病院を建てる。お金がなくても通える学校も作る」。
ボビー「お祭りでボクシングしてるだけじゃ、病院なんて建てられるわけないよ」。
マニー「俺は将来、この国の大統領になる」。
ボビー「大統領って病院を建てる大工さん?」。
マニー「そうだ。病院だけじゃないぞ。貧しい人のために家や学校、なんでも作れる人が大統領だ」。

試合10日前にラスベガスから舞い込んだオファーに即答した青年。
アジアのボクサーが、メキシコとアメリカが仕組んだリングで正々堂々と戦い、次々に大番狂わせを起こしていったのです。
人気階級のウェルター級は全階級を通じて最も厳しい難関クラスですが、そこで待っていたのは全盛期が過ぎた超ビッグネームたちでした。
さらには、フロイド・メイウェザーという絵にも描けないようなライバルまで登場してくれたのです。
井上は、伝説級のメキシカンどころか、まともなメキシカンにすら恵まれていません。
もし、井上に〝バレラ〟や〝モラレス〟がいたとしても、初戦は村田諒太のゲンナジー・ゴロフキンのように日本に引っ張り込んだでしょう。
〝バレラ〟も圧倒的有利の試合と見て日本に来たはずです。
もちろん、日本で井上が〝バレラ〟を粉砕すると、今度は完全アウエーのラスベガスやテキサスの大会場に引っ張り込まれることになります。
井上に欠けているのはメキシコのスーパースターだけではありません。
井上は優れたアスリートの1人に過ぎず、アメリカンドリームの下地になる物語が抜け落ちているのです。
もし、井上がパッキャオまでは行かないまでも、ライト級の猛者と互角に渡り合うような場所まで辿り着いても、ビッグファイトのいくつかは日本開催になります。
パッキャオが敵地で強豪を粉砕し続けることで、尊敬と畏怖だけでなく、メキシコ系の人気まで手に入れたことは、驚異的に見えますが必然でした。
井上がパッキャオになるためには「不人気階級からの脱出」だけでなく、アジアやアフリカの極貧国で生まれ、アメリカンドリームの「物語を形成する序章」を持っていなければなりません。
「大勝負になると東京ドームに帰る裕福な日本人」では、メキシコのアンチを増やすだけです。
微妙な判定は「バンザイ・ジャッジ」「モンスター・スコア」と非難されるかもしれません。
そこまで行けば十分素晴らしいのですが、そもそも富裕国に生まれその恩恵に存分に浴してきた井上が、パッキャオのように危険な冒険に乗り出す必要がありません。
パッキャオには、その必要があったのです。
ノニト・ドネアは全く人気のない軽量級というだけでなく、パッキャオのアンダーカード出場を頑なに拒否し続けたがために、米国で大舞台が用意されることはついに一度もありませんでした。
ドネアは井上だけでなく、カール・フランプトンとの試合でも「どこで試合をするかはスポーツライクな話ではない。カネの話だ」と、敵地に乗り込むしかなかったのです。
ギレルモ・リゴンドー との不人気階級の不人気選手対決では、モンティエル戦でも赤字だった西海岸でやると大事故になりますから、キューバ系住民も多いニューヨークのミュージックホールで開催されます。
ドネアは、とうしたら良かったのでしょうか。もちろん、パッキャオの前座なら居場所がありました。
しかし、それがどうしても嫌なら…。
パッキャオほどではないものの、貧しい幼年時代と米国移住を体験したドネアは、井上とは違い「物語を形成する序章」を持っています。
トップランクが、GBPへの移籍を図ったドネアへの懲罰として仕向けられたリゴンドー と、ニコラス・ウォータースを倒し、続く刺客オスカル・バルデスからも逃げずに粉砕すれば良かったのです。
そうなると、ボブ・アラムも真っ青になって頭を抱えていたでしょう。そして、ウォータースの代わりにワシル・ロマチェンコと戦い、ウクライナのハイテクまで破壊していたら?
まさに〝番場蛮のハラキリ〟です。
もちろん、ドネアにはその実力が大きく欠落していました。実質フライ、ジュニアバンタム、バンタム止まりのファイターでした。
誰と比べとんねん!という話ですが、ボクシング界の不公平を嘆くドネアにはそんな説明しか出来ません。
最近なら、ファン・フランシスコ・エストラーダらも同類です。
文句を言うなら、人気階級で勝ちゃあ良いだけです。
それでも、フライ、バンタム、ジュニアフェザー、フェザーの軽量級4階級を制覇。軽量級としては稀有のFighter of the yearにも輝きました。
トップランクからは屈辱的な対応を受けた末にお払い箱になっても、バンタム級に出戻り最後の花を日本で咲かせ、フィリピン人の軽量級としてはこれ以上ない大きな成功を収めました。
いつもアウエーで戦う不条理、当然対戦相手に有利な条件がリングの内外で整えられたリング、それに不平を言う気持ちは理解出来ます。
パッキャオのように破格の報酬が約束されているならまだしも…。
ドネアの報酬は井上が2億円超なら1億円あっても良いと思いますが、現実は発表できないほど遥かに少ないのでしょう。

今回、ドネアは来日当初から体が萎んでいる、覇気がないと言われ、グローブ問題へのクレームなどいつになく神経質になっていました。
もしかしたら、ビクター・コンテの魔法が使えなかったのかもしれません。
山中慎介からタイトルを掠め獲ったルイス・ネリに、帝拳は150万円以上を負担して事前のドーピング検査を受けさせていました。
コンテを迎え入れ、不自然なカムバックを果たしたドネアを帝拳が見逃すとは思えません。
圧勝しか予想されていなかった初戦で、ロートルのドネアがまさか、あんなに強いとは、とファンやメディアだけでなく、陣営も驚いたでしょう。
再戦では、ネリのとき以上に厳格な検査を求められたため、ドネアがいつもの魔法を使えなかったというのは、ウガった見方でしようか?
しかし、史上最悪のドーピング犯罪者とわざわざ手を組んだドネアは、李下に冠を正したのです。
もちろん、マニー・パッキャオはボクシングが強かっただけではなく、いくつもの奇跡が複合的に溶け合って空前絶後の化学反応を起こした、本物のモンスターです。
パッキャオが米国デビューを果たしたのは2001年6月23日、日本時間では6月22日ですから21年前のちょうど明日になります。

ケリー・パブリック…当時から過大評価臭しか匂いませんでしたが、パックメイとのスリーショットはキツ過ぎます。そして、ドネアはリング誌を単独カバーすることは一度もないままに、キャリアを終えそうです。
当時ボクシングシーンの主役だったオスカー・デラホーヤのメガファイトのセミファイナルで、IBFジュニアフェザー級王者リーロ・レジャバの対戦相手が直前でキャンセル。急遽白羽の矢が立てられたのがパッキャオでした。
同じ年の4月7日にはマルコ・アントニオ・バレラがナジーム・ハメドを撃退、エリック・モラレスやファン・マヌエル・マルケスとメキシコのスーパースターが3人も雁首並べてフェザー級の覇権を争っていたのです。
ちなみに、バレラvsハメドはHBOのPPVで、MGMグランドガーデンのアリーナが舞台。フェザー級の試合がここまで注目されたことは、現在までも歴史上一度もありません。
井上をはじめ、多くの人が「フェザー級になると景色が変わる」と考えているのは、このあまりにも特殊なメガファイトの印象からでしょう。
パッキャオがメキシカン3人のPFPファイターの引き立て役として選ばれるのは、必然でした。
それにしても、無名のフィリピン人が重厚なメキシコ包囲網を突破するなど、誰も想像だにしていませんでした。
しかも、それを成し遂げたときに、米国気質が偏愛的に好むサイドストーリーを、パッキャオは豊穣なまでに内包していたのです。

極貧の家庭に生まれ、勝利給100ペソ(2ドル=約200円)の草拳闘で家族を支えながら、年齢を詐称してまでプロボクサーになった少年の希望は母親と弟妹を極貧から救うことでした。
世界フライ級王者になり、1万ドル単位のファイトマネーを稼ぐ頃には、地元でも有数の大金持ちになっていました。
しかし、その頃には新たな希望が胸の奥底に芽生えていました。「家族は幸せになったが、町には病院も学校もない。周りには貧困に喘ぐ人で溢れている」。
スポーツイラストレイテッド誌やニューヨークタイムズなどの評伝では、世界フライ級王者になった頃に「政治家になって国を救う」という夢を固めたとされていますが、弟のボビー・パッキャオは「小さい頃から大統領になると宣言していた」と語っています。
まだ、一家が段ボールを敷いた床にバナナの葉などで覆った粗末な〝家〟に住んでいた頃です。
ボビー「天井のある家に住めたら、夜中に雨が降ってもゆっくり寝れるのに」。
マニー「バナナの葉でも天井だ。隙間から星が見えるし、考えてみれば贅沢かもな」。
ボビー「星なんて見えなくていいから本物の天井や壁や柱がある家に一度でいあから住んでみたいよ」。
マニー「今に大金持ちになって天井も壁もある大きな広い家に住ませてやる。それまで、星を見てるんだ」。
ボビー「それよりもお腹が空いたよ。コメや肉や野菜をお腹いっぱい食べてみたい」。
マニー「今に好きなだけ食べさせてやる。病気になっても薬がもらえる病院を建てる。お金がなくても通える学校も作る」。
ボビー「お祭りでボクシングしてるだけじゃ、病院なんて建てられるわけないよ」。
マニー「俺は将来、この国の大統領になる」。
ボビー「大統領って病院を建てる大工さん?」。
マニー「そうだ。病院だけじゃないぞ。貧しい人のために家や学校、なんでも作れる人が大統領だ」。

試合10日前にラスベガスから舞い込んだオファーに即答した青年。
アジアのボクサーが、メキシコとアメリカが仕組んだリングで正々堂々と戦い、次々に大番狂わせを起こしていったのです。
人気階級のウェルター級は全階級を通じて最も厳しい難関クラスですが、そこで待っていたのは全盛期が過ぎた超ビッグネームたちでした。
さらには、フロイド・メイウェザーという絵にも描けないようなライバルまで登場してくれたのです。
井上は、伝説級のメキシカンどころか、まともなメキシカンにすら恵まれていません。
もし、井上に〝バレラ〟や〝モラレス〟がいたとしても、初戦は村田諒太のゲンナジー・ゴロフキンのように日本に引っ張り込んだでしょう。
〝バレラ〟も圧倒的有利の試合と見て日本に来たはずです。
もちろん、日本で井上が〝バレラ〟を粉砕すると、今度は完全アウエーのラスベガスやテキサスの大会場に引っ張り込まれることになります。
井上に欠けているのはメキシコのスーパースターだけではありません。
井上は優れたアスリートの1人に過ぎず、アメリカンドリームの下地になる物語が抜け落ちているのです。
もし、井上がパッキャオまでは行かないまでも、ライト級の猛者と互角に渡り合うような場所まで辿り着いても、ビッグファイトのいくつかは日本開催になります。
パッキャオが敵地で強豪を粉砕し続けることで、尊敬と畏怖だけでなく、メキシコ系の人気まで手に入れたことは、驚異的に見えますが必然でした。
井上がパッキャオになるためには「不人気階級からの脱出」だけでなく、アジアやアフリカの極貧国で生まれ、アメリカンドリームの「物語を形成する序章」を持っていなければなりません。
「大勝負になると東京ドームに帰る裕福な日本人」では、メキシコのアンチを増やすだけです。
微妙な判定は「バンザイ・ジャッジ」「モンスター・スコア」と非難されるかもしれません。
そこまで行けば十分素晴らしいのですが、そもそも富裕国に生まれその恩恵に存分に浴してきた井上が、パッキャオのように危険な冒険に乗り出す必要がありません。
パッキャオには、その必要があったのです。
ノニト・ドネアは全く人気のない軽量級というだけでなく、パッキャオのアンダーカード出場を頑なに拒否し続けたがために、米国で大舞台が用意されることはついに一度もありませんでした。
ドネアは井上だけでなく、カール・フランプトンとの試合でも「どこで試合をするかはスポーツライクな話ではない。カネの話だ」と、敵地に乗り込むしかなかったのです。
ギレルモ・リゴンドー との不人気階級の不人気選手対決では、モンティエル戦でも赤字だった西海岸でやると大事故になりますから、キューバ系住民も多いニューヨークのミュージックホールで開催されます。
ドネアは、とうしたら良かったのでしょうか。もちろん、パッキャオの前座なら居場所がありました。
しかし、それがどうしても嫌なら…。
パッキャオほどではないものの、貧しい幼年時代と米国移住を体験したドネアは、井上とは違い「物語を形成する序章」を持っています。
トップランクが、GBPへの移籍を図ったドネアへの懲罰として仕向けられたリゴンドー と、ニコラス・ウォータースを倒し、続く刺客オスカル・バルデスからも逃げずに粉砕すれば良かったのです。
そうなると、ボブ・アラムも真っ青になって頭を抱えていたでしょう。そして、ウォータースの代わりにワシル・ロマチェンコと戦い、ウクライナのハイテクまで破壊していたら?
まさに〝番場蛮のハラキリ〟です。
もちろん、ドネアにはその実力が大きく欠落していました。実質フライ、ジュニアバンタム、バンタム止まりのファイターでした。
誰と比べとんねん!という話ですが、ボクシング界の不公平を嘆くドネアにはそんな説明しか出来ません。
最近なら、ファン・フランシスコ・エストラーダらも同類です。
文句を言うなら、人気階級で勝ちゃあ良いだけです。
それでも、フライ、バンタム、ジュニアフェザー、フェザーの軽量級4階級を制覇。軽量級としては稀有のFighter of the yearにも輝きました。
トップランクからは屈辱的な対応を受けた末にお払い箱になっても、バンタム級に出戻り最後の花を日本で咲かせ、フィリピン人の軽量級としてはこれ以上ない大きな成功を収めました。
いつもアウエーで戦う不条理、当然対戦相手に有利な条件がリングの内外で整えられたリング、それに不平を言う気持ちは理解出来ます。
パッキャオのように破格の報酬が約束されているならまだしも…。
ドネアの報酬は井上が2億円超なら1億円あっても良いと思いますが、現実は発表できないほど遥かに少ないのでしょう。

今回、ドネアは来日当初から体が萎んでいる、覇気がないと言われ、グローブ問題へのクレームなどいつになく神経質になっていました。
もしかしたら、ビクター・コンテの魔法が使えなかったのかもしれません。
山中慎介からタイトルを掠め獲ったルイス・ネリに、帝拳は150万円以上を負担して事前のドーピング検査を受けさせていました。
コンテを迎え入れ、不自然なカムバックを果たしたドネアを帝拳が見逃すとは思えません。
圧勝しか予想されていなかった初戦で、ロートルのドネアがまさか、あんなに強いとは、とファンやメディアだけでなく、陣営も驚いたでしょう。
再戦では、ネリのとき以上に厳格な検査を求められたため、ドネアがいつもの魔法を使えなかったというのは、ウガった見方でしようか?
しかし、史上最悪のドーピング犯罪者とわざわざ手を組んだドネアは、李下に冠を正したのです。
コメント
コメント一覧 (3)
だがここでは許される
しかしアレですね
ビクターコンテの事を喋る人が不自然な程に誰も居ないのは何なんでしょうかね?
ボクシング関係者や詳しい人なら誰でも知ってそうですが
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました