こんな質問に自信を持って正解できる人が、いるわけありません。

答えは「清原和博が覚醒剤取締法(所持)違反で逮捕された日」です。

昔、むかし、私の高校時代の野球部の一つ上の先輩が清原の大ファンで、この事件でひどく落ち込んでいたので毎年2月2日、この先輩を囲んだ少人数の飲み会を開催しているのです。

少人数といっても、その実、私と私の同輩、そして先輩の3人だけなのですが。

先輩とか同輩とか書いてても分かりにくいので、仮名で。

私=三島、同輩=直木、先輩=川端。

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川端先輩は、とにかく不器用な人でしたが、野球の練習にも学校の勉強にも真っ直ぐ真面目で、そして何よりも利己的なところが全くなく、誰にでも分け隔てなく優しい男だったので、私達後輩も卒業後は「カワさん」と慕っているのです。

普通は「〇〇先輩」と苗字に先輩を付けるのが絶対デフォルトです。

陸上競技なら正選手を決めるのは「選考会で直接競わせて勝った方」という単純明快なやり方があります。

しかし、実力が数値化しにくい球技の場合は「実力が同等程度なら先輩や既成の正選手が優先される」のが基本です。

特に、私が通っていたような公立高校ではそういう傾向が顕著でした。私は川端先輩がレギュラーの三塁手で、ライバル関係にありました。

正選手が発表される試合の前日、監督から名前を呼ばれて背番号をもらうのですが、5番の背番号を持った監督が口に出したのは私の名前でした。

川端先輩は悔しそうに「えー、マジか…。くそ、負けへんぞ」と私の肩を叩いてくれました。

他のメンバーで声をかけてくれたのは「さすがやねぇ!やったな」と喜んでくれた直木だけでした。

そのあと、監督から職員室に呼ばれた私は「1年生やけど遠慮しないで暴れろ」と励ましてくれるものだと思ってましたが…。

監督は「川端がお前を使った方がチームが勝てる、って選手の分際で俺に進言してきた」「俺はお前の方がチームに貢献できるとは全く思わんけど、ライバルを起用してなんてゆう負け犬は使う気になれん」と、愚痴るのでした。

まだ1年生でしたが、すでに私は授業や練習をサボってイエローカードな生徒・選手で、監督からも「プロ野球の外人選手のつもりか?アホか?ちゃんと授業に出ろ」と、厳重注意されていました。

励まされると思ってたのに「仕方がないからお前をスタメンで使う」みたいな言い方されて、内心面白くなかった私は「川端に恥をかかせんなよ」という監督の声を背中に聞いて職員室を出ました。

選手だけでなく、監督も、川端先輩を大好きなんだというのがよく伝わったのですが、そのことも、ものすごく心の狭い話ですが、私には、本当に面白くなかったのです。

当時は口には出しませんが「余計なこと言いやがって」くらいなことまで、思っていました。それでも、そんな歪んだ性根の私でも川端先輩が自分なんかよりはるかに人間の器が上なのは、よ〜くわかってました。

同じポジションを争ってるのですから、何だろう、相手の性格とか人間までがよく見えてくるんです。

簡単にいうと、川端さんには人徳があって、私はそんなものカケラもない人間でした。

言い訳すると「外国人選手みたいに結果だけ出せばええんやろ、俺を使うしかないやろ」なんて思ってません。当時は、いろんな人付き合いが病的に嫌で嫌で、それでもスポーツとか読書とか映画は大好きで、社会不適合というか、無機質なものとしか向き合えないというか、人付き合いから逃げていたんです。

私が正選手に選ばれたことに、露骨に嫌味を言ってくる先輩や同輩もいました。

また、「お前は社会の落伍者、野球部でもみんなお前のことは快く思っていない。出席日数不足で退学になる前に自分から辞めろ」と粘着してくる先生もいました。

自分でも社会に適応できない「落伍者」という意識はありましたが、それをわざわざ本人の眼の前で吐き捨てる奴らの神経は間違ってると思いました。

とはいえ、こっちは社会不適合者で落伍者、あっちは神経いかれてても社会の中でちゃんと溶け込んでるわけです。

実際、高校を中退しようかとも思いましたが、野球部のチームメイトや先生の中には、私を受け入れてくれる人もいました。川端先輩はその一番手な人でした。

今なら、私のような生徒は自宅学習に切り替える選択肢があるのですが、当時はそんなものはありません。

それに、もし、そんなものがあれば、私の場合は川端先輩をはじめ、いろんな優しい人に会えませんでした。

川端先輩は同情から後輩の私を気にかけてくれてる感じが、とにかく全くありませんでした。お兄さんのように、普通に接してくれました。

そして、というか、今思うと「だから」なんですが、徳はあっても、とことん不器用で、とことん運もタイミングも悪い人でした。

それは、今でもそうなんですが、高校のときからそうでした。
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普通の公立高校だったので、専用の野球場などありません。野球部のグラウンドの外野の先というか外野に入り込むように、陸上部の300mトラックがあって、トラックの中にサッカー部のピッチまでありました。

私は小さい頃からどちらかというと運動が得意な方で、体力測定の50m走や1500m走はいつも学年で一番でした。学校のレベルが低いだけでしたが、陸上部からもマイルリレー(400×4=1600m)や冬の駅伝に助っ人として誘われていました。

よく声をかけてくれてたのが2年生ながら、というか女性ながら主将の石川先輩で柔道部も兼部してた猛者。しかも学業も半端なく優秀で、しかも容姿も淡麗で「天は彼女に何物を与えるんだ!」という文武両道・才色兼備の見本みたいな人でした。

石川先輩からは「陸上部の顧問の先生はマイルも走って欲しいみたいだけど、バトン練習あるし、そんなに時間とれへんやろ?」とか「駅伝の予選はなんとか1区走れる?一度10㎞走ってもらって、本番でどれくらい約束できるか教えて」とか、事務的・冷淡・ノルマ押し付け・一方的な言葉をかけられたのがほとんどで、私は「あ、はい」と短い返事をするだけでした。

それでも、石川先輩と同学年の川端先輩は「石川さんと仲ええなんて羨ましいなあ。俺も足速かったらなあ」みたいなことを何度か言ってきたので、あるとき「川端先輩、石川先輩のこと好きなんですか?」と聞きました。

あるときって、サードの守備練習で交互にノック受けてる時なんですが。

川端先輩は「ばっちこーい!…え?、三島、このタイミングで何聞いてくんねん!」と、三遊間のイージーゴロを見事に弾いてしまいました。

練習後に、川端先輩は「石川さんが大好きや。でも、俺なんかとは釣り合わんから、石川さんには絶対言うなよ」と、私の目をジッと見て言いました。

「(恥ずかしいから)誰にも言うなよ」ではなく「(迷惑かかるから)石川さんには言うなよ」という川端さん。

いろんなことで川端先輩に負い目やら借りがあるように感じていた私が「1回デートとか誘ってみません?なんかうまくいきそうな気がします」と言うと、川端先輩は「お前、彼女とかおらへんやろ!女の子と付き合ったこともないやろ!そんなお前に何ができんねん?」。

確かに女の子と付き合ったこともなければ、会話したこともほとんどありません。石川先輩との当時の会話も私は「はい」くらいしか言ってませんから、どう考えても会話とは言い難いやりとりでした。

しかし、川端先輩に何でもいいから喜んでもらいたいという気持ちが膨らんでいた私は「任せてください」と軽くガッツポーズをしてしまいました。

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あの頃、私が心を開いて話せる人なんて、ほとんどいませんでしたが、川端先輩はそんな希少な方の中でも、こっちからイジるほどの、敬愛すべき人。私から積極的に話しかけることができる、唯一の存在でした。

そう、敬愛って言葉がぴったりです。

今年1番の泥酔状態なので、話があちこち飛びますが、川端先輩はとにかく不器用な人だったんです。

受験も二浪。それなのに体育会の野球部に入って、最後の4年生でレギュラーになって、社会人野球にまで進んだのです。

これ、すごいことなんです。私レベルでは、到底不可能の大偉業です。

私たちの中で一番長く、野球をやった人でした。

社会人野球ですから、もちろん超大企業、選手引退後のキャリアも保証されていましたが、そこを辞めて学校の先生に。

その、カワさん(高校卒業後は先輩も同輩も後輩もOBからも「カワさん」と呼ばれています)は、一貫して清原の大ファン。

社会人になってから会うと「誰からも応援される松井秀喜やイチローよりも、味方のファンからもヤジを飛ばされたり応援すら止められたりしながらも打席に向かう清原の方が格好良くて立派な生き様だ」と酒を飲みながら訥々と語るのでした。

教室でも生徒に「どんなに逆風が吹いても、自分が大好きなことからは逃げるな。勝てなくてもいい。負けてもいい。でも絶対に逃げるな」ということを教えていたそうです。

そして…あの忌々しい2016年2月2日がやって来るのでした。

赤の他人の清原が自業自得の愚かな犯罪行為を犯しただけなのに、カワさんにはショックが大きくて、ずっと落ち込んでいました。

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わしらのプロミスド・ランド、大阪心斎橋のランドマーク(わしらだけの)。ロキ・リキテンスタインのカートゥーン。



カワさんを慰めるために始まった、毎年2月2日開催の湿っぽい飲み会。私の勤務先は東京や札幌とあちこち変わりましたが、その日は何が何でも大阪に馳せ参じました(むりくり大阪出張とか組み込んだり)。

今年の2月2日は「カワさん飲み会」は、もともと開催予定じゃありませんでした。

コロナだから、ではありません。

50過ぎのカワさんの結婚式だからです。お嫁さんはなんと20歳近くも年下。

本当なら2年前の2月2日に予定されていましたが、そこから昨年に延期、そして今年めでたく三度目の正直なはずでした。

しかし、まさかのオミクロン。

昨夜、カワさんから「いやぁ、受験は二浪やったけど、結婚は三浪やで。俺の人生、どないなっとんねん」と電話。

本当なら、慰めや励ましの言葉をお返しすべきなのですが、なんだかもう、おかしくておかしくて、ゲラゲラ笑い転げてしまいました。

2月2日は水曜日、平日ですから会社を休んで大阪の式場に馳せ参じる予定だったのでした。他の招待された方々もほとんどがそうだったはずです。

カワさんが悪いわけじゃありませんが、横浜在住の私なんかは2月2日に大阪に入って、5日まで宿を取るザ・スーパーファイトなお祭り騒ぎを覚悟していたというのに…。

親族含まなくても200人近い招待だったそうです。200人の予定を狂わせたのはオミクロンか、それともカワさんか…。

50過ぎた結婚式で、200人も呼ぶなよ…。確かに大ホテルの「ホーオー」だか「ヒショー」の間だったから、何の展覧会やねんと、突っ込んでましたが。

今回の状況に政府や自治体がどういう判断をするのかわかりませんが、最悪でもオンラインで、私の大嫌いなオンラインでも、力一杯はじけようと思います。