【7位】フレディー〝Tacoma Assassin〟スティール

 よく耳にする名前ではないかもしれないが、輝ける1930年代を彩ったミドル級チャンピオンだ。

プロデビューは1936年11月、なんと13歳のとき。当たり前だがミドル級ではなくフライ級だった。

徐々に大きくなる体と共に、ナチュラルに階級をアップ。ミドル級ではフレッド・アポストリ、ゴリラ・ジョーンズら元王者を撃破、1936年7月にエディ〝ベイブ〟リスコに判定勝ちしてタイトル奪取。

世界ミドル級のタイトルを5度防衛した〝タコマの暗殺者〟は1941年5月の試合を最後に引退。123勝58KO5敗11分の素晴らしい戦績を残した。

フライ級の13歳から、ミドル級の28歳まで。もしスティールが現代に舞い降りたら、11〜12階級制覇していたかもしれない。



【6位】チャーリー・バーレイ

まだ人種差別が合法だった時代、肌の色はボクサーにとって最も重要なことだった。

強すぎるバーレイは、白人コンテンダーから公然と対戦を回避され、一部の黒人王者ですら彼との対戦を嫌った。

不吉な悪魔のように彼を忌避したリストにはビリー・コンやマルセル・セルダン、そして黒人のシュガー・レイ・ロビンソンまでが名前を連ねる。

1944年にはライトヘビー級のアーチー・ムーアから4度ダウンを奪って圧勝、ムーアをして「史上最強のボクサー」と言わしめた。



【5位】スタンレー〝The Michigan Assassin〟ケッチェル

波乱万丈の人生を駆け抜ける〜それがボクサーの宿命だとするならケッチェルは、まさしくボクサーだった。


12歳でホームレスとなり、鉄道車両に身を隠しながら町から町へと流浪した。

16歳のとき、モンタナ州でタダ乗りの浮浪者を殴ることが仕事の巨漢の鉄道員を半殺しにした。

彼は酒場の用心棒となり、地下格闘技の世界で名を馳せる。

1908年にマイク〝ツイン〟サリバンを1ラウンドでノックアウトして世界タイトルを獲得。1年後にはライトヘビー級チャンピオンのフィラデルフィア・ジャック・オブライエンを粉砕、宿敵ビリー・パプケとは4戦3勝1敗。
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ケッチェルの最も有名な試合は、1909年にヘビー級王者ジャック・ジョンソンへの挑戦だ。試合前に「最終20ラウンドの判定まで持たせる」という台本が用意された八百長だったが、12ラウンドにケッチェルが裏切りの右フックでヘビー級王者からダウンを奪う。

白人ファンが拍手喝釆する中で、ジョンソンは嵌められたことに気づく。立ちあがったジョンソンは、一気に飛び込んできたケッチェルの顎に右ショートアッパーを炸裂させ、試合を終わらせた。


1年後の1910年10月15日、ケッチェルはミズーリ州で、女房を寝取られたと怒り狂った牧場主に銃殺されてしまう。まだ24歳だった。


【4位】ハリー〝Pittsburgh Windmill〟グレブ

激動の20年代に最も躍動したファイターがグレブだ。

練習嫌いだったが、週に2、3試合もこなすこともあったピッツバーグの人間風車はいつもシェイプアップされていた。

1913年のデビューから1926年まで戦い続けて残した生涯戦績は正確な記録が残っているだけで108勝49KO8敗3分。実際には298試合をこなしたと言われている。

そして、最も驚くべきは1921年にキッド・ノーフォークに眼球をサミングされて、視力を失っていたという事実だ。それ以降は、片目が見えない状態で戦ったいたのだ。

1922年5月、ジーン・タニーに挑んだ米国ライトヘビー級タイトルマッチ。タニーはのちのヘビー級王者で、グレブもミドル級王者になる。ヘビー級で名王者となるタニーが喫した唯一の敗北が、グレブにつけられた、この一戦だった。



【3位】マーベラス・マービン・ハグラー

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「マニー・パッキャオが完成するまでの史上最高のサウスポー」(バート・シュガー)と謳われた万能型のミドル級王者。

正確には、ハグラーはスイッチヒッターで、左右どちらの拳にも一撃の破壊力を秘めていた。

強打と技術、頑丈な顎、無尽蔵のスタミナ、恐るべき勝負への嗅覚…ボクサーとしての能力で欠けているものは、何一つないばかりか、そのどれもが最高レベルにあった。

シュガー・レイ・レナードとの試合は、30年以上経った今も議論を呼び続けている。そして、トーマス・ハーンズとの史上最も激しい3ラウンド。

80年代、米国リングの王様だったマーベラスは鮮明な記憶と共に、ボクシングファンの心の中で永遠に生き続けることになる。