33年前の1988年ボクシングマガジン6月号。

目を引いたのがヨネクラジムから暖簾分けされたヨネクラボクシングジム相模原の一面カラー広告。

「重量級集合!!」のヘッドラインに「身長173㎝以上・体重65㎏以上」「特にヘビー級(身長180㎝・体重80㎏以上の選手には更に特別待遇します」。

当時も今と変わらず、日本ランキングの最重量はミドル級。

現在は、ヘビー級で王者:上田龍と1位:竹原虎辰がランキングされていますが、わずか二人。それを言ってしまうとミドル級も3人しかいません。

33年前のミドル級も王者:大和武士から6位まで計7人しか人材はいません。

4回戦、6回戦ボーイを入れると競技人口としてはもう少し膨らむものの〝重量級〟の人材不足は相変わらず。

1995年に竹原慎二、2017年に村田諒太が世界ミドル級王者に就くものの、新しい種子を蒔くことにはつながらず、彼らは突然変異でしかないままです。
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1988年6月号のトピックスは「井岡弘樹の2度目の防衛戦」「イベンダー・ホリフィールドのクルーザー級3団体完全統一」「大橋秀行が張正九に再アタック」「ホープ対決で加納一也が浅川誠二をノックアウト」「浜田剛史引退〜さよなら琉球武士」。

井岡弘樹はナパ・キャットワンチャイを迎えた防衛戦でサウスポーへの対応が全くできない欠陥をさらけ出してしまい、最終回はノックアウト負け寸前に。なぜか30秒も早く鳴らされたゴングに救われ、後味が悪すぎる引き分け防衛。

鬼塚勝也の判定や、井岡のゴングは、世界の強豪が日本のリングを敬遠する一因になります。

井岡はナパとの再戦で完敗、ラバーマッチでKO負けとサウスポー恐怖症は不治の病でした。

クルーザー級は新設クラスでしたが、当時のホリフィールドはとにかく強かった。リングサイドで見守るタイソンも「非常に印象深い試合」と未来の天敵を評価していました。

そして、大橋は「150年に一度の奇跡が起きる」と今も変わらない大風呂敷を広げていました。

当時の3団体時代から団体は一つ増えたので、数字上は1.33倍、王者になりやすくなりましたが、王座の乱造、安易な階級制覇が横行し、現実はそれ以上です。

この33年間で、ボクシングへの一般的な関心も、絶対的にも相対的にも下落してしまいました。

それでも、井上尚弥がUndisputed Championに激しくアプローチ、中谷正義はライト級で大きな爪痕を残すステップを踏み、村田には世界的なメガファイトの期待が膨らんでいます。

今月は井上と中谷が相次いでラスベガスのリングに登場、夢をつなぎます。