1923年6月18日:ニューヨーク州ポログラウンズ
世界フライ級タイトルマッチ
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チャンピオンはジミー・ワイルド、挑戦者はパンチョ・ビラ。舞台はニューヨーク、ポログラウンズ。プロモーターはテクス・リカード。

何もかもが、伝説です。

ポログラウンズに詰めかけた大観衆は2万3000人。英国のチャンピオンが東海岸で熱狂的な声援を受けるのは、今も昔も変わりません。巨大スタジアムはワイルドへの声援一色だったはずです。

このとき王者の戦績は131勝98KO2敗1分。母国のロイヤル・アルバート・ホールでピート・ハーマンを17ラウンドKO(20回戦)した前戦は1921年1月13日に行われたもの。つまり、2年5ヶ月あまりも隠遁生活を送っていたのです。

信じられない戦績、20回戦、隠遁生活…。伝説です。

今なら休養王者に認定されて、暫定王者やらなんやらが乱立しているところでした。
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オリジナル8の時代、フライ級王者も今では考えられないほどの尊敬を集めていたはずです。
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一方のビラは66勝17KO6敗3分。

マニー・パッキャオの先駆けよろしく、米国ではヘビー級選手を相手にスパーリングをしていたといいます。

フィリピンの農村で水牛を追っていたビラを発見したのは、米国の探検家フランク・チャーチル。「人間離れした信じられないほど軽い身のこなしだった」。

熱狂的ボクシングファンで、ジム経営にも乗り出していたチャーチルは若者をニューヨークに連れ帰りました。

伝説です。

100年前の話です。10年に一つ尾ひれが付いたとしても10個付きます。

現実は、ビラはマニラのオリンピック・クラブでボクシングを始めていました。そして、このジムの経営者がチャーチルでした。

…どうでもいい話です。


1923年の6月18日、アジアで初めての世界チャンピオンが、ニューヨークのポログラウンズで誕生しましたのです。



アジアの国々が反目しあって、一番喜ぶのは誰でしょう?

いつか6月18日が「アジア・ボクシングの日」としてお祝いされ(シンコ・デ・マヨのように)、アジアの軽量級のメガファイトが東京や横浜、上海、マカオ、シンガポール、バンコクで、開催されることを願いたい。

ボクシングがマイナースポーツになり下がった米国のファンが羨むほどの。

そして、復活した韓国でソウルや釜山でも。

私たちが絶対に負けたくないあいつら!南北も統一したら、途轍もない強敵になるでしょう。 



米国が全く関心を示さない超軽量級ですが、奴らは基本的にバカです。アジアで大熱狂してたら、大相撲のように大枚叩いて呼び込むでしょう。

西岡や井上に「憧れ料」をボッタくった奴らから、いつかボッタくってやりましょう。利子つけて!