絶対不可能。

誰もがそう決めつけていたことを、簡単にひっくり返すのがヒーローです。


その名を聞いただけで絶望するしかない大病に打ち克ち、再び日本一になり、世界の頂点を目指す。

彼女が「パリを目指す」と決意したとき、誰もが「パリもその次の五輪も無理に決まってる」と口にこそ出さないものの、悲痛な思いに胸が締め付けられました。



最強の投球を投げ込んだそのイニングに、最強の打球をスタンドに叩き込む。

彼が私たちに降臨する以前に、世界最高峰の舞台でこんなことが起きると聞いても「漫画でも説得力がない」と笑い飛ばしたでしょう。


あり得ないことを、凡人の想像を超えるやり方で、やってのける。

大舞台で泳ぐだけでも感動で咽び泣くしかないというのに。

最高峰でマウンドと打席に立つだけで驚天動地だというのに。

もちろん、2人は特別な人間です。

そして、簡単にやっているように見えるのは、凡人の錯覚です。

「あれだけ才能があれば私にも出来るかもしれない」。…絶対に出来ません。

彼らの才能を与えられても、凡人は彼らの偉大な挑戦など思いつきもしません。

凡人は、神様からの挑戦状を読み取れずに大病に罹った不運をいたずらに泣き暮れ、旧態の指導に従って投手か打者の可能性を放擲するだけでしょう。

しかし、それは逆の視点から見ると、才能などなくとも絶対不可能の挑戦を選択し、巨大な風車に立ち向かった時点で、偉大だということです。
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片岡昇と藤本京太郎が見上げたヘビー級の高峰。

西島洋介と西澤ヨシノリが踏み入れたクルーザーの森。

世界ランキングに爪痕を残しながらチャンスなど巡って来るわけもなかった寺地永のライトヘビー。


彼らはドン・キホーテだったかもしれませんが、その拳は井上尚弥よりも遥かに重く、そのロマンは村田諒太よりもずっと清澄でした。



モハメド・アリは「不可能なんて存在しない」と断言しました。しかし、悲しいかな、それはヒーローだけに許された理屈です。

片岡も藤本も、西島も西澤も、寺地もみんな才能溢れる重量級でしたが、それはヒーローが持っていたものとは少しだけ種類が違いました。

不可能を可能にすることが偉大なのではありません。

不可能に挑戦することが偉大なのです。


彼らは、届くことのない天空に拳を突き挙げました。

天空に拳を突き挙げた、その時点で彼らは何者かになったのです。