ミドル級の呪い。

その栄光と没落のコントラストが残酷なまでに強烈なのは、注目を集める階級の〝人気税〟のようなものです。

それでも…ときにその代償があまりにも大きく、重すぎると感じるのは私だけではないでしょう。

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英国に史上最大の勝利をもたらしたランディ・ターピンもまた、ミドル級の呪いに絡め取られてしまいます。


1951年7月10日、英国ロンドンはケンジントン、アールスコートアリーナで100人が100人ともミスマッチと断定する世界ミドル級タイトルマッチが行われました。

挑戦者は当時23歳の英連邦王者ターピン。40勝29KO1分、22連勝中と、確かに勢いに乗っていました。

しかし、30歳の王者は世界に轟く強豪を撃破しながらの129勝85KO1敗2分、88連勝中。欧州のぬるま湯で作られたターピンの戦績とは全く異なる本物でした。

現代まで続くボクシング近代ボクシング150年の歴史上でも「この王者に勝てる選手はいるか?」と聞かれて「いる」と答える専門家は一人もいないでしょう。

そんな、おそらくこれからも未来永劫史上最高のボクサーであり続ける王者は、この年からフランス・パリを皮切りにスイス、ドイツ、イタリアと欧州転戦ツアーを展開、千秋楽を飾る英国でターピンの挑戦を受けたのでした。

すでに「史上最高」と評価されていた歴代PFPキングに慢心が無かったといえば嘘になるでしょう。観光気分の欧州ツアーの最終戦、膨らみ続けた油断の風船が破裂しても不思議ではありませんでした。

結果はまさかの大番狂わせ。

ターピンは一躍、大ヒーローになります。

しかし、リングをニューヨーク、ポログラウンズに移した2ヶ月後の再戦では10ラウンドTKO負け。

失意の帰国でターピンに浴びせられたのは情け容赦のない罵詈雑言。2ヶ月前に担ぎ上げられた国民的英雄の神輿と、賞賛の拍手の手の平はあっさりと返されてしまいます。

「2ヶ月前に20倍に増えた友人や親戚が2ヶ月後には誰もいなくなった」。

生活は乱れ、財産も使い果たしたターピンは地元ワーウィッシャーに借りていた粗末なアパートで、こめかみにピストルの銃口を当ててしまうのです。

思いとどまることなく、引き金をひいたターピンは、まだ37歳でした。