ここでは、移動中や食事のときに書くことが多い私の文章。

どうしても断片的に書いたものを繋いだり、前の文章をしっかり受け継がずに書き進めてしまいます。仕事ならアウト!な姿勢です。←最初に言い訳。

そんなわけで、そもそも文章として成立していなかったり「てにをは」がメチャメチャだったり、同じ言葉の無駄な重複があったり、その他もろもろ欠陥だらけです。

そんな私が人の文章をどうこう指導するなんておこがましいのですが、仕事関係はもちろん、ひょんなお付き合いから中高生の受験向けの小論文を見てあげたりすることもあります。

自分は何も書かないで、人の文章の粗探しをしながら揚げ足まで取ってしまうのは、まさに傍目八目、簡単なことです。

中島みゆきではありませんが「戦う君のことを、戦わない奴らが笑うだろう」です。

「戦うやつが一番偉い。おっちゃんんみたいに勝手なことは誰でも言える。成功か失敗か、二つに一つしかない勝負、受験に挑むお前らは一番格好良い」。

まぁ、特に子ども相手では最初にそんなことを話して、後出しジャンケンや揚げ足し取りもするけど、100%お前らの味方で応援団長だ、としっかり伝えます。

また、近所の中高生のように、子どもたちが自主的に手を上げたり、親御さんも賛同してくれるケースでも「まず、こっちはプロじゃない。教えることが出来るのは、受験合格に向けた効率の良い最短コースではない。ただ、国語や英語、数学の面白さは伝えることが出来るかも知れない」ということは最初に理解して頂きます。


さて、さて。今回のケースは私の方から気まぐれ的にアクションを起こした〝お節介〟になります。

しかも、子ども向け・受験的な観点からの〝教育的指導〟で、書き手に対して失礼かも知れませんが、100%善意ですのでご了承下さいませ。


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【例文(原文ママ)】

少し脱線しますが、長嶋や王といった昭和のスーパースター中心の野球の常識をすべてぶちこわしたのは野茂ですね。

巨人戦は高視聴率連発の日テレという全国ネットの常勝、東京読売巨人の王が東京読売をはなれ、根本にさそわれる形で田舎九州の弱小ダイエーホークスの監督に就任した時代、翌年生卵をぶつけられる屈辱をあじわう時代、1994年中日と桑田、槇原、齊藤をつかった長嶋が監督、若き日の松井や落合がいた巨人の伝説の試合の翌年の話です。

駒大に決まっていた城島をダイエーにいれたのは王。

江夏のような変わり者でもメジャーにはあがれませんでしたが、野茂はメジャーで成功しました。

日本のキャリアをすべて捨て、国賊よばわりされ、激しいバッシングをうけ、近鉄球団や鈴木啓示らから激しい酷評を受けながらも、安い年俸でメジャーに挑戦した野茂のインパクトはすさまじく、ドジャースの野茂のユニフォームは飛ぶように売れました。

野茂がメジャーで活躍した後の、野村監督と野茂の対談で野村監督が興味津々に野茂に質問していたようです。


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【解説】

少し脱線しますが、長嶋や王といった昭和のスーパースター中心の野球の常識をすべてぶちこわしたのは野茂ですね。 

▶︎文章を書くのにあたって「起承転結」を考える必要は全くありません。

順番も「結転承起」でも何でもありで、自分が主張したい内容やそのときの気分・感性で構成します。

ただ、頭の部分、導入部はボクシングでいう第1ラウンド。

途中で戦術やペースを変えるにしても〝初回〟は自分のスタイルとこの試合をどう進めるのかという方向性や、ときには結論まで仄かしても良いでしょう。

そんな「旗」を最も挙げやすいステージが冒頭です。

例文では「常識をすべてぷちこわしたのは野茂」が「旗」と読み取れます。

そして、何らかの意図・仕掛けがない限り、旗は印象的であるべきです。

同じ文章でも漢字やカタカナ、句読点の使い方によって伝わり方は全く変わってきます。

「常識をすべてぶちこわしたのは野茂」。

敢えて柔らかく表現するという手法はありですが、読み手や採点者を意識するなら旗幟鮮明=Show The Flag が定石です。

「常識を全てブチ壊したのは、野茂」。

瑣末なことですが、こう書き直す方が文章もスリムになってリズムも出ます。




巨人戦は高視聴率連発の日テレという全国ネットの常勝、東京読売巨人の王が東京読売をはなれ、根本にさそわれる形で田舎九州の弱小ダイエーホークスの監督に就任した時代、翌年生卵をぶつけられる屈辱をあじわう時代、1994年中日と桑田、槇原、齊藤をつかった長嶋が監督、若き日の松井や落合がいた巨人の伝説の試合の翌年の話です。 

駒大に決まっていた城島をダイエーにいれたのは王。 

▶︎ここで、読者・採点者は完全に「旗」を見失います。

もちろん、意図的に旗を隠す、つまり一見全く脈絡のないことを書くことで「次はどこで旗を出す?」と採点者の興味を引っ張る効果はあります。

しかし、これがそんな〝フェイント〟ではないと多くの読み手が気づくのは、書き手にその意識が全く無いことが文面から滲み出しているからです。

「そのときの気分・感性」で書く、というのは思いついたことや知ってることを何も考えずに叩きつけるのとは全く違います。

これは、仕事関係でもダメなレポート、サマリーでありがちな典型的な悪例です。

顧客や採点者が求めているものを漏れなく簡潔に伝えることが、受験生や分析者の仕事です。

求められているのはクリーンヒットです。

もちろん、顧客の潜在ニーズを掘り起こしたり、採点者が想定していない正答例を見せることはホームランです。しかし、それは顧客や採点者の度量・好みに左右されます。

手堅く受注と合格を最優先するプレゼンや受験でホームラン狙いのリスクを犯す必要はありません。

「俺、打とうと思えばホームランも打てるけどな」という匂いを醸し出す程度で十分です。

知ってることや思いついたことを闇雲に盛り込むことは、文章を肥満させ、読む人の意識を散漫にし、倦怠感まで与えてしまうことを忘れてはいけません。

「旗」を意図的に隠すのは構いません。しかし、それは、あくまでも旗幟鮮明のための布石でなければなりません。

読み手にそう見せるのと、書き手が実際に「旗」から離れてしまうのは全くの別物です。

というわけで、この部分は全て削除して、前後をリレーする中継ぎの役割をハッキリさせた文章を挟むことにします。




江夏のような変わり者でもメジャーにはあがれませんでしたが、野茂はメジャーで成功しました。 

▶︎ここで「旗」が戻って来たと思いきや、どうも最初に見た旗幟とは明らかに違うものが出て来ました。

「常識をぶちこわしたのは野茂」だったはずの旗幟の色が「メジャーで活躍するのは変わり者」という色にすり替わったのか?

さらに、この文章では「キャリアの終焉を迎えていた江夏と、全盛期の野茂」という野球人生で対極の位置にいたグレートを同列に並べて、メジャー挑戦の成否を語ってしまいました。

単純な勘違いや記憶違いではない根本的に間違った思考回路の露呈は、大減点の対象になります。




日本のキャリアをすべて捨て、国賊よばわりされ、激しいバッシングをうけ、近鉄球団や鈴木啓示らから激しい酷評を受けながらも、安い年俸でメジャーに挑戦した野茂のインパクトはすさまじく、ドジャースの野茂のユニフォームは飛ぶように売れました。 

▶︎もはや旗幟は「逆境を乗り越えて成功した野茂」と完全に色変わりしました。

そして、稚拙な書き手が長文を書くのは危険です。

いたずらに句読点を打つ必要はありませんが、文章が繋がらないと感じたら、句点を打って頭の中を整理しましょう。

この文章では「安い年俸でメジャーに挑戦した」から「野茂のユニフォームが飛ぶように売れた」という文脈にしか読み取れず、事実誤認で減点対象です。

これが小さな誤認なら致命的な減点対象にすべきではありませんが、この例文は「野茂の挑戦」という「旗」をバッシングや酷評というワードを使いながら広げる場合に、採点者が必ず予想するキーワードまで抜け落ちています。

「手の平返し」です。

このスポーツ史上最大の「手の平返し」を経て、野茂は国賊から英雄になり、日本でもグッズは売れまくるのです。そもそも、国賊の段階ではユニフォームは大っぴらに置けません。




野茂がメジャーで活躍した後の、野村監督と野茂の対談で野村監督が興味津々に野茂に質問していたようです。 

一つのセンテンスに野茂と野村がそれぞれ2人、合計4人も登場するのは重たい!重たい!計量失格です。

どうしても重複させたい場合、私がよくやるのが「汐留の大手広告代理店と同じ失敗を重ねるだけ」「不可解なスプリットを手繰り寄せたのは30歳になったばかりのメキシコ人」のパターンです。

野村監督と野茂の対談で、矢継ぎ早に質問を浴びせて〝生徒役〟に回ったのは還暦を過ぎた球界屈指の頭脳の方でした。

この文章も肥満気味ですが、おそらく書き手が伝えたかったであろう要点が、より明確で洗練して表現出来たのではないでしょうか?

あとは瑣末なことですが「会談」と「対談」。言葉の選択です。

書き手が実際に見聞きしたのは会談だった場合はその通りに書くべきですが、これは対談だったのでは?

言葉は脳に絵面を映します。それが漢字である場合は特にそうです。

「多くの参加者の中に野茂と野村がいた」会談なのか、「それとも膝を突き合わせた」対談なのか。

これが受験なら事実の通りに書けば良いのですが、プレゼンになると印象が大きく変わります。

では、実際には会談だったとしたら?

私なら会談や対談とはひとことも書かずに、読み手が二人のやり取りだけをフォーカスするような、誤解を恐れずいうと対談だったと思い込むようにエスコートします。




【例文をベースにした回答例】

少し脱線しますが、長嶋や王といったドメスティックな昭和野球の〝常識〟を全てブチ壊したのは、野茂、という定説は、時系列としては間違いです。

〝常識〟の延長上を歩み続けた日本プロ野球のクライマックスに数えられている〝メイクドラマ〟は1996年。野茂が太平洋を渡ったのは1995年、なんとその前年のことでした。

スポーツファンはメジャーの絢爛な世界を知った上で、メジャーとは真逆の小さく薄暗い中日球場で完結した〝ホームドラマ〟も楽しんでいいたのです。

ある意味でファンは2年続けてメイクドラマを楽しんだと言えますね。

そして、またまた脱線。

キャリア最晩年でメジャーを〝死に場所〟として選んだ江夏と違い、野茂は〝生きる場所〟としてメジャーを目指しました。

今でこそ、野茂は日本スポーツ史上で最も偉大なパイオニアですが、渡米時はメディアとプロ野球界は契約違反の犯罪者とバッシング、鈴木啓示・近鉄監督はもちろん、広岡達郎ら専門家のほとんどは「絶対に通用しない」と決めつけました。

ただ、日本で最も優れた直感力を持つ男と、日本代表として野茂と米国を最もよく識る当時日本最高の捕手は全く違う目を向けていました。

「面白い。単純に面白い。個人的にはあのストレートとフォークは通用すると思う」(長嶋茂雄)。「五輪で星条旗を背負った選手たちがメジャーでバリバリ活躍してるけど、彼らは野茂を打てなかった。常識的に考えると、今なら打てるとか、ありえない」(古田敦也)。

野茂の国賊扱いは長くは続きません。

美しく広いメジャーのボールパークで、怪物相手に躍動する野茂を応援しない野球ファンなど、一人もいません。あちこちで手の平を返す音が鳴り響き、その音は大きくなる一方でした。

そして、夕闇迫るサンフランシスコ、キャンドルスティックパーク。その瞬間がついにやって来ます。

今、思い出すだけでも鳥肌が立って来ます。

野村監督がメジャーで成功した野茂を迎えた対談。そこで興味津々に質問を浴びせて〝生徒役〟に回ったのは、なんと還暦を過ぎた球界屈指の頭脳の方でした。




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さーて!ホテル生活もあと4日!

明日やっても差し支えない仕事は今日するな!

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