サッカーでゴールライン判定に使われている「ホークアイ」は、テニスでもインかアウトを判定する審判補助システムとして活用されています。
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ビデオ判定を世界でいち早く導入したのが、大相撲だった(1969年5月場所から)というのは誇らしいことです。

相撲では、目視で判定できない微妙な勝負がそれだけ多いということでしょう。

どちらの力士が先に土俵を割ったのか、野球のホームランやベースタッチなど、ビデオ検証によって一目瞭然になるプレー、スポーツではこのシステムは絶対に導入すべきです。

そもそも、ビデオシステムが最初に導入されたのは当たり前の話で、陸上競技でした。今では電気計時システムを導入する大会では、規模の小さい競技会でも写真判定が行われています。

中長距離が専門だった私でも、あの1000分の1秒の写真が刻まれた連続写真が興味深くて100mの記録会に出場したこともありました。

ビデオで正義が明らかになるなら、絶対にそうすべきです。

もちろん、それによってディエゴ・マラドーナの「神の手」は単なる反則になり、ジョン・マッケンローが主審に大声を張り上げて抗議する必要も無くなり、この手の伝説や風物詩はスポーツの舞台から姿を消してしまうことになります。

一方、野球では最も議論を呼ぶストライク・ボールの判定は、まだ主審の「目視」に委ねられていますが、ホークアイがさらに進化してストライク・ボールも機械的に判定できるようになれば…、グレッグ・マダックスが自信満々でコントロールした外角低めはボールでも〝ストライク〟、落合博満が悠然と見送ればストライクでも〝ボール〟になるような〝誤審〟は絶滅します。

「ボールに勢いがなく〝お辞儀〟すると微妙なコースだとボール」「手元でビュッと伸びるボールが微妙なコースに来るとまずストライク」という、暗黙の了承もなくなるでしょう。

将来的にはスポーツ、特にメジャースポーツにおいては人間の審判はいなくなるかもしれません。

人間はいつまで経っても「先入観に惑わされて誤審する恐れのある不完全なジャッジ」ですから、存在の意味がなくなります。

昨日、ジョシュア・フランコの右目があっという間にシャッターを下ろした様子を見たラッセル・モーラが「ヘッドバットがあった」と思い込んだのは、彼がキャリア23年の大ベテランではなく、ど素人なら仕方がありません。

ただ、モーラは「ジョセフ・アグベコvsアブネル・マレス」で、マレスの再三にわたるローブローをことごとく看過し、減点を取らなかった〝犯罪〟に代表される数多くの〝前科〟のある曰く付きのレフェリーです。
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もちろん、モーラの「偶然のヘッドバットにより無効試合」というジャッジが差し戻されてのビデオ判定です。

無能なモーラの手から離れて、そこから先の〝公正な判断〟はネバダ州アスレティックコミッション(NSAC)の優秀なスタッフ(普段は主審を務めるロベルト・バードら)に委ねられたのです。

バードは「ビデオの前に(試合で)ヘッドバットを見ている」と証言、NSAC も「第1ラウンド1分6秒前後にモーラがアンドリュー・マロニーにクロスレンジでの頭の持って行き方に注意している」と、ヘッドバットがあったと主張。

しかし、NSACが犯した大きな間違いは、明らかに二つあります。

①ビデオ検証になった以上は、エビデンス(ヘッドバットのシーン)を公開しなければなりません。

テニスでもサッカーでも当たり前です。審判員が「ビデオ検証の結果ヘッドバットがありました」と言葉だけで伝えても誰も納得できません。


②29分間にも及んだ検証時間は長すぎます。

ヘッドバットが起きたのは第1ラウンドの180秒のどこかです。12ラウンド36分間のどこかの一瞬を探し当てる作業ならまだしも、180秒です。「あれ?ヘッドバットのシーンがないぞ」と何度も繰り返して見て、結局なかったのに、判定を覆さなかった、何か裏があるんじゃないかと勘ぐられても仕方がありません。

もちろん、まだ導入したばかり、いろいろ手探りの部分もあるシステムです。

それでも、あまりにも杜撰すぎます。

極論すると「公明正大の判定のための最終兵器であるビデオ検証」を導入するには、ボクシング界はあまりにも腐っている、それ以前にやることが山積しているということです。

主審やジャッジを免許資格制にすること、毎年研修試験を実施して主審とジャッジの精度を担保すること…他のスポーツでは当たり前のことが、ボクシングでは当たり前ではないのです。

そこから、メスを入れていかないと、ビデオ検証なんて100年早い。