いつからメキシコが世界の中心になっていたのか?

それを考える前に、ボクシング史のトップスターの歴史を振り返ります。 

まず、このスポーツはなんだかんだ言いつつも「ヘビー級はずっとメジャー」という真実は抑えなければなりません。

そして、ようやくアンディ・ルイスJr.を産み落としたとはいえ、メキシコ(系)の遺伝子は軽量級〜中量級が標準サイズであり、200ポンド超は突然変異です。

そう考えると、ヘビー級がメジャーどころか、他の階級を圧倒して「ボクシング=ヘビー級」だった1970年代までは、メキシコが覇権を打ち立てるのは肉体的に不可能でした。

中量級がヘビー級の座を脅迫し、ときには凌駕することも日常化したのは1980年以降のことです。

モハメド・アリがリングを降りたことで、ヘビー級の絶対時代が終わります。

新しい時代の黎明、1980年からリング誌の「BEST FIGHTER POLL (年間最高ファイター投票)」、すなわち〝年間PFP〟がスタートしたことは、ヘビー級時代の終焉を象徴する事象の一つでした。

ロベルト・デュランを「BEST FIGHTER」に選んだ第1回の1980年から、リング誌の経営悪化などから様々な企画がリストラされ BEST FIGHTER POLL も廃止された2017年(最後の〝年間PFP1位〟はワシル・ロマチェンコ)までの38年間、世界評価におけるメキシカンをトレースしてみましょう。

最初にお断りしなければならないのは、①PFPなどの〝世界評価〟はヘビー級や重量級には寒冷で軽中量級に温暖な性格であること、②世界評価とメガファイトの主人公の間に因果関係は希薄であること、の2点は忘れてはなりません。

ニカラグアのローマン・ゴンザレスは軽量級史上初のPFPキングの座に就いたばかりか、その座を2年間も〝防衛〟しましたが、手にした最高報酬は60万ドル、スーパースターの入り口である1000万ドルはもちろん、100万ドルさえ遠かったのです。
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一方で、ミドル級のメキシカン、カネロ・アルバレスはPFPファイターになる以前から100万ドルファイター、リング誌PFPで4位だった2018年にDAZNと5年11試合3億6500万ドルのアスリート史上最高金額の契約を締結するのです。

ボクシングにおいてスターダムの頂点に立つには、ビッグネームがひしめく人気階級で活躍すること、そしてメキシカンであることが必要十分条件になっています。

それでも、BEST FIGHTER POLLから「スーパースター」は見えなくても、メキシコが世界の中心になった「1980年以降」の「実力者」は視覚でき、頂点に立つスーパースターの輪郭は窺えるでしょう。

BEST FIGHTER POLLでトップ3に入ったメキシカン(オスカー・デラホーヤらメキシコ系は除く)はフリオ・セサール・チャベス(1988−1989年:2位/1990年−1992年:1位/1993年:2位)、リカルド・ロペス(1997年:3位)、マルコ・アントニオ・バレラ(2002年:3位/2005年:3位)、ファン・マヌエル・マルケス(2008年:3位/2010年:3位/2012年:3位)の3人。

現在のリング誌PFPは、随時更新でBEST FIGHTER POLLのような「年間で誰?」のようなシステムではなく、PFPファイターが試合するごとに猫の目のように変わる「あとには何も残らない」ランキングです。

BEST FIGHTER POLLでは、かつて「PFPキング」としてリング誌ベルトも贈呈していました。

このベルトは15年近くも廃止されていましたが、ゲンナディ・ゴロフキンがPFPについた2017年に復活。しかし、翌年からBEST FIGHTER POLLが廃止となり、ベルトも消滅してしましました。

リング誌の企画がどんどんリストラされ、ページ数も激減、月刊体制が崩壊、年9回発行の変則季刊誌にに没落した頃です。
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ダグ・フィッシャーから「PFPベルト」を贈呈されるGGG。

BEST FIGHTER POLLの38年間で、メキシカンがキングになったのはフリオ・セサール・チャベスの1990〜1992年の3回3年間だけです。

やはり、チャベスの世界評価は傑出していますが、そんなチャベスですら「スターダムの〝頂点〟だったのか?」と聞かれると「そうではなかった」と答えざるを得ません。
 
次は、BEST FIGHTER POLLのような記録に残るリストではなく、そのものズバリ「スターダムの頂点」に立っていたのは誰なのか?に迫ります。