プロスポーツがまだ未成熟だった時代、米国では競馬とボクシングが観戦スポーツとして圧倒的な人気を誇っていました。
世界ヘビー級王者は別格の人気と待遇に浴していたのですが、それは何もボクシング界の中だけの話ではありません。
野球など、あらゆるスポーツ選手の中でボクシングの世界ヘビー級王者は別格でした。
そして、その時代は長く見積もると1970年代まで続いたと見ることが出来ます(モハメド・アリが〝延命〟させただけという見方は置いといて…)。
ヘビー級が事実上存在しない日本でも、ファイティング原田の報酬とテレビ視聴率は他のプロスポーツとは一線を画する異次元のレベルでした。
時代が下った具志堅用高でもそのステイタスが王貞治と遜色無かったことからも、1970年代までの世界王者は今では想像も出来ない尊敬と待遇を受けていたのです。
1970年代まで日米ともにまだボクシングはメジャースポーツの土俵際にとどまっていました。
スポーツイラストレイテッド誌が選ぶ「Sportsman of the Year」に輝いた最後のボクサーはシュガー・レイ・レナードで、そのとき1981年。
そして、日本でもボクサーとして最後の国民的英雄だった具志堅用高が引退したのは奇しくも1981年のことでした。
現在、ヘビー級やウェルター級をはじめとする中量級のメガイベントでは、軽量級の世界戦が前座にセットされることが珍しくありません。
階級と王座の増殖が、幾つもの世界戦を同一興行に盛り込みやすくし、前座に当てがわれる軽量級の地位が液状化を辿り続けていることはある意味当然でした。
先日の大失敗PPV 「チャーロ兄弟」では6試合で世界タイトルが掛けられましたが、オリジナル8の時代にそんな安売りは出来っこありません。
今よりもはるかに試合間隔が短かった時代でも、そしてたとえ軽量級でも、世界王座はそこまで安っぽいものではなかったのです。
今よりもはるかに試合間隔が短かった時代でも、そしてたとえ軽量級でも、世界王座はそこまで安っぽいものではなかったのです。
1970年代まで日米ともにまだボクシングはメジャースポーツの土俵際にとどまっていました。
スポーツイラストレイテッド誌が選ぶ「Sportsman of the Year」に輝いた最後のボクサーはシュガー・レイ・レナードで、そのとき1981年。
そして、日本でもボクサーとして最後の国民的英雄だった具志堅用高が引退したのは奇しくも1981年のことでした。
その前に、1970年代までに行われた軽量級のピッグファイトを振り返ってみましょう。
【ポログラウンズ:1923年6月18日ニューヨーク州】
世界フライ級タイトルマッチ15回戦
世界フライ級タイトルマッチ15回戦
興行をプロモートしたのはテックス・リカード、ポログラウンズはこの試合の前年1922年までヤンキースが本拠地を置いていたニューヨークを代表する巨大スタジアムです。
当時、世界最高のスタジアムに詰めかけた観衆は2万3000人。
もちろん、この小さな巨人の激突がメインイベントです。100年前のニューヨークには〝さいたまスーパーアリーナ〟が確かに存在したのです。
フライ級はけして人気クラスではなかったでしょうが、ボクシングは最も人気のあるスポーツだったのですから、この熱狂も当然でした。
試合はパンチョ・ビラが7ラウンドKOで〝The Mighty Atom〟ワイルドから王座を強奪、アジアに初めての世界タイトルをもたらします。
フィリピンでは今でもビラは国民的英雄、ボクサーとしての世界評価でもファイティング原田が出現するまではアジア最高でした。
彼を「マニー・パッキャオの先駆け」と呼ぶにはあまりにも巨大な存在です。
【マディソン・スクエア・ガーデン:1948年10月29日ニューヨーク州】
世界フェザー級タイトルマッチ15回戦
生涯戦績241戦229勝65KO11敗1分。 この試合前が134勝45KO1敗1分。ペップこそ、スイート・サイエンスの結晶でした。
この〝魔法使い〟 を「ワシル・ロマチェンコの先駆け」と呼ぶのもまた、失礼に値します。
もちろん、この試合もメインイベント。
4度にわたるペップvsサドラーのオープニングゲーム。MSGはもちろん、フルハウス。

井上尚弥は米国で注目される条件として「最低でもフェザー」と口にしましたが、戦後間もない1948年のフェザー級はボクシングファン、すなわちスポーツファンにとってマイナーなどではなく「最低でも」と言われるような階級でもなかったのです。
それは「フライ級」でも変わりませんでした。
ヘビー級と比較したらマイナーでも、他のスポーツと比べたら圧倒的にメジャー。
〝その他7階級〟とはいえ、誇りに満ちた世界王者が居並んだ、それが「オリジナル8」の時代でした。
4度にわたるペップvsサドラーのオープニングゲーム。MSGはもちろん、フルハウス。

2010年にリング誌が企画したアルファベット26文字、それぞれを代表するボクサーの特集から。
ペップは当時鬼神の勢いだったパッキャオを差し置いて「P」で、ヘッドラインは「マニー、ごめんよ」。サドラーもマイケル・スピンクスやサルバドール・サンチェス、ジョン・L・オサリバンを出し抜いて「S」で選ばれました。 ※ちなみに「V」は Pancho Villa です。
「彼らの時代、ボクシングはスポーツの中心で、フェザー級にもたっぷりの光が注がれていた」のです。
ペップは当時鬼神の勢いだったパッキャオを差し置いて「P」で、ヘッドラインは「マニー、ごめんよ」。サドラーもマイケル・スピンクスやサルバドール・サンチェス、ジョン・L・オサリバンを出し抜いて「S」で選ばれました。 ※ちなみに「V」は Pancho Villa です。
「彼らの時代、ボクシングはスポーツの中心で、フェザー級にもたっぷりの光が注がれていた」のです。
井上尚弥は米国で注目される条件として「最低でもフェザー」と口にしましたが、戦後間もない1948年のフェザー級はボクシングファン、すなわちスポーツファンにとってマイナーなどではなく「最低でも」と言われるような階級でもなかったのです。
それは「フライ級」でも変わりませんでした。
ヘビー級と比較したらマイナーでも、他のスポーツと比べたら圧倒的にメジャー。
〝その他7階級〟とはいえ、誇りに満ちた世界王者が居並んだ、それが「オリジナル8」の時代でした。
【ヤンキースタジアム】
【ラスベガス・ヒルトン】
【シーザースパレス】
【MGMグランドガーデンアリーナ】





コメント
コメント一覧 (2)
理屈で言えば4団体統一王者がその階級で防衛を続ければ(階級数は別として)1団体時代の王者とほぼ同じ事をやっているわけですが同等の評価は受けないでしょう。例えそれがヘビー級であっても。
もっと極端に、全ての階級で4団体統一が行われ、各団体のレギュラー以下の王座が全て吸収されたら…?「17」としてボクシング史に名を刻む王者たちとしての評価を受けるでしょうか…?
フシ穴の眼
が
しました
王者8人だと今まで以上に競争が激しくなるので防衛の相手は4団体時代なら王者になっている選手が普通に出てきます
強い者と戦えば戦うほどダメージは大きくダメージの後遺症に蝕まれる。
というかボクシングで本当に強い者を決めることは出来ないと思います
ホントにやったら死にます
世界戦を戦うボクサーは年2回しか試合できません。それほどまでに身体負担をかけるスポーツでどうやってリーグ戦やトーナメント戦を実施するいうのか?
ボクシングという競技の目的は強さだけではありません
強さ≠人気 人気=お金の世界である以上、アイドルのようにみんなの人気を集めることがある意味ボクシングという競技の目的ではあります。もちろん一定の強さも要りますが
そう考えると世界王者だのと変に強い者を決めることを建前化したりこだわらない分、最初からショーであり人気商売であるプロレスの方が健全かもしれません
フシ穴の眼
が
しました