リング誌11月号:マニー・パッキャオ特別号、宮田有里子の記事から。

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2007年4月、ワイルドカード・ボクシング・クラブは驚いたことに一般開放していた。

そこで、マニー・パッキャオがホルヘ・ソリス戦に向けて練習していたというのに。

私は友人の社会学者、高畑幸と一緒に、ジムの中へ入った。彼女はフィリピン移民の研究もしていたから、パッキャオと会うことを楽しみにしていた。

近くでヘビーバッグを叩くパッキャオは、ものすごいオーラを放っていた。

それも当たり前で、彼はエリック・モラレスとのラバーマッチを制し、軽量級ではありえないスーパースターの座に就いていたのだから。

パッキャオの熱狂的なファンや、ベテランのボクシング記者がひしめくジムで、私は少し気後れしてしまっていた。 

アジアが生んだ最高のボクシングヒーローに何か話しかけたいけど、思いついたことは一つしかなかった。

「1998年4月18日に東京で寺尾新と戦いましたよね、私、あのときのリングサイドにいたんです」。

 パッキャオは目を見開いて笑ってくれた。「本当に!?あの試合はよく覚えてるよ!」。

試合は114ポンドのキャッチウェイト、ノンタイトル10回戦だったが、メインイベントでテレビ放送もされた。

19歳のOPBFフライ級王者でWBA5位にランクされていたフィリピン人は22勝13KO1敗、強打だけが売りの若者で、それが初めての海外試合だった。

寺尾は日本フライ級2位、10勝1KO2敗1分の戦績にインパクトは無かったが、つかみどころのない攻撃と、キックボクシング経験に裏付けられた頑健な肉体は、若いOPBF王者にとっても厄介な相手に思えた。

そして、フィリピンからやって来るボクサーが日本で勝つことも少なかった。

多くの人が「寺尾にチャンスがある」と考えていた。

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WBCが新設階級を発表、ますます王者量産が進む未来ではパッキャオの8階級制覇はいずれ更新されるでしょう。しかし、4つのディケイドで世界王者は?これはタイ記録は生まれても、記録更新は不可能じゃないでしょうか?


パッキャオを更新する「5ディケイド」を達成するには、まず「10代」取ることが必須条件です。「10代」で取れないと「20」「30」「40」「50」そして「60」と60代でも取らなければなりません。

あとはアクロバティック過ぎますが「9歳以下」で世界王者になれば「5ディケイド」は現実味を帯びますが…「60」よりも「9」の方が難しいかもしれません。

「9歳」、小学校4年生で世界チャンピオン。高校2年生で世界を獲ったウィルレド・ベニテスもビックリです。


⬛︎仕事終わりに後楽園ホールに寄ることが年に数回ながらあった当時の私も、あの試合を生観戦する幸運に恵まれました。

もちろん、それがどれほどの幸運だったのか、あのときは知る由もありません。夜中にテレビ放送されるのを知ってたので録画、自分と一緒に行った会社の後輩が映ってないかを捜したのを思い出します…。

あの夜、「パッキーロ」 とコールされたボクサーに特別な何かなんて、私は微塵も感じませんでした。