どうして、米国ではワシル・ロマチェンコよりもテオフィモ・ロペスに勝って欲しいというファンが大多数なのでしょうか?

確かに、ホンジェラスにルーツを持つ両親が苦労しながら米国に移民した物語、政治的な思惑もあって米国とホンジェラスの二股掛けで挑んだオリンピックでは実力不足から初戦敗退、挑戦者を愛する米国のツボにはまったということでしょう。

それでも、ロマチェンコよりもロペス、ゲンナディ・ゴロフキンよりもカネロ・アルバレスに人気が傾く米国は不可解です。

そんなこと言い出すと、PFPキングの座を2年も守ったローマン・ゴンザレスや、ライト級でPFPファオターにもなったホルへ・リナレスよりも、井上尚弥や井岡一翔の人気が遥かに高い日本も奇異な目で見返されるでしょう。

所詮は同じ穴のムジナ。ロマチェンコやロマゴンでも活躍の場が与えられる米国の方がずっとマシです。
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これはニューヨークのブルックリンではなく、有楽町のブルックリン↑

El Brooklyn (ブルックリンっ子)、The Take Over (後を継ぐもの・支配者・侵略者)の異名をとる23歳が「ボクシングシーンの主役」候補の最右翼であることは間違いありません。

もし、ロマチェンコ相手に番狂わせを起こせば?

ジュニアウェルター、そして絢爛のウェルターへ。

「軽量級(ライト級)が一杯一杯というロマチェンコには未来はない。私たちは未来につながる試合が見たいんだ」(ESPN解説者:ティモシー・ブラッドリー)。
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見れば見るほど、いい味出してるポスターです。

テオフィモ・ロペスの祖父は1916年、スペインで生まれました。

おそろしく大きな二の腕をした祖父は「ポパイ」と呼ばれ、暴れ牛を素手でねじ伏せたと伝えられています。 

第二次世界大戦で荒野と化したスペインから、祖父はホンジュラスへ移住しました。 

パン屋、タクシー乗り場の交通整理、靴屋…どんな仕事でも厭わずしゃかりきに生きた祖父は、美しい10代の少女ヨーランダ・ロメロと恋に落ちます。

1968年、二人の間に子供が産まれました。テオフィモです。

私たちの呼び方なら、テオフィモ父(シニア)です。

テオフィモ父は笑います。「親父は51歳だったんだよ。まさか子供ができるなんてね」。
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Teofimo Lopez Sr. with his father and mother in the 1970s. Courtesy Teofimo Lopez Sr. まだ「テオフィモJr.」が生まれる四半世紀も前に撮られたこの写真では「ポパイの祖父」は60前でしょうか。素手で闘牛をねじ伏せる猛者には見えません。物語を知ってるからですが、父母とも狂気を孕んでるように見えてしまいます。

テオフィモ父から見た両親の関係はよく理解できませんでした。

今でいう家庭内暴力は当たり前。母親は4連打のコンビネーションで彼を打ったというのです。 

やがて両親は離れて暮らすようになり、テオフィモ父は母親のいるニューヨーク・ブルックリンと、父親のいるホンジュラスを行ったり来たりしました。

父親に革のベルトで打たれて、ニューヨークに行くと、今度は母親に電気コードで鞭打たれました。 

当たり前のように、テオフィモ父は10歳になった頃には空き巣やドラッグ売りに手を染めていました。そして〝両親の教育〟のおかげで札付きの喧嘩屋として名を馳せるようになります。 

テオフィモ父の波乱万丈は続きます…。