米国において、ボクシング軽量級が文字どおり軽視されるようになったのは100年前からではありません。
地球上に8人しか世界チャンピオンが存在しないオリジナル8時代、世界チャンピオンの価値が現代とは全く異次元だったのは当然です。
しかし、その時代ですらヘビー級は別格でした。
1930年代、ヘンリー・アームストロングがわずか10ヶ月でフェザー→ウェルター→ライトの三階級制覇を達成したその動機は「ヘビー級ばかりに注目するな!」という怒りと嫉妬でした。
そして、オリジナル8に時代は「ヘビー級とその他7階級」という構図に近かったことも窺えます。
もちろん、ミドル級はヘビー級に次ぐ人気だったかもしれませんが、その差は絶望的に大きかったはずです。
フライ級やバンタム級への関心は当時も低かったかもしれませんが、現在ほどではなかったでしょう。
「オリジナル8時代もフライ級やバンタム級は全く無視されていた」と推測するのは、ジミー・ワイルドvsパンチョ・ビラがポロ・グラウンズに大観衆を集めてタイトルマッチを行うなど、ピッグファイトの事例がいくつもあり、あまりに不自然です。
もし、今もオリジナル8のスキームで、井上尚弥がフライ〜バンタムで二階級制覇していたなら「井上なんて米国のボクシングファンは名前も聞いたことがない」なんて戯言、ESPNが書けるわけもありません。
地球上に8人しか世界チャンピオンが存在しないオリジナル8時代、世界チャンピオンの価値が現代とは全く異次元だったのは当然です。
しかし、その時代ですらヘビー級は別格でした。
1930年代、ヘンリー・アームストロングがわずか10ヶ月でフェザー→ウェルター→ライトの三階級制覇を達成したその動機は「ヘビー級ばかりに注目するな!」という怒りと嫉妬でした。
そして、オリジナル8に時代は「ヘビー級とその他7階級」という構図に近かったことも窺えます。
もちろん、ミドル級はヘビー級に次ぐ人気だったかもしれませんが、その差は絶望的に大きかったはずです。
フライ級やバンタム級への関心は当時も低かったかもしれませんが、現在ほどではなかったでしょう。
「オリジナル8時代もフライ級やバンタム級は全く無視されていた」と推測するのは、ジミー・ワイルドvsパンチョ・ビラがポロ・グラウンズに大観衆を集めてタイトルマッチを行うなど、ピッグファイトの事例がいくつもあり、あまりに不自然です。
もし、今もオリジナル8のスキームで、井上尚弥がフライ〜バンタムで二階級制覇していたなら「井上なんて米国のボクシングファンは名前も聞いたことがない」なんて戯言、ESPNが書けるわけもありません。
当時、そのロジックが通用したとしたら「ヘビー級王者以外は無名」でしょう。
「超軽量級が大会場でメインを張ることはほぼ不可能、PPVイベントは歴史上例がない」のは現代ボクシングであまりにも多くの王者を乱造・量産したしわ寄せです。
いまも1団体8階級なら、フライ級王者は十分に敬意を払われ、ビッグファイトの前座をつとめることもなかったはずです。
オリジナル8の時代から階級は17と倍以上に増殖、その各団体に4人の量産型世界王者がひしめいているのですから、そこに世界一の価値を見出す作業は不可能で、その地盤沈下の中でかつては存在が認められていた超軽量級の注目の優先順位はどんどん後回しにされ、ついには切り捨てられ、地中深くに葬られたと考えられます。
「素晴らしいスーパーフライ達に陽の当たる場所を」(HBO)という、スーパーフライ興行はまさに軽量級の掘り起こしでした(現実にはボクシング予算窮乏のHBOがやむなく打った超低コスパ興行でしたが)。
この王者の量産とステイタスの低下は、欧米史上での軽量級の軽佻浮薄は、全く無関係ではありません。
リング誌やESPNなど良識が残されたメディアは「世界王者認定が許されるのは1団体1階級1人まで」と至極当たり前の姿勢を打ち出しています。
百歩譲って、承認団体が4つあれば4人の世界王者が乱立するのは仕方がありません。
しかし、各承認団体が複数の世界王者を擁立するということは、彼らが「世界一は1人とは限らない」という狂気の世界観を持っていることを恥も外聞もなく世界に曝け出しているということです。
WBAは「スーパー王者はレギュラー王者の上位タイトル」と位置づけ、WBCは「フランチャイズ王者は通常の王者の枠を超えた存在」に代表されるように、彼らは地球上に一つしか無いはずの世界王座を細分化して序列付けています。
リング誌などはWBAのスーパー、WBCは通常の王者を正当な王者としています。「WBCが上位タイトルと主張するフランチャイズには防衛義務が無いから王者とは認められない」という判断です。
そして、世界タイトルに挑戦できる世界10傑、すなわち世界ランカーもアルファベット4団体が恣意的に決める現代とは比較にならないステイタスを持っていたはずです。
「超軽量級が大会場でメインを張ることはほぼ不可能、PPVイベントは歴史上例がない」のは現代ボクシングであまりにも多くの王者を乱造・量産したしわ寄せです。
いまも1団体8階級なら、フライ級王者は十分に敬意を払われ、ビッグファイトの前座をつとめることもなかったはずです。
オリジナル8の時代から階級は17と倍以上に増殖、その各団体に4人の量産型世界王者がひしめいているのですから、そこに世界一の価値を見出す作業は不可能で、その地盤沈下の中でかつては存在が認められていた超軽量級の注目の優先順位はどんどん後回しにされ、ついには切り捨てられ、地中深くに葬られたと考えられます。
「素晴らしいスーパーフライ達に陽の当たる場所を」(HBO)という、スーパーフライ興行はまさに軽量級の掘り起こしでした(現実にはボクシング予算窮乏のHBOがやむなく打った超低コスパ興行でしたが)。
この王者の量産とステイタスの低下は、欧米史上での軽量級の軽佻浮薄は、全く無関係ではありません。
リング誌やESPNなど良識が残されたメディアは「世界王者認定が許されるのは1団体1階級1人まで」と至極当たり前の姿勢を打ち出しています。
百歩譲って、承認団体が4つあれば4人の世界王者が乱立するのは仕方がありません。
しかし、各承認団体が複数の世界王者を擁立するということは、彼らが「世界一は1人とは限らない」という狂気の世界観を持っていることを恥も外聞もなく世界に曝け出しているということです。
WBAは「スーパー王者はレギュラー王者の上位タイトル」と位置づけ、WBCは「フランチャイズ王者は通常の王者の枠を超えた存在」に代表されるように、彼らは地球上に一つしか無いはずの世界王座を細分化して序列付けています。
リング誌などはWBAのスーパー、WBCは通常の王者を正当な王者としています。「WBCが上位タイトルと主張するフランチャイズには防衛義務が無いから王者とは認められない」という判断です。
そして、世界タイトルに挑戦できる世界10傑、すなわち世界ランカーもアルファベット4団体が恣意的に決める現代とは比較にならないステイタスを持っていたはずです。
現代において「スティーブン・パトラーは世界1位だったから最強の挑戦者。村田諒太も危ない」だなんて誰も思いません。そこは、笑うところです。
この世界王者と世界ランキングが液状化するずっと以前、オリジナル8が揃って現在地図の原形が出来上がるプロセスを振り返りながら、軽量級の悲しい没落を辿って行きます。

コメント
コメント一覧 (4)
フシ穴の眼
が
しました
海外の名チャンピオン同士の統一戦や対決では、それこそ大袈裟ではなく、「神々しさ」を感じながら観戦したものです。
フシ穴の眼
が
しました