不死鳥は灰の中から生まれる、その名の通り死ぬことのない鳥です。

現実には、不死鳥は存在しません。空想上の伝説です。

しかし、ボクシングの世界には、現実に不死鳥が現れます。

リアルの伝説が存在するのです。とっくに焼け死んだと思われた鳥が、灰の中から立ち上がり、再び気高い飛翔を見せてくれるのです。

雨上がり、近所の小学校で正午を伝える鐘がなる静かな日曜日にお届けするのは、私たちが直近で目撃した不死鳥です。

ローマン・ゴンザレスを特集したリング誌6月号から。
june2020-cover-spanish-2-thumb
リング誌スペイン語版。世界で最も売れているリング誌です。といってもスペインではほとんど売れていません。

そのタイトルもずばり、

  FROM THE ASHES(灰の中から)

ボクシングの歴史は、伝説の宝石箱だ。

もう終わったと考えられたと見捨てられた伝説が、オッズや予想をひっくり返し、若くて新鮮な世界チャンピオンから王座を強奪してきたサンプルは数え切れない。



 【1973年5月3日ブラジル ブラジリア】
WBC世界フェザー級タイトルマッチ
王者ホセ・レグラvs挑戦者エデル・ジョフレ
 
https://www.youtube.com/watch?time_continue=5278&v=vQsZha1xCCg&feature=emb_logo

ジョフレは、モハメド・アリを退けて60年代最強の誉れ高いPFPキングでしたが、それは60年代前半のバンタム級での話。

日本史上最高のボクサー、ファイティング原田に敗れてUndisputed Bantamweight Title (議論する余地のないバンタム級王座=完全統一王座)を手放し、再戦でも撃退されて引退していたジョフレは3年のブランクを経てリング復帰、連勝を重ねて世界戦のリングに舞い戻りました。

といってもバンタム級で絶対王政を敷いていたのは遥か8年前、「黄金のバンタム」は37歳になっていました。

チャンピオンは、Pocket Cassius Clay の異名を持つキューバ出身の30歳。

「ジョフレはバンタム級でスタイルも古い。70年代の近代ボクシングの前に化石が打ち砕かれる」とジョフレは生涯初めてbig underdog(圧倒的不利)の逆風が吹く中でリングに上がります。

しかし…。

序盤でダウンを喫して、両目もカットしたジョフレでしたが、中盤から盛り返して3−0の完勝。メキシコの英雄ビセンテ・サルディバルもKOで粉砕したジョフレは「軽量級ではこれ以上はないと思われた世界評価を更に上書き」(リング誌)しました。

そして生涯通じて、原田にしか負けなかったジョフレの威光は、パッキャオ出現までアジア史上最高の評価に浴した原田も照らすことになるのです。



 【1983年6月16日ニューヨーク マディソン・スクエア・ガーデン】
WBA世界ジュニアミドル級タイトルマッチ
王者デイビー・ムーアvs挑戦者ロベルト・デュラン
IMG_4099
ふた回りも大きいムーアをインファイトに巻き込んで切り刻んで見せたデュラン。三原が全く歯が立たなかったムーアが惨敗するのを見た日本のボクシングファンは世界の頂がいかに峻厳かを実感しました。
 
この試合は日本でも完全生ではなかったと思いますが、中継してくれていました。

シュガー・レイ・レナードとの再戦での “No Mas”の屈辱。

ウィルフレド・ベニテスとカークランド・レイグに連敗したあと、のちの一発殿堂のピピノ・クエバスをKOするなど2連勝していたとはいえ、クエバスは敗北が立て込んできた黄昏時代、32歳の石の拳が、24歳の無敗の王者に出来ることはほとんど何もないと考えられていました。

三原正からタイトルを強奪したムーアの強さを目の当たりにしている日本のボクシングファンも、同じ思いで試合を見ていました。

ライト級上がりで、ましてや衰えたデュランに勝ち目はないと。

しかし、試合は8ラウンドKOでデュランの一方的な勝利に終わります。

この試合を視察したペトロネリ兄弟は「世界で最も愚かなことはデュランとクロスレンジでパンチを交換することだ」と言い残して会場を去り「接近戦でも倒せる」と自信を持っていたマービン・ハグラーを説き伏せます。

石の拳は、5年後の1989年にもアイラン・バークレーを崩してミドル級タイトルを獲得、まさに不死鳥でした。