ナジーム・ハメドは1974年生まれで1992年にジュニアバンタム級でデビュー。フロイド・メイウェザーは1977年生まれで1996年にジュニアライト級デビュー。
2人の対決は何度か交渉のテーブルに乗ったと言われていますが、現実の条件交渉は無かったと見られています。
****************
Q:メイウェザーとの対戦話は実際にあったのか?
A:一切なかった。
フロイドとは彼がプロ転向した直後に米国で会ったことがあるんだ。良い友達さ。「外国から来ていきなりHBOとあんな巨額の契約を結ぶなんてすごいな!」と感心されたよ。
Q:あなたがジュニアライト級時代のメイウェザーと戦っていたら、彼はまだ無敗だっただろうか?
A:なんとも言えない。もちろん、勝っただろうという自信はある。
Q:ファン・マヌエル・マルケス…。
A:グレートファイター。長い時間、私にとって指名挑戦者だった。
前に出てくるスタイルの彼は、私にとってやりやすい相手だから、戦うなら勝つ自信があった。
私が彼から逃げたと多くの人が信じているが、プロモーターが彼を戦うことを嫌がっていたんだ。
プロモーターは私が負けると感じていたわけじゃない、当時のマルケスは無名で世界チャンピオンでもなくて、優先順位が低かったからだと思う。
ただ、私はマルケスと戦いたかった。今は彼がとにかく偉大なファイターだと思ってる。
Q:アセリノ・フレイタスは?
A:彼とは、同じトレーナーだった。オスカー・スアレス。私がボクシングから離れる頃に、スアレスはアセリノと大きな仕事をやり始めた。
アセリノと戦うことは無かっただろう。とにかく階級が違い過ぎる。
Q:あなたはブレンダン・イングルに育てられ、スアレスとマニー・スチュアードの指導を受けた。イングルはあなたに「トレーナーを必要としない段階が来るだろう」と語りました。その特別なときはいつでしたか?
A:ブレンダンは第二の父親だった。私は彼が家族といるよりもずっと長い時間を過ごした。
そんな長い時間を共にすると、普通の感覚では理解できない信頼関係が出来るんだ。そして、私は彼のジムで初めての世界チャンピオンになった。
名声もカネも、私は彼と彼のジムに捧げた。彼は私に多くのことを教えてくれたし、それは一生忘れない。
すれ違いはあったし、息子のジョンにお願いしてブレンダンにお詫びする機会も作ってもらった。
Q:練習に身が入らなくなったのはいつのこと?
A:何を聞いてるのかわからない。いつだってハードに練習していた。
いつも練習時間に遅刻していた?ちょっと待ってくれ、練習開始時間なんて、そんなにしっかり決まってるわけじゃない。
ウォーミングアップなしで、いきなりスパーリングに入るから勘違いしているんじゃないか?そのスタイルに問題があるとは思わない。
私が練習嫌いだった、それがブレンダンを怒らせたというのは、とにかく間違いだ。メディアはいろんなことを勝手に書くけど、全部間違っている。
Q:あなたにはカムバックの噂が絶えませんでした。現実に復帰を考えたことは?
A:全くない。噂や勝手な憶測記事だった。
引退したのは28歳。ずっとその年で引退すると決めてたから。休みたかったんだ。
まだ、もう少しカネを稼げたかもしれないけど、後悔はない。
Q:あなたは才能を爆発させて、英国ボクシングの歴史を変えました。やり残したことはない?
A:ないね。
初めて負けて、28歳で引退したけど、全部出し切った。体はボロボロだった。
拳の故障は慢性的で、いつも試合前にコルチゾン注射を射ってリングに上がっていた。
試合前にドクターを入れて太い注射針を手首の裏に刺すんだ。最初はとんでもない激痛だったけど、何度も繰り返してると痛みも感じなくなるんだ。怖かった。
そのたびに、もう終わりにしようと思うんだけど…。
大金を手にして、汗臭いジムで練習するのが嫌になっただとか、憶測だけで勝手な記事を書かれたけど、そんなことだけじゃないんだ。
Q:悲願の殿堂入りも果たしました。ついに殿堂入りできたときは感慨深かったんじゃないか?
A:殿堂は全てのボクサーの最終目標、そこに辿り着いたんだから言葉では表現できない。
もちろん、私の出した結果が評価されたんだけど、それだけじゃない気もする。試合前には厳しいキャンプがあり、過酷な減量があり、記者会見もある。
ボクシングはたった一夜の、長くても36分間の戦いだけじゃないんだ。
自分の全てが認められた気分だ。どのファイターも(殿堂入りの)電話を待っているが、その電話を取れるのは本当に一握りだけ。
自分の名前が刻まれた記念碑の前で「彼の試合がまた見たい」「彼の試合を生で見たかった」と永遠に語られるんだ。素晴らしい誇りだ。
****************
マルケスからあからさまに逃亡したことは、これはもう言い訳できません。
「優先順位が低い指名挑戦者」。もはや論理が破綻しています。
活字の間からも言葉を濁す様子が伝わってきます。そのチキンぶりも大きな要因となって、一発殿堂を逃してしまいました。
There is no doubt that Hamed ducked him because Marquez was a dangerous opponent and the risk .
フレイタスについても「階級が違いすぎる」と主張しますが、フェザーとジュニアライトのたった1階級。それが「大きい」ということですから、ファイターの器がわかります。
自分を恐れて縮こまる相手にはめっぽう強い〝マイク・タイソン〟型のファイターでした。
メイウェザーやマルケス、パッキャオとやってたら八つ裂きにされていたでしょう。ファイターとしての志に差があり過ぎます。
コルチゾン注射の件はドーピング疑惑も指摘されていました。
WADAの2020年コードでは禁止物質ですが、ハメドが活躍した90年代は世界的にドーピングパラダイスでした。
この惨状に、WADAがIOCから独立した検査機関として発足したのが1999年。ネバダ州アスレティック委員会のリングドクターを長らく務めていたマーガレット・グッドマンがVADAを立ち上げ、ボクシングやMMAにプログラムを導入しはじめたのは2010代に入ってから。
2003年に明るみに出て世界を震撼させたバルコスキャンダル以前のハメドの時代は「やりたい放題」(ビクター・コンテ)でした。
殿堂入りについて、当初は不満も漏らしていたハメドは「マルケスから逃避した」と問い詰められると「プロモーターに聞け」と開き直っていましたが、7年越しで与えられた殿堂に満足しているようです。
ハメドがチキンだったのは間違いありませんが、それでもあの実績で一発殿堂でなかったことには違和感しか覚えません。
ダニエル・サラゴサやアーツロ・ガッティが一発殿堂で、ハメドが7年放置される…おかしいです。 ただ、殿堂で「なんでこいつが?」というのはサラゴサとガッティくらいですが。
次回はトーマス・ハウザーの「The Day it all went wrong 」(何もかもが悪い方向に転がった日)。バレラ戦で何が起きたのか? です。
そして…Boxrecの誕生物語です。
2人の対決は何度か交渉のテーブルに乗ったと言われていますが、現実の条件交渉は無かったと見られています。
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Q:メイウェザーとの対戦話は実際にあったのか?
A:一切なかった。
フロイドとは彼がプロ転向した直後に米国で会ったことがあるんだ。良い友達さ。「外国から来ていきなりHBOとあんな巨額の契約を結ぶなんてすごいな!」と感心されたよ。
Q:あなたがジュニアライト級時代のメイウェザーと戦っていたら、彼はまだ無敗だっただろうか?
A:なんとも言えない。もちろん、勝っただろうという自信はある。
Q:ファン・マヌエル・マルケス…。
A:グレートファイター。長い時間、私にとって指名挑戦者だった。
前に出てくるスタイルの彼は、私にとってやりやすい相手だから、戦うなら勝つ自信があった。
私が彼から逃げたと多くの人が信じているが、プロモーターが彼を戦うことを嫌がっていたんだ。
プロモーターは私が負けると感じていたわけじゃない、当時のマルケスは無名で世界チャンピオンでもなくて、優先順位が低かったからだと思う。
ただ、私はマルケスと戦いたかった。今は彼がとにかく偉大なファイターだと思ってる。
Q:アセリノ・フレイタスは?
A:彼とは、同じトレーナーだった。オスカー・スアレス。私がボクシングから離れる頃に、スアレスはアセリノと大きな仕事をやり始めた。
アセリノと戦うことは無かっただろう。とにかく階級が違い過ぎる。
Q:あなたはブレンダン・イングルに育てられ、スアレスとマニー・スチュアードの指導を受けた。イングルはあなたに「トレーナーを必要としない段階が来るだろう」と語りました。その特別なときはいつでしたか?
A:ブレンダンは第二の父親だった。私は彼が家族といるよりもずっと長い時間を過ごした。
そんな長い時間を共にすると、普通の感覚では理解できない信頼関係が出来るんだ。そして、私は彼のジムで初めての世界チャンピオンになった。
名声もカネも、私は彼と彼のジムに捧げた。彼は私に多くのことを教えてくれたし、それは一生忘れない。
すれ違いはあったし、息子のジョンにお願いしてブレンダンにお詫びする機会も作ってもらった。
Q:練習に身が入らなくなったのはいつのこと?
A:何を聞いてるのかわからない。いつだってハードに練習していた。
いつも練習時間に遅刻していた?ちょっと待ってくれ、練習開始時間なんて、そんなにしっかり決まってるわけじゃない。
ウォーミングアップなしで、いきなりスパーリングに入るから勘違いしているんじゃないか?そのスタイルに問題があるとは思わない。
私が練習嫌いだった、それがブレンダンを怒らせたというのは、とにかく間違いだ。メディアはいろんなことを勝手に書くけど、全部間違っている。
Q:あなたにはカムバックの噂が絶えませんでした。現実に復帰を考えたことは?
A:全くない。噂や勝手な憶測記事だった。
引退したのは28歳。ずっとその年で引退すると決めてたから。休みたかったんだ。
まだ、もう少しカネを稼げたかもしれないけど、後悔はない。
Q:あなたは才能を爆発させて、英国ボクシングの歴史を変えました。やり残したことはない?
A:ないね。
初めて負けて、28歳で引退したけど、全部出し切った。体はボロボロだった。
拳の故障は慢性的で、いつも試合前にコルチゾン注射を射ってリングに上がっていた。
試合前にドクターを入れて太い注射針を手首の裏に刺すんだ。最初はとんでもない激痛だったけど、何度も繰り返してると痛みも感じなくなるんだ。怖かった。
そのたびに、もう終わりにしようと思うんだけど…。
大金を手にして、汗臭いジムで練習するのが嫌になっただとか、憶測だけで勝手な記事を書かれたけど、そんなことだけじゃないんだ。
Q:悲願の殿堂入りも果たしました。ついに殿堂入りできたときは感慨深かったんじゃないか?
A:殿堂は全てのボクサーの最終目標、そこに辿り着いたんだから言葉では表現できない。
もちろん、私の出した結果が評価されたんだけど、それだけじゃない気もする。試合前には厳しいキャンプがあり、過酷な減量があり、記者会見もある。
ボクシングはたった一夜の、長くても36分間の戦いだけじゃないんだ。
自分の全てが認められた気分だ。どのファイターも(殿堂入りの)電話を待っているが、その電話を取れるのは本当に一握りだけ。
自分の名前が刻まれた記念碑の前で「彼の試合がまた見たい」「彼の試合を生で見たかった」と永遠に語られるんだ。素晴らしい誇りだ。
****************
マルケスからあからさまに逃亡したことは、これはもう言い訳できません。
「優先順位が低い指名挑戦者」。もはや論理が破綻しています。
活字の間からも言葉を濁す様子が伝わってきます。そのチキンぶりも大きな要因となって、一発殿堂を逃してしまいました。
There is no doubt that Hamed ducked him because Marquez was a dangerous opponent and the risk .
フレイタスについても「階級が違いすぎる」と主張しますが、フェザーとジュニアライトのたった1階級。それが「大きい」ということですから、ファイターの器がわかります。
自分を恐れて縮こまる相手にはめっぽう強い〝マイク・タイソン〟型のファイターでした。
メイウェザーやマルケス、パッキャオとやってたら八つ裂きにされていたでしょう。ファイターとしての志に差があり過ぎます。
コルチゾン注射の件はドーピング疑惑も指摘されていました。
WADAの2020年コードでは禁止物質ですが、ハメドが活躍した90年代は世界的にドーピングパラダイスでした。
この惨状に、WADAがIOCから独立した検査機関として発足したのが1999年。ネバダ州アスレティック委員会のリングドクターを長らく務めていたマーガレット・グッドマンがVADAを立ち上げ、ボクシングやMMAにプログラムを導入しはじめたのは2010代に入ってから。
2003年に明るみに出て世界を震撼させたバルコスキャンダル以前のハメドの時代は「やりたい放題」(ビクター・コンテ)でした。
殿堂入りについて、当初は不満も漏らしていたハメドは「マルケスから逃避した」と問い詰められると「プロモーターに聞け」と開き直っていましたが、7年越しで与えられた殿堂に満足しているようです。
ハメドがチキンだったのは間違いありませんが、それでもあの実績で一発殿堂でなかったことには違和感しか覚えません。
ダニエル・サラゴサやアーツロ・ガッティが一発殿堂で、ハメドが7年放置される…おかしいです。 ただ、殿堂で「なんでこいつが?」というのはサラゴサとガッティくらいですが。
次回はトーマス・ハウザーの「The Day it all went wrong 」(何もかもが悪い方向に転がった日)。バレラ戦で何が起きたのか? です。
そして…Boxrecの誕生物語です。

コメント
コメント一覧 (3)
マルケス兄とモラレスとの対戦は
実現してほしかった。
フシ穴の眼
が
しました
身長164㎝短いリーチで、WBOとはいえ二桁防衛したのは立派。層か薄い?IBFを獲り、WBCも獲り、前WBAの王者を下しているから フェザー級一筋ここまでいくのでも大変でしょう。
複数階級制覇がすごいとはおもいません。
ハグラーもミドル級のみの最高峰のミドル級サウスポーと当時は評価されたはず、
基準が米国だから、白人ではないイギリス人のハメドではハンディがあったかも?
あのままマイナータイトル獲ってズルズルキャリアつむより、
よい引き際だったかもしれません。
WBCも日本人にタイトル挑戦チャンス与えてくれるけど、
判定になると、外人有利になる時があるので、すきになれない。(原田、渡辺、畑中は判定もっていかれました。)
そういう意味では、WBCを即捨てたハメドの危険探知力のすごさはずば抜けている。
長文失礼しました。
フシ穴の眼
が
しました