105ポンドのストロー級が誕生したのは1987年、IBFの手によってでした。

1983年にWBAから分離独立したIBFは、その運営を磐石にするために①世界的な認知を進めること、②新設階級の創設、の二本柱を進めます。

①については、ヘビー級のラリー・ホームズやミドル級のマービン・ハグラーらビッグネームを王者と認定することで存在感を示し、②では1984年にスーパーミドル級、1987年にストロー級(当時の呼称はミニフライ級)をWBA/WBCに先んじて新設して17階級にわたる財源を確立しました。

スーパーミドル級では「これ以上の階級新設は世界王者の価値を貶める」と建前論でIBF潰しにかかっていた先発二団体でしたが、ミニフライ級では恥も外聞もなく速攻で追随します。

105ポンド最初のタイトルホルダーは1987年6月14日(IBF王者決定戦:◯李敬淵= 2ラウンドKO=✖️川上正治:)。

WBCは同年10月18日(◯井岡弘樹=12ラウンド判定=✖️マイ・トンブリフラム)、WBAは翌1988年1月18日(◯レオ・ガメス=12ラウンド判定=✖️金奉準)に初代王者を決定、わずか7ヶ月で三団体王者がデッチ上げられました。

IBFの認知推進と財源確保に向けたターゲットは、アジアでは経済力の高い日本と韓国に絞られます。

日本では、元暴力団幹部の柳川次郎が代表をつとめるIBFジャパンの設立にとどまり、WBAとWBCへのロイヤルティが強いJBCへのロビー活動は失敗に終わってしまいます。

IBFとの関わりを深めてJBCから除名された奈良池田ジム、そして柳川の弟分だった日本ボクシング連盟前会長〝歴史の男〟山根明…。

奈良は腐敗の温床になってしまいます。

IBFアジアの代表も務めた柳川は母国・韓国では表社会でも大きな影響力を持ち、新興団体が当時アジア第二の経済大国に入り込むパイプ役を果たしました。

結果論ではなく、この劇薬を飲んでしまったことで韓国ボクシングは〝毒殺〟されてしまいます。

ただ、ボクシング興行に反社会勢力が深く関わり、薄汚い行為が当たり前に行われていたのは日本でも同じです。

JBCは正義のためにIBFを拒んだのではありません。

WBAでは具志堅用高の「毒入りオレンジ事件」に「渡嘉敷勝男vsルペ・マデラ」の王座のタライ回しと不可解な判定。

WBCでも不可解な判定はもちろん、井岡弘樹がピンチになると鳴るゴング、「どこでも当たり前」(薬師寺保栄)というジャッジやレフェリーへの〝プレゼント〟。

「自分にとって一番嫌なことは微妙な判定で勝ってしまうこと」と何度も繰り返した世界初挑戦前の村田諒太の発言は、こうした腐敗への反旗でしたが、無能なWBAのジャッジ2人は「村田寄りのジャッジは厳禁」というサインを拡大解釈して受け止めたというまことしやかな説もあります。
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「萩・明倫学舎」で展示されている幕末に使われた天秤ばかり。真水のような公明正大な世界が夢物語だとしたら、清濁併せ呑むしかありません。問題はバランスです。

カネロの〝ラスベガスジャッジ〟の正体も「他の二人はカネロ寄りのスコアをしているはず」というあからさまな八百長ではなく〝美人コンテストの審査員心理〟でしょう。

「自分の判断ではなく、みんながどう見ているか」。

「各ラウンドを独立した単位で判定」という、そもそもの大前提からして現実の試合内容と大きく乖離したジャッジが生まれてしまう可能性が高い上に、大きなバイアスがかかりやすい日本のスター選手や、カネロのような破格のマネーパワーを持つボクサーを冷徹にジャッジするのは不可能です。

前置きが長くなりました。

醜悪な思惑が渦巻く中で誕生した105ポンド級でしたが、その33年の歴史で輩出した2人の正真正銘のグレートは、幸いなことに〝日本のスター選手〟でも〝カネロ〟でもありませんでした。

やっと、リカルド・ロペスの話に辿り着けそうです…。