2010年4月30日、日本武道館。

WBCの長谷川穂積と、WBOのフェルナンド・モンティエル。バンタム級のアルファベット王者2人が激突する一戦。
この試合は「21世紀になってからボクシングファンが最も襟を正して観た試合」でした。 

当時の長谷川は10連続防衛を重ね、boxing scene.com など一部の米国メディアではPFP10傑せに数えられるなど世界的にもバンタム最強と目されていました。

日本でも多くのメディアが「長谷川は世界的に注目されており、日本ではもっと評価されるべき」というどこかで聞いたふうな記事を垂れ流し、ボクシングマガジンはモンティエルとの試合を「日本ボクシング史上最高のマッチメイク」「バンタム級頂上決戦」と銘打ちました。

長谷川は、現在の井上尚弥の先駆けでした。

モンティエルはメキシカンでしたが、その人気と評価は決して高くなくファイトマネーも日本円で200万円前後が相場。リング誌のバンタム級ランキングでは、3階級制覇王者にもかかわらず長谷川戦が決まって9位に。それまではランク外でした、王者にもかかわらず、です。

長谷川との試合についても「長谷川の実力は未知数だが、モンティエルではテストにならない」(リング誌)と見られていました。

つまりは、誰もが認める階級最弱王者、穴王者だったのです。

実際、長谷川の前に2ラウンドで散ったB級ファイター、アレハンドロ・バルデス相手に実質敗北の内容で負傷判定ドロー、長谷川に勝った後のノニト・ドネア戦では2ラウンドの予告KOを宣言される舐められっぷり(その通りにKO負け)。

そんなダメダメなモンティエルでしたが「予告通りにKO負け」も含めて、日本では都合の悪い事実は隠され続けました。

それでも、リングサイドの亀田興毅までが「こんな緊張感のある試合は初めて」というほどに会場の空気が張り詰めていたのは「リングの上では何が起きても不思議ではない」という戰慄ではなく「長谷川は本当に強いのか?」という不安がそうさせていたのでしょう。

1年後にドネアがやってのけたように穴王者モンティエルを飲み込むーーそんな期待は試合開始前から裏切られていました。もちろん、ファンはそんなことを知る由もありませんでしたが。

リングに上がったモンティエルの雰囲気に、長谷川陣営は「オーラがすごい。こいつは間違いなく強い」(福田トレーナー)と怖気づいてしまいます。 

長谷川は懸命に戦うものの、ラウンド間のインタバルでマイクに拾われるのは「絶対王者」(ボクシングマガジンまど日本のメディア)の言葉ではありませんでした。

「速い」。「強い」。「過去最強や」。

ドネアはロベルト・ガルシアの「チャンスがあれば(2ラウンドKO予告を気にせずに)1ラウンドから行くべき」というアドバイスに「それが難しいかも。1ラウンドKO予告にすれば良かったか?1ラウンドを乗り切れば2ラウンドで倒すのは簡単なんだけど」と余裕で答えました。

ドネアが飲み込んだモンティエルに、長谷川はコーナーごと飲み込まれたのです。

「モンティエルは左のパンチは強いけど、とにかく遅いからいつでも倒せる」というガルシアの見立てが、長谷川にとっては「過去最高に速かった」のです。

モンティエルは1年前にも長谷川の防衛戦に当てがわれる予定の、いつもの雑魚挑戦者の一人でした。

内定していたエリック・モレルが前科の問題で入国できず、モンティエルとの交渉が大筋合意していたのです。

交渉を進めていた帝拳の本田明彦は「時間的な問題からモンティエル戦は一旦流れたが、1年越しの仕切り直しで交渉はやりやすかった」という一方で、その後にタイトルを獲得したモンティエル陣営は報酬の引き上げを何度も求めて「こっちの報酬はゼロでいい」(長谷川)というほど要求をエスカレートさせました。

どうしてモンティエルごときに…。

ボクシングファンの胸の中には、そんな忸怩たる思いと裏腹に、モンティエルごときよりも弱かったら…という不安もむくむくと湧き上がってくるのでした。

「あの瞬間まで主導権を握っていた」「一瞬の気の緩みが命取りになった」「腕がロープに絡まる不運がなければ4ラウンドは切り抜けられた」…いくつもの言い訳が並べられましたが、長谷川陣営はもちろん、ファンからもリベンジの声は上がりませんでした。

2016年まで現役を続けたモンティエルはことあるごとに長谷川との再戦に意欲を見せていました。「長谷川の言いなりの体重でいい。日本で再戦したい」。

しかし、その願いはとうとう叶いませんでした。 

もし、ジュニアフェザーやフェザーでリベンジを果たしていれば、長谷川穂積というボクサーに対する思いは変わっていたかもしれません。

負けっぱなしで終わらない。リベンジする。ましてや相手が勝ち逃げしてないのなら。これはボクシングの絶対哲学です。 

あの試合がモンティエルの勝ち逃げなんかじゃなかったことは、長谷川自身が身を持って証明してしまったのです。

三者とも長谷川リードと採点した3ラウンドまでのスコアカードを知ったモンティエルは「判定では絶対勝てなかった」と絶句しました。

日本で戦うことを目標にしていたモンティエルは「見たこともない報酬が約束されて人生最高のモチベーションだった」 という言葉通り、キャリア最高のパフォーマンスを見せました。

あのとき、モンティエルを選ばず、山下会長がカメラの前で公言した「恩義のある」WBCが派遣する雑魚挑戦者を黙々と倒していれば…防衛記録はもっと伸びていたでしょう。

しかし、10年前のあの日、長谷川は自分が探したリアルと確かに激突したのでした。

絶対的有利と見られたモンティエル戦で惨敗したことで、長谷川の評価も急落します。

それでも、長谷川はフェザー級の防衛戦(ジョニー・ゴンザレス戦)まで圧倒的有利の予想・オッズが建立てられました。

実際に、全盛期の長谷川を撃ち落としたモンティエルは階級10位に滑り込むのもやっとだったにもかかわらず、PFP10傑に数えられました。

過大評価の誹りを受けたものの、長谷川が世界的に評価が高かった事実は揺らぎません。

そして、その評価に甘んじることなく、リアルを目指したことも。 

「ラスベガスで一攫千金」 を夢見ながらも、海外から届くオファーは「桁が違う(少なすぎる)」と絶望し、モンティエルを高額報酬で日本に呼ぶ形でリアルを実現しようとした長谷川は、そのキャリアで一度も海外に出ることはありませんでした。

その意味では、良い意味でリアリストでした。