翌年に昭和が終わる1988年。バブル景気のど真ん中、浮ついて豪華で、騒々しくて、そしてやがて虚しい、彩色豊かな時代に、日本は立ち眩みしていました。
バブルよろしく空気枕を連結したような天井が印象的なビッグエッグが完成したのが1988年です。
そういえば前年1987年に国鉄が分割民営化され、「国電」に代わり「E電」なんて名称が押し付けられたりしましたが、ビッグエッグ同様に定着しませんでした。
安田火災海上保険(現・損保ジャパン日本興亜)がゴッホのひまわりを絵画としては史上最高額となる53億円で競り落としたのも1987年でした。
そのこけら落としに、あのマイク・タイソンが東京にやって来たというのは、今思うと何やら偶然とは考えられない感慨があります。
もちろん、バブル絶頂を迎える直前だったから電通(あのときも電通でした)と日本テレビ、帝拳がトヨタやサントリーなどのスポンサーを集めてタイソンを呼ぶことが出来たのは時代の必然でしたが。
とどのつまり、日本にとって「ゴッホのひまわり」と「タイソン」は、バブルを象徴する買い物だったのです。
あれから30年以上が経ちました。
タイムマシンに乗って「日本人の世界ミドル級チャンピオンが世界一人気のあるボクサーと戦う」と当時の私に伝えれば、「よほどの穴王者に恵まれたのか?」と聞いてくるでしょう。
「その日本人は五輪ミドル級でも金メダルを獲って、プロでは一度王座を明け渡したが返り咲いた」と聞かせたらどこまで信じたでしょうか。
しかし、そのメガファイトが東京ドームで行われることには「え?30年も経ってまだ東京ドームなの?」と少しがっかりするかもしれません。
そのときは「30年かけても一歩も前に進めない、そんなことだってあるんだよ。そんなことよりも五輪金メダリストの日本人が世界最高のボクサーに挑戦するんだ」と慰めれば「確かにそれは凄い。日本人がシュガー・レイ・レナードと戦うようなもんじゃないか!そんな未来が本当に待ち構えているのか?!」と興奮を取り戻すはずです。
前置きが長くなりました。
1988年と1990年。
「昭和が終わる前の年、バブル絶頂に向かう1988年」と「バブル崩壊の前の年、喪失の始まりの1990年」。
1988年のタイソンがトニー・タッブスを破壊し、1990年のタイソンがバスター・ダグラスに叩きのめされたのは、偶然とはいえあまりにもあからさまな暗喩でした。
1988年と1990年の東京ドーム。
日本史上最大のボクシングイベントで起きた大番狂わせを振り返ります。
まず、1988年。それは日本ウェルター級タイトルマッチで起こりました。
チャンピオンの坂本孝雄は「日本人初の世界ウェルター級王者になる」と将来を嘱望された23歳。
坂本が広島の高校ボクシング部で活躍していた名声は関西まで轟いていました。記憶というのは曖昧で(特に私)、坂本はインターハイで決勝まで進んだと思っていましたが、あらためて調べてみるとベスト8でした。
ただ、ネットのない時代、口コミで伝わってきた「坂本強し」を肥大化させるのに、まだ中学生の私の脳内は十分幼稚だったようです。
プロ2戦目で韓国人にKOされるも、5戦目で日本タイトル獲得。東京ドームの特設リング、そのロープをくぐったときの坂本は6勝6KO1敗。
挑戦者は吉野弘幸、7勝3KO3敗1分。3つ若い20歳という年齢以外に坂本に勝っているものは何一つないと思われました。
試合はまさかの展開に。吉野の左フックに坂本は何度も倒され4ラウンドKOに沈みます。
その後、日本ボクシング史に残る左フッカーとなった吉野は、当時深夜枠に追いやられていたボクシング中継のスター選手に成長します。日本ジュニアミドル級王者の上山仁とのキャッチウェイト(155ポンド=カネロウェイトです!)で行われた「日本史上最大の10回戦」など、ボクシングファンを大いに楽しませてくれました。
しかし、悲しいかなウェルター級。日本王座を14連続防衛しても世界の声はかかりません。
階級を落として、当時は米国で需要の低かった世界ジュニアウェルター級のWBAバージョンを持つファン・マルチン・コッジを後楽園ホールに呼びますが、5ラウンドTKOに散ります。
稀代の一芸屋・吉野の最高傑作は、意見が分かれるでしょうが、その衝撃度と東京ドームという舞台装置で坂本戦で決まりです。
ああ、坂本は引退後、事業家として成功していることも付け加えなければなりません。
そして、吉野vs坂本は、叩きあげvsエリートの激突、番狂わせでしたが、村田vsカネロはそうではありません。
意地悪な見方をしたら「アマエリートvsプロエリート」、もっとヒネくれたら「日墨温室育ち対決」といったところでしょうか。
バブルよろしく空気枕を連結したような天井が印象的なビッグエッグが完成したのが1988年です。
そういえば前年1987年に国鉄が分割民営化され、「国電」に代わり「E電」なんて名称が押し付けられたりしましたが、ビッグエッグ同様に定着しませんでした。
安田火災海上保険(現・損保ジャパン日本興亜)がゴッホのひまわりを絵画としては史上最高額となる53億円で競り落としたのも1987年でした。
そのこけら落としに、あのマイク・タイソンが東京にやって来たというのは、今思うと何やら偶然とは考えられない感慨があります。
もちろん、バブル絶頂を迎える直前だったから電通(あのときも電通でした)と日本テレビ、帝拳がトヨタやサントリーなどのスポンサーを集めてタイソンを呼ぶことが出来たのは時代の必然でしたが。
とどのつまり、日本にとって「ゴッホのひまわり」と「タイソン」は、バブルを象徴する買い物だったのです。
あれから30年以上が経ちました。
タイムマシンに乗って「日本人の世界ミドル級チャンピオンが世界一人気のあるボクサーと戦う」と当時の私に伝えれば、「よほどの穴王者に恵まれたのか?」と聞いてくるでしょう。
「その日本人は五輪ミドル級でも金メダルを獲って、プロでは一度王座を明け渡したが返り咲いた」と聞かせたらどこまで信じたでしょうか。
しかし、そのメガファイトが東京ドームで行われることには「え?30年も経ってまだ東京ドームなの?」と少しがっかりするかもしれません。
そのときは「30年かけても一歩も前に進めない、そんなことだってあるんだよ。そんなことよりも五輪金メダリストの日本人が世界最高のボクサーに挑戦するんだ」と慰めれば「確かにそれは凄い。日本人がシュガー・レイ・レナードと戦うようなもんじゃないか!そんな未来が本当に待ち構えているのか?!」と興奮を取り戻すはずです。
前置きが長くなりました。
1988年と1990年。
「昭和が終わる前の年、バブル絶頂に向かう1988年」と「バブル崩壊の前の年、喪失の始まりの1990年」。
1988年のタイソンがトニー・タッブスを破壊し、1990年のタイソンがバスター・ダグラスに叩きのめされたのは、偶然とはいえあまりにもあからさまな暗喩でした。
1988年と1990年の東京ドーム。
日本史上最大のボクシングイベントで起きた大番狂わせを振り返ります。
まず、1988年。それは日本ウェルター級タイトルマッチで起こりました。
チャンピオンの坂本孝雄は「日本人初の世界ウェルター級王者になる」と将来を嘱望された23歳。
坂本が広島の高校ボクシング部で活躍していた名声は関西まで轟いていました。記憶というのは曖昧で(特に私)、坂本はインターハイで決勝まで進んだと思っていましたが、あらためて調べてみるとベスト8でした。
ただ、ネットのない時代、口コミで伝わってきた「坂本強し」を肥大化させるのに、まだ中学生の私の脳内は十分幼稚だったようです。
プロ2戦目で韓国人にKOされるも、5戦目で日本タイトル獲得。東京ドームの特設リング、そのロープをくぐったときの坂本は6勝6KO1敗。
挑戦者は吉野弘幸、7勝3KO3敗1分。3つ若い20歳という年齢以外に坂本に勝っているものは何一つないと思われました。
試合はまさかの展開に。吉野の左フックに坂本は何度も倒され4ラウンドKOに沈みます。
その後、日本ボクシング史に残る左フッカーとなった吉野は、当時深夜枠に追いやられていたボクシング中継のスター選手に成長します。日本ジュニアミドル級王者の上山仁とのキャッチウェイト(155ポンド=カネロウェイトです!)で行われた「日本史上最大の10回戦」など、ボクシングファンを大いに楽しませてくれました。
しかし、悲しいかなウェルター級。日本王座を14連続防衛しても世界の声はかかりません。
階級を落として、当時は米国で需要の低かった世界ジュニアウェルター級のWBAバージョンを持つファン・マルチン・コッジを後楽園ホールに呼びますが、5ラウンドTKOに散ります。
稀代の一芸屋・吉野の最高傑作は、意見が分かれるでしょうが、その衝撃度と東京ドームという舞台装置で坂本戦で決まりです。
ああ、坂本は引退後、事業家として成功していることも付け加えなければなりません。
そして、吉野vs坂本は、叩きあげvsエリートの激突、番狂わせでしたが、村田vsカネロはそうではありません。
意地悪な見方をしたら「アマエリートvsプロエリート」、もっとヒネくれたら「日墨温室育ち対決」といったところでしょうか。
いずれにしても、また、番狂わせは起こるのです。

コメント
コメント一覧 (6)
フシ穴の眼
が
しました
木村会長に自ら売り込んでスゴい話題になったんでしたっけ?
ドームの他の前座では、怪物級の期待の辰吉は負けなかったので番狂わせではなかったものの、タイチャンプにダウンを奪われる意外な展開、当時の日本の切り札高橋はノリ再戦で何回もダウンさせられ敗れるという番狂わせもあったという記憶があります。
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました