今日の日経産業新聞に、新日本プロレスのハロルド・ジョージ・メイ社長の成功譚が掲載されていました。

オランダ生まれのマーケッター、メイ社長は「試合は映画でいうとクライマックスの決闘シーン。プロレスも映画のように〝そこに至るまでの物語〟を見せることで、より多くの人に関心を持ってもらえる」とサイドストーリーの重要性を強調しています。

確かに、プロレスは村松友視が「プロレスはプロセス」と喝破したようにスポーツよりも物語が前面に押し出るエンタテインメントです(それにしても、大昔に一般紙が「八百長だからスポーツではない」とプロレスをスポーツ欄から追放したのはなんとも無粋なことでした)。
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プロレスには物語が必要かもしれませんが、ボクシングは違います。記者会見でマイク・タイソンが恐怖のあまりパニック障害を起こし、レノックス・ルイスの足に噛み付いた事件は醜聞以外の何物でもありません。

しかし、新宿伊勢丹前でアントニオ猪木がタイガー・ジェット・シンに襲撃させた事件は、伏線と呼ぶには余りにも重大な、実際の試合以上に物語性を秘めた名演出でした。

それでも…多くのスポーツの試合にサイドストーリーは不要に思えます。

ボクシング史上最高傑作シュガー・レイ・レナードvsトーマス・ハーンズの第1戦においては、どんな物語も足手まといで邪魔なだけです。

極貧の少年時代や、比国での上院議員活動…そんなリングの外の与太話は、今まさに放たれるマニー・パッキャオの灼熱の左によってあっという間に蒸発してしまいます。

しかし「ボクシングでもスーパースターを作ることが出来る」と勘違いしている輩は、いつの時代も蛆虫の如く湧いて来ます。

トップランクやゴールデンボーイ・プロモーションズなどプロモーターはもちろん、試合を放送するテレビ局やDAZNなどのOTTサービス、リング誌やESPNなどのメディアも観戦意欲を刺激するための物語を撒き散らしています。

ボクシングから撤退したもののHBOの24/7は、この〝宣伝工作〟の代表で、悔しいですが秀逸な物語をいくつも送り出して来ました。

DAZNも24/7の ような番宣を製作していますが、不慣れなせいかHBOのレベルにはまだまだ達していません。

それでも、リング誌やESPNのサイドストーリーは流石にリングの外の与太話と聞き流せないものもあります。

年に5〜6回は「いいドキュメンタリーだな」と感心するものがあります。最近だとESPNのケイレブ・プラントとジャーメル・ヘリングの娘を亡くした物語が、突き刺さってきました。
 

▶︎医師から余命数ヶ月と宣告された生まれたばかりの娘をケイレブ・プラントは「病気なんかに絶対負けるな!」と激励し続けました。

ある朝、集中治療室のなかで消耗しきった娘の声を聞きます。まだ話せる年齢ではなく、体力的に声など出せるはずがないにもかかわらず…。

「お父さん、もう疲れちゃったよ」。

医師からの5度目の助言をようやく受け入れたプラントは、生命維持装置を外すことに同意します。

「ごめんよ。生まれたばかりのお前に絶対負けるなとか勝手なことばかり言って。その代わりお父さんも絶対負けないから。生まれたばかりのお前に負けるなといきがってた父親が負けたら、そんなズルい話はないからな」。

娘の名前を刺繍したトランクスをはいたプラントは無敗のまま、番狂わせで世界王者に登り詰めました。

※その後、母親が警官に射殺されるなど信じられない不幸に見舞われ続けるプラントですが、先日はパッキャオの前座で圧勝。初防衛戦に成功しています。



▶︎「ジャーメル・へリングは元海兵隊員。イラク戦争にも2度従軍した。最初の赴任先はファルージャだった…」。

なんて冒頭だけで「ファルージャに従軍してよく生きて返って来れたな」という思いとともに過酷な戦場の物語に引っ張り込まれてしまいます。

仲間たちが戦闘で殺されるのを何度も目の当たりにしたへリングは重度のPTSDを患います。

それでも懸命に生きるへリングでしたが…更なる不幸が訪れました。

娘をSIDS、乳幼児突然死症候群で喪ってしまうのです。

二階から妻の悲鳴を聞いたへリングは強盗が押し入ったと思い、刺し違える覚悟で階段を駆け上がります。

しかし。そこには息をしていない娘の前で妻が泣き崩れているだけでした。

そして、へリング念願の世界初挑戦。王者は評価の高い日本の伊藤雅雪。奇しくも試合の日は娘の誕生日でした。



◉◉◉ 恐ろしく治安の悪い荒んだ町で育ったプラント。ファルージャの戦火をくぐり抜けたヘリング。

私が「物語」を素直に受け入れることができない大きな理由は、 彼らが日本人には想像もできないバックボーンを背負っていることへのある種の嫉妬なのかもしれません。