元リング誌編集長で、ESPNのネイジェル・コリンズの記事(5月1日付)からの拙訳・意訳です。
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今の時代、地球規模のスーパースターは非常に生まれにくくなっています。
特に、モハメド・アリの引退からマイナー化の坂道をどこまでも転がり落ちているボクシングにおいて、それは顕著です。
1964年2月25日。モハメド・アリ(当時の名はカシアス・クレイ)は積み上げられた札束の上に座り「100万ドルを手に入れたぞ。しかし、これは始まりに過ぎない」と豪語して見せました。
当時の100万ドルは現在の貨幣価値に換算すると、約810万ドル。
カネロ・アルバレスの立ち位置は現役時代のアリどころか、天国に召された現在のアリと比較しても非常に矮小で軽微な存在です。
しかし、カネロはDAZNと3億6500万ドルのアスリート史上最高額で5年11試合契約を結びました。
単純計算で1試合3320万ドル、アリの810万ドルの約4倍に上ります。
もちろん、時代背景が違いすぎます。アスリートの経済的地位が驚くほど低かった時代に、当たり前のように100万ドル単位の報酬を手にしていたアリがいかに傑出した存在であったかは今更ここで語る必要はないでしょう。
PPV普及でマニアから高額の視聴料を集金できる現在とはビジネスの構造が全く違うのですから、カネロとアリを比較するのは無意味です。
しかし、それでも、アリのようなカリスマ性がなく、蝶のように舞うことも蜂のように刺すことも出来ないカネロが経済的にアリ以上の成功を成し遂げた理由はどこにあるのでしょうか?
カネロの契約がいかに巨大なものであるかは、ボクシングとは違うメジャースポーツの代表格・米国4大スポーツの最高報酬選手と比較しても明らかです。
カネロがマイナースポーツのボクシングで巨額の報酬を手に入れた背景には、このスポーツがメキシコで大きな尊敬を集めてきたこと、そして米国が西海岸を中心にヒスパニック社会に移行してきたことが挙げられます。
ヒスパニック、メキシカンの進出はどのスポーツでも顕著ですが母国で尊敬を集めるボクシングでは
フロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオはメキシコ人の血は一滴も流れていませんが、彼らのメガファイトの多くがメキシコのお祭りや独立記念日週間に合わせて行われてきました。
ボクシングはメキシコのスポーツであり、米国内でメキシコのコミュニティが大きく成長する時代の中で〝カネロ・アルバレス〟が登場することのは意味で必然でした。
勇気を持って戦うファイターへの礼賛を惜しまないメキシカンの熱い思いは、これまで多くの名選手を生んできました。
カネロもそんな偉大な先輩たちの系譜を引いています。何事もなかったような表情で放つ悪意に満ちた左のボディフックは、フリオ・セサール・チャベスを彷彿させます。
狡猾に餌をまくスタイルはファン・マヌエル・マルケス、真正面からの打撃戦を厭わない剥き出しの勇気はサルバドール・サンチェスが降りてきたようにすら見えます。
では、カネロはメキシコ人が愛してやまない打撃戦上等の〝メキシカンスタイル〟の完成形なのでしょうか?
まだ、そのキャリアを全うしていないカネロと偉大な先輩たちを比較するのは不公平ですが、非常に興味深いデータがあります。
カネロと6人のグレートのCompuBoxの数字「対戦相手から受けたパンチ」を比較したものです。
棒グラフの上が「対戦相手がヒットさせたパンチのパーセンテージ」で、下が「同じくパワーパンチのパーセンテージ」です。
そして一番右の大きな数字は、対戦相手がラウンドごとにヒットした平均パンチ数です。
パンチスタッツは、その登場時にラリー・マーチャントが「これは数字以上でも以下でもない。数字は試合や選手の実態を表すものではない」と喝破しているように、過度にこの表層的な数字を信頼するのは禁物です。
しかし、その一方で数字が何かを語りかけてくることがあるのも、また事実です。
この7人の中で、意外なことにカネロは対戦相手にとって的中率が最も低く、パワーパンチも当たらない、1ラウンドにヒットできる数が最も少ないボクサーなのです。
この数字から浮かび上がるのは、防御への意識の高さです。
カネロには、当たって砕けろのルーベン・オリバレスの豪快はありません。強打を振り回してどんな局面も打開する、そんなタイプではないのです。
確かに2005年のデビューからカネロがメキシコ人を熱狂させたのは、その勇気と悪意を込めた強烈な攻撃でした。
しかし、歳月と勝利を積み重ねる中でカネロのボクシングは成熟していきます。2013年にキャリア唯一の敗北を味わったときには、防御の持つ意味を正確に理解したはずです。
カネロはメキシコ人を熱狂させたという点では「チャベスの再来」ですが、そのスタイルは見た目は似てても中身は非なるものです。
米国でその地位を失墜させているこのスポーツを、健全でメジャーなものとして抱着続けてくれたメキシコには感謝しかありません。
長い歴史の中で、米国とメキシコは特別なファイトを紡いできました。
ヘンリー・アームストロングvsベイビー・アリスメンディ(1939年)、ルーベン・オリバレスvsボビー・チャコン(1975年)、サルバドール・サンチェスvsダニー・ロペス(1980年)、トミー・ハーンズvsピピノ・クエバス(1980年)、フリオ・セサール・チャベスvsメルドリック・テイラー(1990年)、マイケル・カルバハルvsウンベルト・ゴンザレス(1993年)、ジュニア・ジョーンズvsマルコ・アントニオ・バレラ(1996年)、フロイド・メイウェザーvsホセ・ルイス・カスティージョ(2002年)、ファン・マヌエル・マルケスvsファン・ディアス(2009年)…。
週末の土曜日。この偉大な系譜にもう一つの試合が加わることになります。
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今の時代、地球規模のスーパースターは非常に生まれにくくなっています。
特に、モハメド・アリの引退からマイナー化の坂道をどこまでも転がり落ちているボクシングにおいて、それは顕著です。
1964年2月25日。モハメド・アリ(当時の名はカシアス・クレイ)は積み上げられた札束の上に座り「100万ドルを手に入れたぞ。しかし、これは始まりに過ぎない」と豪語して見せました。
当時の100万ドルは現在の貨幣価値に換算すると、約810万ドル。
カネロ・アルバレスの立ち位置は現役時代のアリどころか、天国に召された現在のアリと比較しても非常に矮小で軽微な存在です。
しかし、カネロはDAZNと3億6500万ドルのアスリート史上最高額で5年11試合契約を結びました。
単純計算で1試合3320万ドル、アリの810万ドルの約4倍に上ります。
もちろん、時代背景が違いすぎます。アスリートの経済的地位が驚くほど低かった時代に、当たり前のように100万ドル単位の報酬を手にしていたアリがいかに傑出した存在であったかは今更ここで語る必要はないでしょう。
PPV普及でマニアから高額の視聴料を集金できる現在とはビジネスの構造が全く違うのですから、カネロとアリを比較するのは無意味です。
しかし、それでも、アリのようなカリスマ性がなく、蝶のように舞うことも蜂のように刺すことも出来ないカネロが経済的にアリ以上の成功を成し遂げた理由はどこにあるのでしょうか?
| Highest Paid Athletes In Boxing And The 4 Major U.S. Sports | ||
| ATHLETE | SPORT | TOTAL SALARY IN MILLIONS |
| Mike Trout | MLB | $426.50 |
| Canelo Alvarez | Boxing | $365 |
| Russell Westbrook | NBA | $206.80 |
| Alex Ovechkin | NHL | $124 |
| Russell Wilson | NFL | $107* |
カネロの契約がいかに巨大なものであるかは、ボクシングとは違うメジャースポーツの代表格・米国4大スポーツの最高報酬選手と比較しても明らかです。
カネロがマイナースポーツのボクシングで巨額の報酬を手に入れた背景には、このスポーツがメキシコで大きな尊敬を集めてきたこと、そして米国が西海岸を中心にヒスパニック社会に移行してきたことが挙げられます。
ヒスパニック、メキシカンの進出はどのスポーツでも顕著ですが母国で尊敬を集めるボクシングでは
フロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオはメキシコ人の血は一滴も流れていませんが、彼らのメガファイトの多くがメキシコのお祭りや独立記念日週間に合わせて行われてきました。
ボクシングはメキシコのスポーツであり、米国内でメキシコのコミュニティが大きく成長する時代の中で〝カネロ・アルバレス〟が登場することのは意味で必然でした。
勇気を持って戦うファイターへの礼賛を惜しまないメキシカンの熱い思いは、これまで多くの名選手を生んできました。
カネロもそんな偉大な先輩たちの系譜を引いています。何事もなかったような表情で放つ悪意に満ちた左のボディフックは、フリオ・セサール・チャベスを彷彿させます。
狡猾に餌をまくスタイルはファン・マヌエル・マルケス、真正面からの打撃戦を厭わない剥き出しの勇気はサルバドール・サンチェスが降りてきたようにすら見えます。
では、カネロはメキシコ人が愛してやまない打撃戦上等の〝メキシカンスタイル〟の完成形なのでしょうか?
まだ、そのキャリアを全うしていないカネロと偉大な先輩たちを比較するのは不公平ですが、非常に興味深いデータがあります。
カネロと6人のグレートのCompuBoxの数字「対戦相手から受けたパンチ」を比較したものです。
棒グラフの上が「対戦相手がヒットさせたパンチのパーセンテージ」で、下が「同じくパワーパンチのパーセンテージ」です。
そして一番右の大きな数字は、対戦相手がラウンドごとにヒットした平均パンチ数です。
パンチスタッツは、その登場時にラリー・マーチャントが「これは数字以上でも以下でもない。数字は試合や選手の実態を表すものではない」と喝破しているように、過度にこの表層的な数字を信頼するのは禁物です。
しかし、その一方で数字が何かを語りかけてくることがあるのも、また事実です。

この数字から浮かび上がるのは、防御への意識の高さです。
カネロには、当たって砕けろのルーベン・オリバレスの豪快はありません。強打を振り回してどんな局面も打開する、そんなタイプではないのです。
確かに2005年のデビューからカネロがメキシコ人を熱狂させたのは、その勇気と悪意を込めた強烈な攻撃でした。
しかし、歳月と勝利を積み重ねる中でカネロのボクシングは成熟していきます。2013年にキャリア唯一の敗北を味わったときには、防御の持つ意味を正確に理解したはずです。
カネロはメキシコ人を熱狂させたという点では「チャベスの再来」ですが、そのスタイルは見た目は似てても中身は非なるものです。
米国でその地位を失墜させているこのスポーツを、健全でメジャーなものとして抱着続けてくれたメキシコには感謝しかありません。
長い歴史の中で、米国とメキシコは特別なファイトを紡いできました。
ヘンリー・アームストロングvsベイビー・アリスメンディ(1939年)、ルーベン・オリバレスvsボビー・チャコン(1975年)、サルバドール・サンチェスvsダニー・ロペス(1980年)、トミー・ハーンズvsピピノ・クエバス(1980年)、フリオ・セサール・チャベスvsメルドリック・テイラー(1990年)、マイケル・カルバハルvsウンベルト・ゴンザレス(1993年)、ジュニア・ジョーンズvsマルコ・アントニオ・バレラ(1996年)、フロイド・メイウェザーvsホセ・ルイス・カスティージョ(2002年)、ファン・マヌエル・マルケスvsファン・ディアス(2009年)…。
週末の土曜日。この偉大な系譜にもう一つの試合が加わることになります。
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