3月22日、九段下でお仕事でした。

専修大の卒業式が日本武道館で行われるようで、振袖姿の若い女性がそこかしこに。

晴れの日を迎えた若者の表情は清々しくて、本当に気持ちが良いものです。

今日はあいにくの冷たい雨で、昨日はポカポカ陽気の快晴 。大切な門出の日には最高の天候でした!

会議が一段落したお昼休みには、東京管区気象台が昨日開花宣言したソメイヨシノの標本木とやらを見物に靖国神社へ。
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なるほど、しっかり咲いていました!

その足で九段下の坂道を転がって、戦中戦後の暮らしにスポットをあてた博物館「昭和館」へ。

折しも特別企画展は「日本のオリンピック・パラリンピック大会を支えた人々」。

館内は200㎡程度の小さな空間に、観覧者は何と私一人。

人混み嫌いで、行列を作って並ぶのが拷問に等しい私にとって、東京ど真ん中の贅沢すぎる空間でした。 
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東京2020。もう、あと一年と迫っているのです。

東京1964から現在まで、55年。

その「1964」の24年前にも、東京1940が決定していました。

開催決定に日本中が湧き上がりましたが、時代は世界戦争に向かって真っしぐら。

東京1940は幻と消えてしまいます。
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幻の東京1940。昭和12年(1937年)頃に公募されたブロマイドと公認マーク。80年以上前も公募していたようです。

戦局の悪化から日本政府みずからが五輪開催権を返上、この国は破滅の谷底に転がり落ちてしまいます。

戦争が終わってわずか20年足らずで、極貧から這い上がった日本が再び迎えた東京1964。
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「第1回オリンピック10円募金」を告知するポスター。今なら100円?1000円?こんな時代にファイトマネー1試合6000万円を稼いでいたファイティング原田には驚愕するしかありません。

当時の日本列島は、平和と豊かさにどっぷりつかった私たちには想像もできない感動と興奮で沸騰していたのでしょう。 
 
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五輪は、ロスアンゼルス1984から巨大ビジネスに変容してきました。

今ではスポンサーの選別も厳格になり「世界的なスポンサーは一業種一社のみ」や国内でも「ゴールドスポンサー」「オフィシャルスポンサー」などと格付けされています。

当時はそんな権利関係の概念は希薄で、ロゴマークや五輪音頭などは商店街などで当たり前に流れ、無許可で使用されていました。

このポスターでは公式スポンサーであったと推測される「ハリス」が自社商品「 ビックガム」の宣伝に使っています。

ハリスはその系列会社だったコリスが現在も「フエガム」を販売していますが、小さなお菓子メーカーが五輪をスポンサードできる時代だったようです。 
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東京1964に際して販売された記念グッズの数々。レコード針ケース(左上)や裁縫用のへら(その横)、裁縫用の糸巻き(下段左から二番目の手裏剣のようなもの)は現在ではありえないですね。

いよいよ、やって来ます。

東京2020。

その足音がはっきり聞こえてきました。