東京2020。

東京オリンピックの開会式、7月24日まで、あと1年ちょっと。

「東京1964」のときには、東京の街は劇的に改造されました。


半世紀前とは比べるべくもありませんが、東京の街も少しずつ変わりつつあります。

通勤先の地下鉄銀座駅の構内は、大掛かりな工事中です。
ぎんざ

        2019.2.22.21.02

ホームに降りても〝衣替え〟に向けて広告は引きはがされて、コンクリートが剥き出し。

いつも猥雑な駅ですが、殺風景で廃墟の趣です。


銀座は日本の中心街の一つですが、その駅構造はずっと古いままでした。

「1964」のように、この国の外観を根本から変革させることはなくとも、東京はきっと美しく変わるのでしょう。


「この老成した国に五輪なんて必要ない」。

「1964」は国民が諸手を挙げて歓迎した五輪でしたが、「2020」には不要論が根強くあります。


確かに、現時点の日本には、五輪という国威発揚のための仕掛けなど、税金の無駄遣いに過ぎないのかもしれません。

そもそも、今のこの国には発揚すべき国威などありません。もちろん、それは悪い意味だけではありません。


「1964」は敗戦で打ちひしがれたこの国を、下を向いていた国民を発揚する重大な使命がありました。


坂の上の雲を目指す旗印となった「1964」は、奇跡的な経済成長のエンジンになりました。

そして、日本人はあのときに目指した坂の上の雲を見事に、確かにつかみ取りました。


しかし。

おカネやモノ、目に見える豊かさを力強く握りしめた、その指の隙間から、何かが零れ落ちたことも事実です。



60年代。全階級を通じて世界最高のボクサーと評価されたエデル・ジョフレを大番狂わせで破ったファイティング原田に日本列島は沸騰しました。

21世紀の今も、大谷翔平や大坂なおみのような世界を驚愕させるアスリートが出現していますが、彼らが原田や長嶋茂雄を超えることはありません。


現在の私たちの脳内に張り巡らされた「価値観の多様化」という名のバリアは、あまりに分厚くなり過ぎたのです。

私たちには、1億人が熱狂的に声援を送る「長嶋茂雄」はいません。

老若男女が笑って口ずさんだ「泳げ!たいやきくん」のような唄も歌えません。


それでも、「1964」の指の間から零れ落ちた何かを、「2020」だからこそつかみ取ることが出来る、「2020」だからこそ「1964」の落とし物を拾うことが出来る・・・そんな気もしてなりません。


「1964」は東京の、日本の外観を大きく変えました。

「2020」が「1964」の落とし物を拾い上げて、日本の内面を磨いてくれるとしたら・・・。

東京オリンピックは、やはり価値のある大会になると思います。