日本の国技は大相撲です。
この「国技」というのが厄介です。
国技を、米国の野球のように「 national sport 」と解釈するなら、公然と八百長が行われていた(行われ続けている)大相撲はスポーツと呼べませんから、国技ではありえません。
私が、野球を「事実上の国技」と呼ぶのは、注目度や人気など表層的な輝きで野球が大相撲を圧倒しているからではありません。
今なお、世界的に八百長が横行しているとみられている大相撲は「スポーツ」ではありえないからです。
大晦日の那須川天心とフロイド・メイウェザーのエキビションですら「少なくとも那須川が真剣勝負で挑むのは疑いようがない」と米国の一部のブックメーカーはオッズを出しました。
そんなブックメーカーでも大相撲のオッズを出さないことが珍しくありません。
理由はたった一つです。「真剣勝負ではない取り組みがある」からです。
普通なら、大相撲は抗議しなければなりません。「全ての取り組みが真剣勝負」だ、と。「疑問に思うならどんな情報でも提供するし、査察も受ける、と。
現実の大相撲は、星のやり取りをして、到底指導とは呼べない暴力を率先して行っていた人たちが運営しています。
八百長や暴力が事件として明るみに出るたびに、謝罪する人たちは八百長と暴力の首謀者だった面々です。
奴らは、いったいどの口で、謝罪会見で適当なことを吐き出しているのか。
スポーツの世界で八百長は、最大の罪です。スポーツの根幹を否定する行為です。
そんなことに一度でも手を染めた人間は、その世界から抹殺されなければなりません。それが、野放しにされているのが、大相撲です。
この「国技」というのが厄介です。
国技を、米国の野球のように「 national sport 」と解釈するなら、公然と八百長が行われていた(行われ続けている)大相撲はスポーツと呼べませんから、国技ではありえません。
私が、野球を「事実上の国技」と呼ぶのは、注目度や人気など表層的な輝きで野球が大相撲を圧倒しているからではありません。
今なお、世界的に八百長が横行しているとみられている大相撲は「スポーツ」ではありえないからです。
大晦日の那須川天心とフロイド・メイウェザーのエキビションですら「少なくとも那須川が真剣勝負で挑むのは疑いようがない」と米国の一部のブックメーカーはオッズを出しました。
そんなブックメーカーでも大相撲のオッズを出さないことが珍しくありません。
理由はたった一つです。「真剣勝負ではない取り組みがある」からです。
普通なら、大相撲は抗議しなければなりません。「全ての取り組みが真剣勝負」だ、と。「疑問に思うならどんな情報でも提供するし、査察も受ける、と。
現実の大相撲は、星のやり取りをして、到底指導とは呼べない暴力を率先して行っていた人たちが運営しています。
八百長や暴力が事件として明るみに出るたびに、謝罪する人たちは八百長と暴力の首謀者だった面々です。
奴らは、いったいどの口で、謝罪会見で適当なことを吐き出しているのか。
スポーツの世界で八百長は、最大の罪です。スポーツの根幹を否定する行為です。
そんなことに一度でも手を染めた人間は、その世界から抹殺されなければなりません。それが、野放しにされているのが、大相撲です。
大相撲がスポーツだとしたら、ですが。
貴乃花も稀勢の里も、八百長組織の中では異質の存在でした。
大相撲が「我々はスポーツではない。歌舞伎や能と同じ伝統芸能だ」としっかり発信したらいいだけです。
もう21世紀も20年が過ぎようとしています。
大相撲が、現体制で八百長と暴力を克服することは不可能です。
つまり、スポーツにはなりえないのですから、「国技」は「national sport 」ではなく「national entertainment」と訂正するよう世界に発信するべきです。
手元に当時の新聞を置いていないのですが、稀勢の里が大関昇進したとき、全く同じ川柳を別の新聞紙面で目にしたのを覚えています。
お一人は、日本人横綱不在を嘆いた、ご年配の女性。もうお一人は、八百長が横行する大相撲に苛立つ中年男性でした。
「稀勢の里 あんたがやらんと 誰がやる」。
八百長や暴力にどっぷり浸かってきた方々が「自首」もせず「罰」も受けずに、八百長や暴力を批判したり謝罪している、大相撲は犯罪的な喜劇集団です。
ボクシングの世界も喜劇ですが、一応スポーツの体をとっていますから八百長は最大の罪です。
さらに、世界的には腐敗した承認団体やプロモーターには、メディアは厳しい批判の矢を何本も何本も射ます。
しかし、日本では、それがほとんどありません。
伝統芸能の世界でガチンコ(スポーツ)を追求した稀勢の里や貴乃花は、空気を読めない人です。
プロレスで同じことをやれば即刻クビですが、そこを曖昧にしているのが大相撲です。
ガチンコ力士は、組織からしたら「強い力士は十分評価優遇してるのに、どうして大相撲の伝統を乱すのか」と異物の存在でしょうが、彼らからしたら「大相撲はスポーツじゃなかったのか?」ということです。
大相撲のは国内だけでなく、モンゴルやフランスで想像を大きく上回るファンを抱えています。
モンゴルではスポーツとして、フランスでは「スポーツか伝統芸能か」というエキゾチックな魅力として。
いずれにせよ、新しい時代でも大相撲が曖昧な立場で、なあなあで過ごせるわけがありません。
現行のシステムでは、スポーツとして透明化していくのは不可能で、その方向を求めている人、ファンは実は少ないでしょう。
伝統芸能とカミングアウトすべきです。
横綱、お疲れ様でした。
貴乃花も稀勢の里も、八百長組織の中では異質の存在でした。
大相撲が「我々はスポーツではない。歌舞伎や能と同じ伝統芸能だ」としっかり発信したらいいだけです。
もう21世紀も20年が過ぎようとしています。
大相撲が、現体制で八百長と暴力を克服することは不可能です。
つまり、スポーツにはなりえないのですから、「国技」は「national sport 」ではなく「national entertainment」と訂正するよう世界に発信するべきです。
手元に当時の新聞を置いていないのですが、稀勢の里が大関昇進したとき、全く同じ川柳を別の新聞紙面で目にしたのを覚えています。
お一人は、日本人横綱不在を嘆いた、ご年配の女性。もうお一人は、八百長が横行する大相撲に苛立つ中年男性でした。
「稀勢の里 あんたがやらんと 誰がやる」。
八百長や暴力にどっぷり浸かってきた方々が「自首」もせず「罰」も受けずに、八百長や暴力を批判したり謝罪している、大相撲は犯罪的な喜劇集団です。
ボクシングの世界も喜劇ですが、一応スポーツの体をとっていますから八百長は最大の罪です。
さらに、世界的には腐敗した承認団体やプロモーターには、メディアは厳しい批判の矢を何本も何本も射ます。
しかし、日本では、それがほとんどありません。
伝統芸能の世界でガチンコ(スポーツ)を追求した稀勢の里や貴乃花は、空気を読めない人です。
プロレスで同じことをやれば即刻クビですが、そこを曖昧にしているのが大相撲です。
ガチンコ力士は、組織からしたら「強い力士は十分評価優遇してるのに、どうして大相撲の伝統を乱すのか」と異物の存在でしょうが、彼らからしたら「大相撲はスポーツじゃなかったのか?」ということです。
大相撲のは国内だけでなく、モンゴルやフランスで想像を大きく上回るファンを抱えています。
モンゴルではスポーツとして、フランスでは「スポーツか伝統芸能か」というエキゾチックな魅力として。
いずれにせよ、新しい時代でも大相撲が曖昧な立場で、なあなあで過ごせるわけがありません。
現行のシステムでは、スポーツとして透明化していくのは不可能で、その方向を求めている人、ファンは実は少ないでしょう。
伝統芸能とカミングアウトすべきです。
横綱、お疲れ様でした。
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