先月中旬に、赤煉瓦に取り憑かれてからまだ半月あまり、ちょうど年末年始休暇というタイミングにも恵まれて、結構な量の書籍を読み耽ることが出来ました。



地震大国、高温多湿のこの国で赤煉瓦を積み上げた建築物は絶対に建ててはいけないものでしたが、それでも何としても赤煉瓦を積み上げたくて仕方がない民族だったのです、日本人。

赤煉瓦が誕生したのは6000年前の古代メソポタミアでしたが、日本で赤煉瓦の建物が次々と建てられたのは1867年の明治維新からでした。

文明開化の音は、ザンギリ頭を叩く音ではなく、赤煉瓦を積み重ねる音でした。

しかし、明治5年(1872年)丸の内から銀座、築地にかけて東京の中心地を大火災が襲います。

死者8人、負傷者60人という数字からは歴史に残る大火災とは想像できませんが、焼失面積95万400㎡、焼失戸数4874戸という数字は間違いなく大惨事です。

なにしろ、丸の内から有楽町、京橋、銀座、築地、あの一帯が焼け野原となったのです。

この「銀座大火」をきっかけに、明治政府は丸の内と銀座を煉瓦街に改造する一大事業に乗り出しました。
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銀座金春通りに建立する「煉瓦遺構の碑」(2018年12月17日昼休み撮影)。

再開発のときに発掘された赤煉瓦を積んだ記念碑が、銀座の金春通りにひっそりと立っています。

まだファン歴1ヶ月も経たない私ですが、19世紀からタイムスリップして現れたこの赤煉瓦の貫禄はすごい!!

この「(同じ段で長手と小口を交互に積む)フランス積み」の丁寧さと美しさ、どないですか!?

シブ過ぎる!…感動モノです。

※後ろの壁面や、歩道の赤煉瓦は当時のものではありません。


このとき建てられた赤煉瓦街は、今は一つも残っていませんが、遺構はあちこちに残されていました。

勤務先の東銀座周辺は、まさにかつての赤煉瓦天国だったのです。