それは今から16年前、2002年に週刊ベースボール誌の連載から始まりました。

「週べ」は定期購読していませんでしたが、その存在はすぐに耳に入ってきました。

そりゃそうです。

あの落合博満がバッティングの技術教本を書くというのですから。

野球は長らく、この国で最高のヒト、モノ、カネが投資されてきた事実上の国技です。

形式上の国技は、ど素人をスカウトすることを当たり前にしています。実質、新人ゼロの年まであります。

しかし、そんな土下座、プロ野球は絶対にしません。

そして、どんなになりたくてもなれないのが、プロ野球選手です。

この国技が産み出した最高のスーパースターは長嶋茂雄、このスポーツの〝かたち〟に最も大きな影響を与えたのは野茂英雄、他にも王貞治やイチローなど国民的スーパースターを輩出してきました。

それでも、このスポーツについて最も熟知しているのは落合だと確信して疑いません。
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これまでも軽く伝えられた落合の一言でも、心を突き刺されてきました。

「(当時新人の)清原に『バットにマークが入っているのはどうして?』と聞いたけど『そこに当たったら折れるから』としか答えられなかった。今の若いのはな〜んにも知らないんだな」。

木製バットにマークが入っているのは「そこにボールが当たると折れる可能性がある」という注意です。清原は間違っていません。

私もそこまでしか知りませんでした。

しかし、落合が期待した答えは「一本の木から削り出されたバットには柾目と板目があって、弱い板目にマークが付けられている。インパクトの時はマークが打者にしっかり見える柾目でボールを捉えて、手首を返しなさい」ということでした。

柾目と板目は金属バットでは全く関係ないですからね。

このエピソードで多くの野球少年が、木製バットの作りとマークの本当の意味を知りました。 

バットについての知識、目の付け所、考え方も超越しています。

一つだけ紹介すると、ノックバットです。選手はそんなにまじまじと見たり考えたりしない、あの長いバットです。

「高校野球の練習で年配の指導者が外野ノックで軽く振ってスタンドまでボールを運ぶことがあるが、あれがバットの使い方の基本。力まず軽く振ること」。

「91センチのノックバットは長い分、遠心力がつかえるから軽く振っても遠くまでボールを飛ばせるのだが、規則では試合で使用するバットの長さは107センチまで許されている。ならば、ノックバットのように長くて軽いバットを使えば理想のバッティングに近づける」と、「あぶさん」みたいなトンデモナイことを言い出すのです。

「現実にバットが長く重くなると、スイングスピードの問題や内角球のさばき方等、実戦で使うのは難しいが、使いこなす技術さえあれば、バットは長ければ長いほどいい」と〝物干し竿〟信仰を説きます。

私も何度もノックバットでノックをしましたが、そんな発想は生まれません。

私のような凡才は「これは練習だけで使うもの」と頭の中で完全に線引きしてしまっているのです。

巨人の前監督、高橋由伸も慶応大時代に、素振りで使う長い竹バットを「本当はこれが使いこなせれば無敵なんだけど」と笑っていたのも思い出します。

天才って、身体能力だけじゃなく、頭の中がすごいんです。

もしかしたら、大谷翔平の二刀流に次ぐ“奇跡”は、物干し竿を自由自在に操る異能のバットマンかもしれません。


さらに1984年に本塁打王を獲った掛布雅之に、巨人に入団したばかりのウォーレン・クロマティが「トップの位置を動かしちゃダメだ」とアドバイスしたことがありました。

体の中心、顔の前あたりにグリップを構えて、投手が投球動作に入るとグリップを捕手側に引いてトップを作るのが掛布独特のフォームでしたが、クロマティは「最初からトップの位置に入れておけ」というのです。

これにはもちろん、一理あり、現在の打者のほとんどがトップの位置(あるいは極めてその近く)で構えてボールを待っています。

しかし、ご存知のように落合は、ほぼ両腕を伸ばした状態でゆったりとバットを体の正面に構え、投球動作に合わせてトップの位置にグリップを移します。

クロマティの掛布への助言を伝え聞いた落合は一笑に付します。

「スィングするときにバットがトップの位置に入っていればいいのであって、トップ以前にフォームの欠陥はない」と断言したのです。

この不朽の名著「バッティングの理屈」の中ではコンニャク打法の梨田昌孝や、バットのヘッドを完全に投手側に倒して構えるフリオ・フランコを例に挙げ「自分自身が違和感なくトップの位置に持っていける構えであれば、どんな形でもいい」「万人に共通の理想的な構えなどというものは存在しない」と喝破しています。

野球をやっていた頃、凡退するたびに「バットのヘッドが投手寄りに入ってるから差し込まれた」「トップに入るまで動きすぎるから芯を外された」と後付けのアドバイスをもらうことが多くありました。

そのたびに「自分に一番楽な構えが一番正確に、速く、強くバットを振れるんだけど」という思いもありましたが、指導者の言うことが正しいと鵜呑みにして、ヘッドの位置やトップに入る予備動作をチェックしていました。

「落合!!!もっと早く言ってよぉ〜〜〜〜!!!」。


普通はその競技に深く関われば関わるほど、俯瞰でものごとは見れなくなるものです。

言い換えると、いい意味での素人目線はどんどん失われていくのです。



話は陸上競技に飛びます。以前、日本選手権800mを陸上素人の知人と観戦していたときのことです。

ブレイクポイントからオープンレーンになって各選手がインコースに雪崩打って肩や肘をぶつけ合う光景に「中距離はトラックの格闘技って言われてる」なんてしたり顔で話す私の言葉をさえぎって知人は「どうしてあんなにセッカチにインコースを目指すんだ?もっと緩やかに走ったほうが体がぶつからないし、何よりも走りやすいはずだ」と言い出すんです。

「オープンから、良いポジションを確保しなければならない」という命題はあるにしても 、私にはそんな発想はありませんでした。



その競技に関われば関わるほど、硬直する一方の思考回路を柔軟に保てるってのは、すごい才能だと思います。

落合の場合はそれが才能だけではなく、生い立ちと環境も大きく影響しているのは間違いありません。

この名著の話は、おそらく終わらないです…。❷の前に、他の名著を紹介する羽目になりそうです…あしからず。