裏口入学にコネ入社。
不公平が溢れる世の中で、スポーツの世界だけは別…。
なんて綺麗事がありえないことは、誰にだってお分かりでしょう。
プロ野球ではドラフト1位選手は、あからさまに多くのチャンスを与えられます。結果が残せなくても、首を切られるのは基本最後です。
ドラフト1位は競合するとクジになりますが、彼らが優待されるの 理由はクジや運や偶然ではありません。
甲子園で人気者になったり、大学や社会人で傑出した実力を示したという結果を評価されたからです。
強いヤツが勝つ、いや勝ったヤツが強いのだ、という一対一の殴り合い、ボクシングの世界でも不公平は顕著です。
五輪でメダルを獲るボクサーは日本では極めて稀ですが、米国ではメダリストは温室の中で大切に育てられます。
それが、金メダルで、しかも中重量級だった場合は、その傾向は更に色濃くなります。
キャリアを考えた試合が組まれる、レールが敷かれるということです。
大切に育てられる、そのスタイルや実力を鑑みて、適度な肥料と温度管理がなされた温室の中で成長させるということです。
簡単なようですが、どの駅を通過してどの駅で停まるか、レールを、どう敷設するかはプロモーターとマッチメイカーの高度な職人技です。
温室の中でも、肥料を与え過ぎたり、温度管理を間違うとデリケートな才能はたちまち腐ってしまいます。
温室の中に敷かれたレールの上を最初に走った最も有名なボクサーは、メキシコ五輪ヘビー級で金メダルに輝いたジョージ・フォアマンでした。
もちろん、ローマ五輪ライトヘビー級金メダルのモハメド・アリもそうだという見方も出来ますが、フォアマンのケースは更にあからさまでした。
難しいのは線路の引き方。キャリア初期のグランドデザインです。
「温室で育てられ、用意された線路を走る」。
最も安全で効率的で確実なやり方に見えますが、果たしてそうでしょうか?
マニー・パッキャオがデビューから温室に閉じ込められ、線路の上を無理矢理走らされていたら、あの偉大にして破天荒なレガシーを築くことができたでしょうか?
もし鈴木一朗がドラフト1位で指名され、18歳から十分なチャンスを与えられていたら、イチロー登場の衝撃的なブレイクは2年前倒しされていたのでしょうか?
清原和博が巨人に裏切られ、同情と応援のぬるま湯につからずに、ドラフト下位指名され、その屈辱に反駁するキャリアを送っていたら無冠の帝王だなんて誰にも言わせなかったかもせれません。
そして〝村田諒太プロジェクト〟が座礁(もちろん現時点での〝座礁〟です。今後の展開によっては座礁ではなく〝貴重な授業〟だったとなるかもしれません)した原因は、一つではありません。
様々な原因が複雑に絡み合って引き起こされたものです。
その原因の一つに「船頭多くして船、山に登る」が挙げられることに異論を挟む人はいないでしょう。
このプロジェクトのプロデューサーは一人ではありませんでした。
帝拳とトップランク。フジテレビと電通。
日米プロモーターの思惑が、完全に一致するわけはありません。 テレビ局と広告代理店の目的は、視聴率と費用対効果です。
そして、村田諒太の思いは強い相手、ビッグネームとのメガファイトを実現して、自らの存在価値を世界に示し、日本のボクシング界を劇的に改善することでした。
ジョージ・フォアマンから村田諒太まで、傑出した才能にカネや人材、そして希望と期待が集まるのは世の常です。
そして〝村田諒太プロジェクト〟が座礁(もちろん現時点での〝座礁〟です。今後の展開によっては座礁ではなく〝貴重な授業〟だったとなるかもしれません)した原因は、一つではありません。
様々な原因が複雑に絡み合って引き起こされたものです。
その原因の一つに「船頭多くして船、山に登る」が挙げられることに異論を挟む人はいないでしょう。
このプロジェクトのプロデューサーは一人ではありませんでした。
帝拳とトップランク。フジテレビと電通。
日米プロモーターの思惑が、完全に一致するわけはありません。 テレビ局と広告代理店の目的は、視聴率と費用対効果です。
そして、村田諒太の思いは強い相手、ビッグネームとのメガファイトを実現して、自らの存在価値を世界に示し、日本のボクシング界を劇的に改善することでした。
ジョージ・フォアマンから村田諒太まで、傑出した才能にカネや人材、そして希望と期待が集まるのは世の常です。
順調に運行表を守り、温室から飛び出し露地に出て、目的地まで走り抜けたボクサー、思わぬ脱線、挫折に見舞われたボクサー…〝金の卵〟たちの軌跡を辿ります。
最初の夜は、温室に囲われ、線路を敷設された、最初のビッグネーム、ジョージ・フォアマンの場合です。
1969年メキシコ五輪でヘビー級金メダルを獲得したフォアマンは、希望の星でした。
当時のヘビー級はボクシングはおろか、あらゆるスポーツの王様でした。
「この若者を世界王者にしなくてはならない、絶対に」。
マネージャーにはソニー・リストンを育てたディック・サドラーが就き、①安全な(一発強打の無い)相手、②様々なスタイルの選手、③ 苦手と思われるスピード型は間違いなく勝てる相手から徐々にレベルアップさせる、④米国のいろんな会場・雰囲気に慣れさせる、という4つに当てはまる対戦相手(Four Man=フォアマン)を選びました。
のちに、フォアマン方式と言われる村田諒太にも通じる「温室マッチメイク」です。
さらに、トレーナーには攻撃担当のサンディ・サドラー、防御にはアーチー・ムーアと、元世界王者のマスターを招聘、きめ細かい指導で至高の才能をプロ仕様にデザインしていきました。
フォアマンを加えて、ここでも4人の、Four Man=フォアマン 体制で壮大なプロジェクトを開始したのです。
1969年6月のプロデビューから破竹の連勝街道を驀進します。
しかし、ファンの目からは「金メダルにあぐらをかいて雑魚に勝ってるだけ」と冷めた目で見られました。
確かに雑魚ばかりでしたが、どの雑魚にも、どの試合にも明確なテーマがありました。
特筆すべきは、その1969年は6月デビューから半年で13試合、1970年は12試合と、わずか18ヶ月で25試合も消化、温室の中でディックが思い描いた通りの肥料を吸収していったことです。
1971年は7試合に絞り、主に突貫型の強打者を厳選して対戦させたのは、ターゲットの世界王者ジョー・フレージャーを見据えていたことは火を見るよりも明らかでした。

当時のヘビー級はボクシングはおろか、あらゆるスポーツの王様でした。
「この若者を世界王者にしなくてはならない、絶対に」。
マネージャーにはソニー・リストンを育てたディック・サドラーが就き、①安全な(一発強打の無い)相手、②様々なスタイルの選手、③ 苦手と思われるスピード型は間違いなく勝てる相手から徐々にレベルアップさせる、④米国のいろんな会場・雰囲気に慣れさせる、という4つに当てはまる対戦相手(Four Man=フォアマン)を選びました。
のちに、フォアマン方式と言われる村田諒太にも通じる「温室マッチメイク」です。
さらに、トレーナーには攻撃担当のサンディ・サドラー、防御にはアーチー・ムーアと、元世界王者のマスターを招聘、きめ細かい指導で至高の才能をプロ仕様にデザインしていきました。
フォアマンを加えて、ここでも4人の、Four Man=フォアマン 体制で壮大なプロジェクトを開始したのです。
1969年6月のプロデビューから破竹の連勝街道を驀進します。
しかし、ファンの目からは「金メダルにあぐらをかいて雑魚に勝ってるだけ」と冷めた目で見られました。
確かに雑魚ばかりでしたが、どの雑魚にも、どの試合にも明確なテーマがありました。
特筆すべきは、その1969年は6月デビューから半年で13試合、1970年は12試合と、わずか18ヶ月で25試合も消化、温室の中でディックが思い描いた通りの肥料を吸収していったことです。
1971年は7試合に絞り、主に突貫型の強打者を厳選して対戦させたのは、ターゲットの世界王者ジョー・フレージャーを見据えていたことは火を見るよりも明らかでした。
翌1972年は5試合と更に試合数を落とし、フォアマンを研ぎ澄ましていきます。
このあたりのマッチメイクは、村田が「WBAタイトルを放棄して(カネロ・アルバレスへのアプローチにつながる GBP傘下の激闘型ボクサー)ジェイソン・クイグリーと戦う」という姿勢から一転、スピードタイプのブラントに変更したことに比べると、フォアマンの線路は一貫したグランドデザインによって敷かれていたことが分かります。
しかも、ディックは「フォアマンに弱点があるとしたら性格。つまり気が弱い」と早い段階で喝破していました。デビューから18ヶ月で25試合、連戦連勝させることでテキサス生まれの純朴な青年は、自信に満ち溢れた野獣に変貌していました。
そして、ボクシング史上最も衝撃的な日がやって来ます。
1973年1月22日、ジャマイカはキングストンの国立競技場。「キンシャサの奇蹟」「スリラー・イン・マニラ」と続く、発展途上国が国威発揚のために招致した超メガファイト三部作の第1作です。
王者フレイジャー29歳、フォアマン25歳。4歳の年の差は、東京とメキシコの金メダリストという〝五輪スパン〟がそのまま当てはまります。
そして、二人とも無敗!
しかし、先輩のフレージャーの29戦(25KO)に対して、フォアマンは37戦(34KO)と若き挑戦者が試合数で上回っていたのです。
「雑魚相手にいたずらに試合を重ねただけ」。そう決め付けた口の悪いメディアやファンは、その相手のタイプとマッチメイクの意図、深淵なフォアマンスタイルなど知る由もありませんでした。
試合二日前に、キングストンのレストランを借り切ってフォアマンの壮行会が開催されます。
このあたりのマッチメイクは、村田が「WBAタイトルを放棄して(カネロ・アルバレスへのアプローチにつながる GBP傘下の激闘型ボクサー)ジェイソン・クイグリーと戦う」という姿勢から一転、スピードタイプのブラントに変更したことに比べると、フォアマンの線路は一貫したグランドデザインによって敷かれていたことが分かります。
しかも、ディックは「フォアマンに弱点があるとしたら性格。つまり気が弱い」と早い段階で喝破していました。デビューから18ヶ月で25試合、連戦連勝させることでテキサス生まれの純朴な青年は、自信に満ち溢れた野獣に変貌していました。
そして、ボクシング史上最も衝撃的な日がやって来ます。
1973年1月22日、ジャマイカはキングストンの国立競技場。「キンシャサの奇蹟」「スリラー・イン・マニラ」と続く、発展途上国が国威発揚のために招致した超メガファイト三部作の第1作です。
王者フレイジャー29歳、フォアマン25歳。4歳の年の差は、東京とメキシコの金メダリストという〝五輪スパン〟がそのまま当てはまります。
そして、二人とも無敗!
しかし、先輩のフレージャーの29戦(25KO)に対して、フォアマンは37戦(34KO)と若き挑戦者が試合数で上回っていたのです。
「雑魚相手にいたずらに試合を重ねただけ」。そう決め付けた口の悪いメディアやファンは、その相手のタイプとマッチメイクの意図、深淵なフォアマンスタイルなど知る由もありませんでした。
試合二日前に、キングストンのレストランを借り切ってフォアマンの壮行会が開催されます。
誕生日を迎えたディックの夫人がピアノを弾き語り「…アンド、ニュー!ヘビーウェイト、チャンピオン、オブ、ザ、ワールド!ジョージ・フォアマン!」と高らかに歌い、フォアマンに最後の暗示がかけられました。
後年、このエピソードを伝え聞いたモハメド・アリは「実に興味深い話だ、そんな下手くそなピアノで酔ってしまう奴なのか。私ならもっと簡単に籠絡できるだろう」とほくそ笑んだと言います。
アリを倒した、あのスモーキン・ジョーをフォアマンは初回に3度、二回にも3度倒し、4分35秒で葬り去りました。
世界が戦慄した「キングストンの惨劇」です。
4人の男たちがフォアマンを神輿に担ぎ上げたプロジェクトは、大きな成果を上げました。
温室を引き裂き、線路を外れて、厳しい荒野で世界最強のフレージャーを完膚なきままに打ち砕いたのです。
しかし、温室のぬくもりと、線路を走る心地よさを知ってしまったフォアマンが、神をも恐れぬ男を前にしたとき、純朴で気の弱い素顔を曝け出してしまったことは、ある意味必然でした。
もし、アリさえいなければ、フォアマンのプロジェクトは完璧なハッピーエンドで終わっていたかもしれません。
また、もし、フォアマンがいなければ、現在語り継がれているアリの神話は違う形に、つまり重要なスパイスを忘れた料理のようになっていたかもしれません。
次の夜は、フォアマンよりもフォアマンスタイルを徹底したオスカー・デラホーヤの温室と線路について、です。
後年、このエピソードを伝え聞いたモハメド・アリは「実に興味深い話だ、そんな下手くそなピアノで酔ってしまう奴なのか。私ならもっと簡単に籠絡できるだろう」とほくそ笑んだと言います。
アリを倒した、あのスモーキン・ジョーをフォアマンは初回に3度、二回にも3度倒し、4分35秒で葬り去りました。
世界が戦慄した「キングストンの惨劇」です。
4人の男たちがフォアマンを神輿に担ぎ上げたプロジェクトは、大きな成果を上げました。
温室を引き裂き、線路を外れて、厳しい荒野で世界最強のフレージャーを完膚なきままに打ち砕いたのです。
しかし、温室のぬくもりと、線路を走る心地よさを知ってしまったフォアマンが、神をも恐れぬ男を前にしたとき、純朴で気の弱い素顔を曝け出してしまったことは、ある意味必然でした。
もし、アリさえいなければ、フォアマンのプロジェクトは完璧なハッピーエンドで終わっていたかもしれません。
また、もし、フォアマンがいなければ、現在語り継がれているアリの神話は違う形に、つまり重要なスパイスを忘れた料理のようになっていたかもしれません。
次の夜は、フォアマンよりもフォアマンスタイルを徹底したオスカー・デラホーヤの温室と線路について、です。
コメント
コメント一覧 (2)
スポーツでは新しい時代の選手の方が必ず強い、というのは幻想であることも、あのタイソンが「(激しく対戦要求する)フォアマンとは戦わない」と弱気に繰り返す姿に思い知らされました。
「アリの時代のヘビー級を見てしまうと、他のボクシングは見れない」という沢木耕太郎ら、リアルタイムのファンには羨望しかありません。
フシ穴の眼
が
しました
しかし、フレジャーがいなかったら格下相手の連勝からのキンシャサになるわけで。
やっぱり一人も欠けることなく全員いての伝説ですね。
フシ穴の眼
が
しました