「村田が普通のチャンピオンじゃないことはよくわかっていた。ラスベガスまで日本メディアが大挙して詰めかけて、米国メディアですら私を負け犬扱いするのは仕方がないけど、無視されたのは癪に触っていた」。
「村田は私と戦って、私に勝たないとその先に進めないというのに、みんながみんなロブ・ブラントなんてボクサーがそこにいないかのように振舞っていた」。
「この試合が決まってから、私は村田の試合を何度もなんども繰り返し見た。 それだけじゃない、彼の言動や記事、どんな些細なものにも手に入るものは全て目を通した。こんなに対戦相手を研究したことなんて、今までたったの一度もなかった」。 

〜WBA世界ミドル級セカンド王者:ロブ・ブラント
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 PHOTO BY NAOKI FUKUDA 
 
最初のチャンスをモノにするボクサーは滅多にいません。

そして、モノに出来なかった最初のチャンスから学んで、2度目のチャンスをモノにするボクサーも多くはありません。

WBAミドル級の指名挑戦者だったブラントでしたが、昨年5月のアッサン・エンダムvs村田諒太の初戦が不当判定と議論を呼び、ダイレクトリマッチが不可避となったことを受けて「これ以上待てない。待つ引き換えに、WBSSスーパーミドル級トーナメントに出場することを認めてほしい」とWBAに掛け合いました。

WBAはこの申し出を認め「WBSSの結果を問わず、ブラントの指名挑戦者の地位を保証する」とパーミッションを与えます。

「得した気分だった。WBSSは米国ではマイナーでテレビ放送もないけど、出場選手でたった一人の米国人ということでドイツでは大歓迎された。WBSSで勝ち進んだら、WBA指名挑戦者の地位は放棄してトーナメント優勝を目指そうと色気を出していたんだ」。

「対戦相手はネイサン・クレバリーにストップ負けしてから試合をしていない12歳も年上の39歳のユルゲン・ブレーマー。私が有利と見られ、トーナメントでも台風の目になると地元メディアで放送されたんだ」。

“I didn’t necessarily overlook him, but in a lot of ways I did,”(ブレーマーを舐めてかかってたわけじゃないけど、無意識のうちに油断してしまっていた)。

試合は、まさかの大差判定負け。
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「ブレーマーは、恐ろしくやりにくいサウスポーだった。地元ドイツで戦うこともモチベーションになっていたんだろうけど、メディアが〝ポンコツ〟と書きたてたブレーマーに攻められると〝こんなはずじゃない〟と、ズルズル深みにはまってしまった」。

「ドイツに行くときは誰も注目してくれなかったのに、米国に帰ってきたらメディアは恥さらしだ、評価は地に堕ちたと非難した。そもそも、私のことなんて評価してなかったくせに」。

ミネソタ州セントポール生まれのブラントにとって、キャリア初黒星は、大きな転機となりました。彼は敗北から多くのことを学びました。

普段はテキサス州ダラスで生活しているブラントは、試合が決まるとラスベガスのジムに篭ってエディ・ムスタファ・ムハンマドの指導を受け、練習漬けの日々を送るようになりました。

今年3月の復帰戦は無名のコルビー・クートゥアを1ラウンドKOで倒して、村田戦への弾みをつけます。

「村田のプレッシャーを跳ね返すことは出来ない。彼が前に出て、私が下がる、この展開は揺るがしようがない。その展開でも、彼に追い詰められたら勝ち目はない。前に出る彼をどうコントロールするか、それを考え抜いた」。

「彼は、ワンツーを基本に攻めてくる非常にベイシックなプレッシャーファイター。ブレーマーのようなごまかしのボクシングではなく、真っ正直に距離を潰してくる」。

「村田のワン(ジャブ)は警戒しなければいけないが、どうしようもないパンチじゃない。ツー(右)は強烈だから、射程距離にいる時間は最小限にしなければならない。ただ、強烈なパンチは必ず引きが遅い、打ち終わりを狙う隙が出来る。みんな村田の右が強いと言うばかりで、その裏返しの欠点はわかっちゃいなかったんだ」。

「そして、何より村田はワンツーを外されると、コンビネーションはその二発で終わる。右の打ち終わりを突けば、こっちがパンチをまとめることができる」。

「プレッシャーがかからず、ワンツーが不発になると、相打ち狙いで強引に攻めてくるはずだ。そこが正念場になるとムハンマドも指摘してくれている。そこで付き合ってはいけない。捨て身で力任せで攻めてきたら、とにかくダメージを負わないように、かわして、かわして、耐えるんだ。その嵐をやり過ごしたら、村田にはもう何も残っていない」。

++++++ブラントは、アマチュアでも優秀なボクサーでしたが、ドメスティックなタイトルにとどまり、村田のような黄金に輝かくようなキャリアではありませんでした。

しかし、ブラントのボクシング人生にも四季が巡り、矜持が込められていました。

ブラントは、初めてホワイトベアレイク・ボクシングジムの門をくぐった日のことを、今でもはっきりと覚えています。

当時高校生だった少年は、UCLAでアメフト選手として活躍した父親の足跡を追いかけていました。

そんな尊敬する父親の友人、元ボクサーのボブ・ミッチェルはブラントと友人がボクシンググローブを着けて遊ぶ姿を一目見るなり「こいつは才能がある」とジムに連れて行かれたのでした。

若いボクサーたちがスピードバッグを叩き、ミット打ちをしている、その軽快な音に、汗と皮の匂い…ブラントは “It was like a scene out of the movies,” (まるで映画を観ているようだ)とその魅力にたちまち取り憑かれました。

そこで出会ったのが、85歳になるエメット・ヤネス。彼に勧められるままに、1年半後にアメフトをやめて、ボクシング一本に集中します。

2012年にプロ転向。無敗街道を突き進みます。

2016年1月にはShowTimeのメインイベントをつとめて、空位の WBA北米ミドル級王座をデカルロ・ペレスと争い、4ラウンドKOで地域タイトルを掴み取ります。

この試合で、ESPNのダン・ラファエルは「素晴らしい技術を持ったボクサーだ」とブラントを絶賛。

この年のESPNの年間KO賞にもノミネート、「TOP20 Rising Stars 」にも数えられますが、全階級を通じても屈指の層の厚さを誇るミドル級には、同じ米国人のダニエル・ジェイコブスを筆頭にジュニアミドル級王者のジャーマル・チャーロやデメトリアス・アンドラーデらが進出を表明、北米市場という観点ではカネロ・アルバレスにゲンナディ・ゴロフキン、デビッド・レミューらの巨大な惑星が軌道する星系では、目立たない存在に甘んじるしかありませんでした。

「WBSSに参戦したのは、私はここにいるぞと、目立ちたかったから。やってやると意気込んでいたけど、負けても村田のタイトルに挑戦できる、という浮ついた気持ちがどこかにあったのかもしれない。そして、現実に負けてしまった」。

「村田は五輪の金メダリストで、このクラスで最も報酬の高いボクサーの一人。ブレーマーよりも若くて、全盛期を迎えている。今まで一度もピンチらしいピンチを経験していない」。

「村田の実質報酬は私の30倍以上、トップランクの村田は日本の国民的英雄でDAZNとも大型契約を結んだ、来春には東京ドームでGGGとビッグファイトを戦う、GGGに勝てばラスベガスに戻ってカネロとの人気者対決もある…私との試合を無視したかのような話があちこちで飛び交うのは、失礼だと思ったけど、実はそんなに気にならなかった」。

「自分の存在を無視されるのは、試合に集中するには好都合だったよ。村田のことは研究し尽くしていたし、自分を見つめる時間もできた。精神的にも肉体的にも、準備万端だった」。

ブラント陣営は、村田が再戦条項を行使するなら大歓迎、東京に行く、と前のめりに表明。そして、村田に勝てば「WBA王者は二人いらない」とスーパー王者カネロとの対戦を熱望しています。

ブラント本人は「まだ次の相手が決まったわけじゃない。決まったらその相手に集中するだけだ。私は、キャリア唯一の敗北から多くのことを学んだ。あの試合は負けたけど、私にとっては勝利した試合よりもずっとはるかに意義のあるものだったのかもしれない」と、目の前の一戦必勝の姿勢を崩しません。

「村田もそうだったかもしれない。私もそうだった。とにかく、これだけは言える。先のことを考えるとロクなことはない」。


***リング誌、ESPN、英国ボクシングニュース誌の特集記事、ウィキペディアを加工編集したものです***