ポルトガル語“Galo Do Ouro” (ガロ・デ・オーロ)を「黄金のバンタム」と〝意訳〟したのは最高の仕事です。
“Mano de Piedra ”(マノ・デ・ピエドラ)は、邦訳の「石の拳」でも英訳の“ Hands of Stone” でも十分に凄みが伝わります。
しかし“Galo Do Ouro” の英訳は“Golden Rooster”。「黄金のおんどり」です…。
オーストラリアのファーストフード「Red Rooster」まで連想してしまい、なんだかチープな感じに聞こえてしまいます。絶対、英語はNGです。
〝Bantam〟(ちゃぼ、おんどり) という言葉が一般的でないんですよね。
Roosterとほぼ同義語はCock(闘鶏はCockfighying)ですが、Cockも違いますね。
「黄金のバンタム」は、エデル・ジョフレもファイティング原田も知らない世代には「バンタム級は層が厚くてレベルが高いから黄金に例えられる」と間違った意味で伝えられることがあるのも、この名訳の懐の深さです。
海外では“Galo Do Ouro”は偉大なジョフレの異名でしかなく、そこにはバンタム級に対する畏怖ともとれるニュアンスはありません。
そういう意味では、英語の捉え方のほうが日本のような誤解を招くことがありませんが。
〝黄金のバンタム〟エデル・ジョフレは1936年3月26日、ブラジル・サンパウロで生を受けました。
アルゼンチン人の父と、イタリア人の母の間に生まれたジョフレは、リング内外でその紳士的な振る舞いが知られていますが、タフな少年時代を過ごしました。
「両親は貧しい母国を脱出してブラジルにやって来たんだ。そんな人たちばかりだった。まあ、ブラジルは母国で行き詰まった人たちが夢を描く、そういう国なんだ」。
「貧しかったけど、ストリートでボール遊びやボクシングごっこをするのは楽しかったな。キャプテン・マーベルやスーパーマンになりたいって思ってたよ」。
ブラジルではボクシングはマイナースポーツです。というよりも「ブラジルにはメジャースポーツはサッカーしかない」という方が正確です。
昔も今も、あの国はサッカーに取り憑かれているのです。

昨日のコスタリカ戦で勝利した瞬間にネイマールが泣き崩れた姿は、日本のスポーツファンの目には「まだ決勝トーナメント進出すら決めてないのに、ここで泣いちゃダメだろ」と映ったことでしょう。
しかし、あのネイマールが両手で顔を覆って安堵の涙を流したのです。彼が背負ったアウリヴェルジ(ブラジル国旗)は、それほど重いものだったのです。
そんなサッカー強(狂)国にもかかわらず、ジョフレが育った家庭は異常でした。父親はアルゼンチンにいた頃はアマチュアボクサーとして腕を鳴らし、母親の家系は大の格闘技好き、もちろんボクシングが一番のお気に入りでした。
「従兄も叔父も、もうみんなボクシングをしていた。私の家庭ではサッカーボールではなくボクシングのグローブがあちこちに転がり、粗末な庭には吹きさらしのサンドバッグが揺れていたものさ。そんな環境で育って、ボクサー以外の道があると思うかい?」。
家族も親戚もみんなボクサーでしたが、その中でもエデルの才能は突出していました。無敵の快進撃で1956年メルボルン五輪のブラジル代表になると、金メダル候補の一角に推されました。
しかし、準決勝でクラウディオ・バリエントス(チリ)にまさかの判定負け、ブラジルに金メダルを持ち帰ることが出来ませんでした。
「メルボルンは本当にいい経験になった。特に大会に向けての練習についてはたくさん学習した。スパーリング相手に苦労していた私は、いつも大きな相手とばかり練習して、五輪前に怪我をしてしまったんだ」。
ジョフレのアマチュア戦績にも諸説あり、「150戦近くを戦って負けたのは5度だけ」(リング誌)、BoxRecでもアマチュア戦績の詳細な記述はありません。
ジョフレ本人も「よく覚えていないが、メルボルンで負けた以外は記憶がない」とも語っていますが、ここでは「『黄金のバンタム』を破った男」(百田尚樹)の150戦148勝2敗とします。
まあ、とにかくアマチュアでも驚異的に強かったことだけは間違いありません。
メルボルン五輪の翌1957年、プロ転向。無敗街道を突っ走り1960年8月18日、ロスアンゼルスのオリンピックオーディトリアムで世界バンタム級タイトル挑戦者決定戦のリングに上がりました。当時、すでに「無冠の帝王」と呼ばれていたジョフレは、これが米国デビューでした。
相手は、日本でもお馴染みのジョー・メデル。このときジョフレは35戦全勝22KO3分。メデルは62戦43勝29KO16敗3分、負け数が目立ちますが直近10戦は9勝7KO1分と勢いに乗っていました。
ボクサーがリングの中で起こったことを振り返るとき、ほとんどの場合で嘘をついたり、その語る内容が変節することが度々あります。
ファン・マヌエル・マルケスは「プロモーションの利害関係から過去最高のボクサーはフロイド・メイウェザーだと話したが、本当はマニー・パッキャオだ。メイウェザー戦は増量で体が重くて手も足も動かなかった。それなのにメイウェザーは契約体重を破ってビルドアップした肉体で攻めてきたんだから。あの試合は無茶苦茶だった」と前言撤回しています。
ドン・カリーは鮮烈なカウンターでライバル王者ミルトン・マクローリーを斬って落としたとき「(現役最高級と評価されていた)マクローリーのジャブは遅くてキレもなかった。あのパンチに合わせるのは簡単な仕事だったよ」とリング上で豪語しましたが、引退後には「あのジャブは出どころが見えにくいし、速くて強かった。マクローリーに過信があったんだろう、一発だけ不用意にパンチを出したから合わせられた。試合が長引いていたら、あのジャブだけで追い詰められていたかもしれない」とやはり前言訂正しています。
しかし、ジョフレはブレないんです、ボクサーでは珍しいことに。黄金のバンタムは、現役時代も引退後も「最も重要で最も難しかった試合はメデルとの第1戦だ」と一貫しています。
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