Breez is Nice!

ボクサーの世界評価とは、具体的には何なのか?

よく使われるモノサシとしては、「勝った相手の肩書き」があります。

まずは、①世界王者、②元・前世界王者、③未来の世界王者、という「世界王者」に何人勝ったかという尺度です。もちろん、見苦しいまでに王者乱立した状況では現役世界王者にも、いつ陥落しても不思議ではない穴王者は存在しますし、経年劣化した時期の元名王者に勝ってもあまり意味はありません。

「未来の世界王者」にも同じことが言えるだけでなく、当時世界ランカーだったビクトル・ラバナレスは、ラファエル・マルケスを8ラウンドKOに屠りましたが、この勝利で「ラバナレス、すげぇ!」と言う人は誰一人もいません。マルケスはデビュー戦、まだグリーンボーイでした。

1966年にファイティング原田との再戦も落としてしまい、3年以上もブランクを作った末にカムバック、1973年に世界フェザー級王者となって2階級制覇したエデル・ジョフレは、原田との対戦時、「黄金のバンタム」であっただけでなく、「未来の世界フェザー級王者」でもあったのです。もし、ジョフレが原田に2連敗して引退していたら、間違いなく「黄金のバンタムが負けたのは劣化してたから」と言われたでしょう。もう、ジョフレ様々ですね。

そして、この「世界王者」に何人勝ったかという尺度の上には、「殿堂入り選手に何人勝ったか」という最上級の物差しがあります。マニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーらスーパースターになると「世界王者に勝った数」なんて数えてられませんからね。

もちろん、この「殿堂入り選手」もキャリアの黄昏時に勝っても額面通りに評価されないのは当然です。例えば、亀海喜寛が8月26日に、一発殿堂間違いなしのミゲール・コットに勝った場合は、これに該当してしまいますね。でも、きっと、勝っちゃうから、そうなりますね!


【今年、「モダーン部門」でカナストータの国際殿堂に〝入神〟するのはイベンダー・ホリフィールドと、マルコ・アントニオ・バレラ、そして今は亡きジョニー・タピア。ホリフィールドとバレラは、文句無しの一発殿堂です。しかし、クルーザー級時代のホリフィールドは本当に強かった!ヘビー級では体格差を跳ね返す、尊敬するしかない勝負根性を見せてくれました。=写真はリング誌2017年7月号から=】

残念ながら、日本人ボクサーが、世界王者時代の殿堂入りボクサーに勝った例というのは本当に稀有で、原田と柴田国明(ビセンテ・サルディバル)、平仲明信(エドウィン・ロサリオ)、井岡弘樹(柳明佑)だけです。

また、ここでいう殿堂入りは「モダーン部門の殿堂」であり、やはり日本人は原田しかいません。具志堅用高と大場政夫が手にした「オールドタイマー」ではありません(原田よりも後輩の大場、具志堅がオールドタイマーというのも何だかなぁな話です)。

殿堂でも、やはり「あれ?」と思うボクサーも時々入っちゃってるんです。ダニエル・サラゴザや、アーツロ・ガッティの殿堂入りには、「メキシコ枠」「激闘枠」と揶揄されました。「メキシコ枠」はさておき、「激闘枠」があるなら5年後、八重樫東を忘れるなと言いたいですね。あ、まだ引退してないですよね。失礼しました。また炎の拳を見せて下さい。

今回のタピアも、まあ、壮絶な人生がドキュメンタリーなどで度々取り上げられ、米国では非常に感情移入されたボクサーというのが大きかったようにも思えてしまいます。タピアは確かに、恐ろしく魅力的なボクサーでしたが、実績的にはタピアがありならユーリ・アルバチャコフも殿堂入りにふさわしいと思うのですが…。

【ユーリはロシア人ですが、日本人にとって鬼門の敵地タイで、あのムアンチャイ・キティカセムを2度にわたって圧倒したシーンは忘れられません。「マイケル・カルバハルやウンベルト・ゴンザレス、リカルド・ロペス、マーク・ジョンソンら殿堂入り選手に勝っていたら」と言われるのは、腑に落ちないですね。彼は日本デビュー時の「ユーリ海老原」の名を素直に受け入れられず(いろんな事情がありましたが、当然だと思います)、実力で劣る日本人王者が好条件でプロテクトされた国内で世界戦ができる一方、待遇面での不満は相当あったようです。仕方がないこととはいえ、悲しくなります。】

ユーリの他にも、渡辺二郎や、ヒルベルト・ローマン(メキシカンですが日本人に馴染みがあるので)も殿堂から遠ざけられています。二郎とローマンの場合は「同時代で傑出していたカオサイ・ギャラクシー(一発殿堂)に勝っていれば」なんて言われていますが、おいおい、な話です。

殿堂のハードルは日本人には高い気がしますね。カオサイだけでなく、張正九、柳明佑が殿堂入りなら具志堅もモダーンの資格がある時に殿堂入りするはずだと思いました。原田クラスのことをやってのけないと、日本人は殿堂入りさせないのか!って感じですね。

しかし、「世界的な評価」を求めるのなら、国際殿堂に入るようなアプローチ、つまり数字ではなく、とにかく強い奴に勝つことでアピールするしかありません。

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この2週間足らずの短い期間で、日本で行われた世界タイトルマッチで注目された2試合「村田」と「井上」、そして海外から届いた「亀海」のビッグニュース。

共通するキーワードは「本物の世界」です。

まず、最初に、「日本で開催される世界戦が、本物の世界ではない」なんて言うつもりは毛頭ありません。日本のボクシングが世界の頂点に最もチャージした、あるいはそこに並んだ(超えた)のは、1965年に愛知県体育館で行われたファイティング原田のあの一戦以外には、悲しいかな、無いことは、当時を知らない私でも認めざるをえませんから。

しかし、村田諒太は「ミドル級は世界的に注目度が高く美味しい階級」と言い放ち、井上尚弥は「世界で認められる選手になりたい」と渇望、亀海喜寛vsミゲール・コットも日本のメディアは「世界のビッグネームとの対戦」と報道しました。

ミドル級が、日本ではマイナー階級ですが、世界の評価はスピードとパワーが高次元で結晶するスペクタクルな階級で、最も層が厚いウェルター級にも近接、メガファイトが期待出来る、というのは誰でも知っています。

一方で、「軽量級でもラスベガスで報酬100万ドルを超えるビッグマッチが出来る」という大きな勘違いもした記事も散見されます。

「井上はラスベガスでも成功して1試合で20億円(2000万ドル)稼ぐ可能性もある」とか…確かに、軽量級でも100万ドルを手にするファイターは片手で十分ですが、いることは、います。現時点ではレオ・サンタクルス、アブナル・マレス、カール・フランプトンの3人くらいでしょうか。しかし、この3人も然るべき相手と戦ったときだけ、やっと100万ドル近い報酬を手に出来るだけであって、それはレアケースです。

歴史上でも、1試合200万ドルを稼いだバンタム級以下のボクサーもいないでしょう。

そして、サンタクルスらレアな軽量級のスター選手の共通点はメキシカンか、今が花の英国圏のボクサーだということです。

夢をぶち壊すことを言ってしまうと、山中慎介や井上尚弥がまともにラスベガスで興行を打って、日本で戦ってるような無名の選手を相手にしていては、100万ドル級の報酬を手にすることは、まずありません(山中の場合はビック・ダルチニアンというかつてPFP上位に君臨した相手もいますが、この時のダルチニアンはジュニアバンタム級時代に夢想していた強豪ではありません)。

かつて、西岡利晃がラスベガスでラファエル・マルケス(ラファエルは殿堂入りも十分ありうるグレートですが、西岡と戦ったときは劣化が痛々しく、そのピークは遥か彼方に去っていました)を相手に戦った防衛戦で、ファイトマネーが100万ドルだったと報じられましたが、あんな恥ずかしいことは、もう二度と繰り返してはいけません。

ボクシングは魑魅魍魎の世界で、なんでもあり、です。それでも例外があります。あんなことは、さすがに、、もうやらないとは思いますが、二度としてはいけません。

米国で軽量級がまともにやったら、PFP1位のローマン・ゴンザレスですら50万ドルですら超えたのは、皮肉にもタイトルを失った試合がやっとなんです。50万ドルは日本の世界王者でも高額の部類に入りますが、PFP1位でもそこなんです、山中や井上、井岡一翔からしたらビジネスとしては全く旨味がありません、というかロマゴンより彼らの方が、生涯報酬ははるかに上でしょうし、これからはさらに開いていくでしょう。

軽量級選手がハイリスク・ローリターンの米国に無理やり進出する必要はありません。もちろん、名前のある相手なら報酬はローでも、ハイリターンが期待できるのですから、それはファンのためとしては行くべきですが、プロ、ビジネスとしては行くべきではありません。

誤解されるようなことを書き並べましたが、私は軽量級ボクシングの偏愛者です。

かつて、長谷川穂積は「ラスベガス進出で一攫千金」と勇んでいましたが、バンタムとかフェザーでそれはありえません、日本で戦う方が報酬高いですから。みんなパッキャオに触発されるだけで、あのフィリピン人の化け物が何をやらかしたか、それと同じことが自分にも出来る、その道をトレースしてやる、というなら話は別ですが、軽量級でも同じ扱いが期待出来ると勘違いしてしまっているのです。

メイウェザーのジュニアライト級、パッキャオのジュニアフェザー級時代の報酬は確かに、その階級にしては破格でしたが、100万ドルを超えることは特別な相手に恵まれたときだけです。

ジュニアライト級以上で鬼神の活躍を見せて、最も層が厚く、最もスポットライトが当たるウェルター級まで征服して、初めてラスベガスに降る黄金のシャワーを思う存分、浴びることが出来るのです。

タイやアルゼンチンの防衛記録以外に何一つ自慢できることのない軽量級王者に圧勝するパフォーマンスを、もしラスベガスでやったとしても、次はビッグファイトのメインが用意されるなんて、そんなお花畑な話は、ありません。彼らは、いたずらに防衛記録だけ伸ばしましたが、PFP10位に入ることもなく、世界評価は低迷したまま王座を明け渡しました。


【6月初旬は、ニューヨーク郊外カナストータで、国際ボクシング殿堂の式典が行われます。2011年には「品性の問題」と「強い相手には全部負けている」と殿堂入りに批判的な意見もあったマイク・タイソンもめでたく一発(引退5年の資格発生で即)殿堂入りを果たしました。タイソンは感極まって、何度も同じ興行でリングに上がったチャベス父(文句無しの一発殿堂)の胸で泣きむせびました。】

もちろん、このPFPという「世界評価」も、かなり怪しいものです。特にリング誌は、つい最近まで長谷川や西岡を頑なに拒んでいたのに、日本人に対して急に間口を広げました。

リング誌のPFPは「編集部が専門家パネラーの意見をまとめる」という、非常に独善的なものです。

PFPという概念自体が独善的なのですが、だからこそ大手メディアでは「専門家の名前を明らかにしたポイント投票制」にして欲しいものです。以前は、米国ヤフースポーツがこのスタイルでPFPを発表していましたが、ボクシング人気の凋落のせいか今は無くなってしまいました。現在、ポイント投票制でPFPを発表している大手メディア(大手となるとリング誌とESPN、米国ヤフースポーツしかないのですが)はESPNですが、ここも日本や英国に忖度するのは時間の問題かもしれません。

では、軽量級ボクサーにはベガスの夢も見れないし、本物の世界的評価も期待できないのか?

そんなことはありません!

まず、中量級の本場、ベガスにおもねる必要なんてありません。そんなの無駄です。

しかし、本物の世界評価は、厳しい道ですが、強い相手にさえ勝てば、得られます。でも、それは「13度防衛」とか「60連勝(でしたっけ?70でも80でもどうでもいいのですが)の相手に勝つ」とかではありません。

かつて、世間から厳しい批判を浴びた亀田興毅は「5階級制覇したら文句ないやろ!」と開き直りましたが、中身がなければ何階級制覇しても全く意味はありません、評価もされません。

原田は13度防衛もしていませんし、60連勝の相手とも戦っていません。もちろん、時代に恵まれていたという点はあると思います。現代に原田が生まれていたら、やはり13度防衛を目指したり、60連勝の相手と戦っていたかもしれません。

タイやアルゼンチンの王者と同様に、軽量級で唯一の5階級制覇したベネズエレラ人もPFPにはカスリもせんでした。この3人だけでなく、数字だけのボクサーの世界評価は、数字だけを追いかける日本国内の評価と違って、非常に厳しいものです…。

誰に勝ったのか。

それが全てです。それ以外には、世界が評価してくれる基準は残念ながらありません。

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「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶に進みます。

★「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」★

まず、ボクシングのジャッジは、信じられないほどレベルが低い人でものうのうと仕事に就き続けているのが問題です。

MLBやNFLの審判はその能力の検査や、判定基準の確認などのために厳格な試験やトレーニングを毎年受けていますが、ボクシングのジャッジにはこういう内部監査が一切ありません。

運転免許の更新のようなことすらしていないのですから、視力や視野が大きく落ちても、認知症が進行しても、ボクシングの世界ではジャッジの席に座れるのです。こんな馬鹿げた話がありますか?

そもそも、アルファベットの承認団体こそが内部監査などありえない、旧態依然に既得権益に固執する唾棄すべき団体です。全ての団体で幹部の選出は密室で行われ、WBAとWBCに至っては会長職は〝完全世襲制〟です。

今回の村田vsエンダムの一件で、WBAのヒルベルト・メンドサ会長が謝罪声明を出し、ジャッジ二人を資格停止処分しましたが、そんなに責任感じてるならまず己が会長の座を退け、ってことです。不祥事を起こした団体の責任者のくせに、他人事なんです。日本ではなぜか(帝拳のおかげでしょうか?)、好意的に見られるWBCも本当に劣悪で卑怯な団体です。

承認団体がいくつもあって、王者が乱立するのは、もう今更どうしようもありませんし、WBCやWBAにどこかの国みたいな世襲制はやめてもっと運営を透明化しろ、と言っても無駄ですが、採点方法についてはその徹底と、何よりジャッジの教育が必要です。

そして、よく悪く言われる10ポイントマストシステムが、多くのファンに誤解されています。そして、無能なジャッジがこのシステムに縛られて、おかしなジャッジを犯してしまうのです。

【COMMON-SENCE SCORING(常識的な判定を!)ジャッジは10−9に縛られてはいけない〜元ジャッジで、HBOのコメンテーターを務めるハロルド・レダーマンは「どうしても判定不能だと思えば、そのラウンドは10−10に付けなければならない」と進言しています。】

どんなスポーツでも引き分けがあります(延長戦を行うMLBのような例もありますが、それでも引き分けの概念はあります)。ボクシングでも引き分けがあるのに、どうして独立した試合として見るべき各ラウンドだけ10-10=ドローが滅多にないのでしょうか?
白黒ハッキリつけなくてはならないルールだとファンが誤解し、一部の無能なジャッジがサイコロを転がすように10−9と無理やり振り分けるのは「10−10を付けると、判定能力が無いとみなされてしまう」という脅迫観念からです。

繰り返しになりますが、判定基準の優先順位は①EFFECTIVE AGGRESSION(攻勢/有効打)、②RING GENERATIONSHIP(主導権/相手を動かしているのはどっちだ)、③ AGGRESSION(勇気を持って前進しているのか/恐れて下がっているのか)、です。4番目の要素にdefenseがあげられることもありますが、怒涛の猛攻撃を受けても完璧な防御で一発のクリーンヒットも許さなかったとしても、パンチを出さなければポイントには結びつきません。

この採点基準でも判断できない時も、当然あります。その時は10−10を付けるべきなのです。10−10は判定を放棄した結果でもなく、そのジャッジの無能さを表すスコアでもありません。

10ポイントマストシステムが、あたかも10−9システムと誤解され、一部(多数?)のジャッジは「10−10を付けたら無能だと思われるから、心の中のサイコロを転がす」なんて異常な状況がまかり通っているのです。

こんな誤解や、ジャッジが脅迫観念に縛られるきっかけになったのは、またもやシュガー・レナード絡みです。キャッチウエイトにランキングの操作(WBCがレナードに忖度した結果ですが、主犯はレナードですね)、悪弊のほとんどがこの人を起源としています。ある意味、凄い人です。

1980年のレナードvsロベルト・デュラン第1戦。いつ見ても、ぞくぞくする名勝負です。今のビッグファイトは「負けたくない」という気持ちが先走りして塩分過多のつまらない展開になってしまいがちですが、この時の二人は「勝ちたい」、その一心で15ラウンドもの間、拳を振るい続けたのです。

野球やサッカー、テニスのプロは、目を見張る高等技術を売れば、それでお仕事完了です。しかし、プロボクサーは高等技術だけを並べても、誰もチケットを買ってくれません。ファンがプロボクサーから買いたいのは、高等技術よりも勇気、なんです。

ヒスパニックでも米国人でもないマニー・パッキャオがどうして、スターダムの頂点に駆け上がることができたのか?神の配剤としか思えない、ライバルたちに恵まれたから、それだけではありません。リングの上で、これ以上ない上質な勇気を見せたからです。

ギレルモ・リゴンドーが全く売れないのは、キューバ人だからじゃありません。彼は高等技術の百貨店です。しかし、彼の売り場の何処を探しても、ファンが一番求めている勇気が見つからないからです。

話が逸れてしまいました。

レナードvsデュランは、ニューヨーク・タイムズが144−142でレナードにつけるなどレナード支持も一部ではありましたが、3−0でパナマの英雄が勝利したとする公式判定で多くの人は納得したはずです。


【レナードvsデュラン、歴史に残る名勝負です。そして、この試合の判定の影響で、のちのジャッジが「10−10」と付けることを憚ってしまう一因になったとも言われています。今回ばかりはレナード本人の責任ではないのですが、ボクシング界の悪弊を辿ると、だいたいがこの御仁に行き着きます。】

この試合でジャッジの一人、アンジェロ・ポレッティは148−147でデュランを支持しました。

148−147。そうです、当時15ラウンド制ですから、10−9に振り分けたラウンドはわずか5つ。残りの10のラウンド全てを10−10、イーブンと判定したのです。ちなみに、144−142と採点したニューヨーク・タイムスも1つのラウンドを「10−10」と判定しています。

この試合の判定は、比較的すんなり世界が受け入れたにもかかわらず、イーブンを10度もつけたポレッティに「判定を投げ出した」「ジャッジの意味がない」という批判も浴びせられました。

私は、あの試合を最も的確に再現したのはポレッティのスコアカードだと思います。それでも、この一件が「振り分けないと何言われるかわからない」と、のちのジャッジに思わせたことは容易に想像できますね。

また、ネバダ州で長年ジャッジを務めているデュアン・フォードは「10−8」のつけ方にも疑問を呈しています。「最近のジャッジはダウンがなければ10−8を付けない場合が多い」。ダウンがなくても、終始相手を圧倒していたら10−8を付けるべきなんですね。

さらに、フォードは「2分55秒まで明らかにラウンドを支配していたボクサーが、終了間際にスリップしたのを主審が『ダウン』と判定した時、暗愚なジャッジは10−8を付けてしまう。この場合は10−9か10−10にすべきで、ラウンドの大半を占める2分55秒を切り捨てるようなことは絶対にしてはいけない」と、能力のないジャッジが多いことを嘆いています。

ジャッジは、主審から独立して判定すべきなのです。主審に従わなければいけないのは、ローブローなどで減点が宣告された時だけです。スリップを主審が「ダウン」と誤審したとみたら、その「ダウン」は無視して構わないのです。

最後に、素晴らしいジャッジの例を。

2013年のWBOウェルター級タイトルマッチ、ティモシー・ブラッドリー対ルスラン・プロボドニコフの第1ラウンドです。

【ブラッドリーも、よくよく判定で揉める選手です。肉体美と反比例してパンチが弱く、しかも勇気もないから後ろがかりの重心で軽打の回転力だけで戦うのですから仕方ありませんが。】

第1ラウンド、ブラッドリーは明らかにロシア人のパンチを受けてダウンしたのに、主審は、その瞬間を見逃したのでしょう、シレッと「スリップ」と判定しました。しかし、その瞬間をしっかり見ていた3人のジャッジは、公式にはダウンがなかったこのラウンドを10−8で勇敢なロシア人に与えたのです。

ちなみに、この主審、今年69歳になるパット・ラッセルは、1月の三浦隆司vsミゲール・ローマン戦でもジャッジの一人としてリングサイドに座っているんです。ものすごく心配でしたが、さすがに火を噴くようなボンバーレフトはラッセル爺さんでも視認できました。

何れにしても、ボクシング界は魑魅魍魎、ロクでもない世界なのです。

とにかく、ジャッジ、もちろん主審も、少なくとも年に1回は定期検診して、不適格なら職を解くべきです。

早く実施しないと、村田vsエンダムが、またどこかで繰り返されるだけです。

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★「どこに眼ェつけとんねん!」★の続きです。

ここからは、世界中のあらゆるジャッジ、一人の例外もなく、全員に当てはまることです。

ジャッジ席に近いリングサイドに座ったことがある人なら誰もが感じたことがあるでしょうが、あの場所は試合を正確に判定するには非常にふさわしくない場所です。障害物が多すぎるのです。リングを照らすライトも目に入りやすいのです。

有名なレフェリー、ジョー・コルテスが、「昨年、国際殿堂入りすることが出来た。このスポーツのおかげで今の私が作られた。これからは恩返しをしたい」と、リング誌2012年11月号で興味深い提言をしています。

「Elevate the judges」。ジャッジを高く上げろ。つまり、テニスのチェアアンパイアのように、高椅子に座ってジャッジするというアイデアです。


【「A NEW PERSPECTIVE」〜WBOが再検証まで行い「パッキャオが勝っていた」(公式判定は覆りません)と声明まで出した「世紀の誤審」をはじめ、不可解な判定が後を絶たない現状に、コルテスが私案を提言しました。〜リング誌2012年11月号より】

自身もジャッジの経験があるコルテスは「ジャッジ席の目の前にはロープや、レフェリー、そして相手のボクサー、視界を遮る障害物がいくつもある。ライトもとにかく目に入ってパンチの交換が見えないこともしょっちゅうだった」と言います。

そこで、コルテスは自宅の庭にリングを設営、どの場所がベストか検証を重ねて「高椅子」を思いつきました。

彼は自宅に8人のアマチュアのジャッジを招き、従来のポジションと、高椅子で、同じ仮想試合4ラウンドを判定する実験を行いました。

同じ試合で、見えなかったパンチの数をカウントさせます。ラウンド順に、従来のポジションでは17、7、16、13のパンチが視認できませんでした。

一方、高椅子の視界から見えなかったパンチは1、2、1、1と、劇的に減りました。

どちらのポジションがジャッジするのにふさわしいか、もはや議論すべきレベルですらありません。高椅子に座ったジャッジも「昼と夜ほど違う」「見ていないものを判定する今の状態が続くのは、やはり悪徳だ」と、全員が高椅子の優位性が圧倒的であることを証言しました。

テニスの主審が高椅子を降りてジャッジを下すと、どれほど誤審が増えるか見当もつきません。ライフガードが砂浜に座って監視しているような海には、誰も遊泳に行かないでしょう。

ここまでが、コルテスの私案です。

しかし、この高椅子案には、特にプロボクシングの世界では看過できない問題があります。


【従来のジャッジ席と、高椅子の俯瞰では、同じシーンでもここまで見え方が違うのです。】

プロボクシングは観客が神様です。リングサイド席の高額チケットを買った観客の視界が、大きく高い椅子と、その上に座るジャッジの体で遮られるとしたら?

高椅子を透明なアクリルで作製しても、純粋に透明になるわけもなく、そもそもジャッジまで透明にすることは出来ません。そんな、障害物が3本もリングサイドにそびえるのです。

テレビカメラのレンズにとっても高椅子は、大きな障害物です。決定的なシーンが高椅子やジャッジの姿に隠されてしまうとしたら?

この案だと、正しいジャッジを最優先して、視線に障害物ができてしまう観客には我慢してもらうことになります。今のシステムなら壮絶なKOシーンは、いろんな角度から見て楽しめますが、コルテス案を導入してしまうと相当なカメラアングルが死んでしまいます。

パッキャオ対ハットンのノックアウトシーンが、高椅子に遮られてカメラに収まっていなかったとしたら?

公正なジャッジ、プロボクシングの大前提、この二つを両立させるにはビデオ判定でジャッジすることが最も現実的です。しかし、このシステムではいろんな角度やスローで確認しながらになるため、判定を下すのに時間がかかってしまい、1ラウンドの判定が揃った時には試合は4ラウンドまで進んでいるなんてことが当たり前になってしまいます。

…人工知能の発展を待つしかないのかもしれません。

そして、「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶が、「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」です。具体的に言うと、どんなに優秀なジャッジでも現行のシステムでは〝誤審〟してしまう可能性があるのです。

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あの日から一週間が経とうとしています。

日本人が世界のメガファイトのリングに上がる。

村田諒太がロンドン五輪のミドル級で金メダルを獲るまでは、タチの悪い白昼夢のような話が電通とフジテレビまで巻き込んで、まさかの現実へとひた走っています。

カメルーンの不屈のライオン、アッサン・エンダムに敗れた判定が世界的な議論(ほとんど全てが「誤審」という批判ですが)を呼び、ロンドン五輪後、プロ転向してからは世界のトップ戦線で話題になるような相手とは戦ってこなかった村田に改めてスポットライトが当てられています。

村田が「アメリカの大物プロモーター、ルー・ディベラも試合を見てくれていたみたいです」と喜ぶように、米国のメディアや専門家も村田を改めて評価しています。これまでは「五輪の金メダリストだから、プロでも世界基準の実力があるのは間違いない」と評価される一方で、「最強王者ゴロフキンの対抗馬ではないし、ミドル級のトップレベルかというと疑問」と見られていました。

しかし、今回の大騒動で「ピーター・クイリンやデビッド・レミューでも持て余したあの難攻不落のエンダムを圧倒したって本当なのか?」と注目が高まっています。もし、すんなり判定勝ちしていたら、ネットでしか見れなかったあの試合を、わざわざYouTubeなどで検索して確かめようとするファンはそれほどいなかったでしょう。

米国のニュースサイトの読者コメントを拾うだけでも「プロでも戦っていたのか。だったら強いのはわかっている。見たいけど見れない。そんな不当判定だったのか?」「米国人だったら、ミドル級金メダリストはとんでもないスポーツセレブ。あんな判定に泣かすことは絶対にしないのに」「右の威力とガードの固さは、間違いなくミドル級No.1」「あの右は階級最強。(メキシコ系としては)正面衝突を好むカネロとはやらせたくない…」。。。

そうです。希望という名の重い、重い荷物を積んだ、私たちの夢列車はその速度を落とすどころか加速しているのです。

しかし、だからと言って、あの不当判定を見過ごしていいわけがありません。あの夜の〝被害者〟が村田諒太だったから、爽やかな風のような、ありえないハッピーエンドになっていますが、醜悪な遺恨を残していても全く不思議ではない理解に苦しむ判定でした。

ただ、あの試合だけに限らず、ボクシングの判定には、いくつもの重大な欠陥を抱えたまま、なし崩し状態が続いています。

重大な問題を集約すると「どこに眼ェつけとんねん!」と「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」という2点に尽きます。

★「どこに眼ェつけとんねん!」★
これには、いろんな意味があります。すでに議論が始まっていますが、ジャッジには運転免許のように更新の検査が絶対必要です。今回の二人のジャッジは6ヶ月間の資格停止処分を受けましたが、これで一件落着なわけがありません。こんなジャッジはいくらでもいます。〝事故〟が起きてから処分するなんてこんな泥縄な話はありません。


【2013年のメイウェザー対カネロで114−114とイーブンをつけたC・J・ロスは、前年のパッキャオ対ブラッドリーでも「ブラッドリーの勝ち」と判定、世紀の誤審の当事者だったにもかかわらず、のうのうと翌年のメガファイトでも判定席に着きました。この女性が悪意を持って誤審したとは考えたくありませんが、正しい判定を下す能力が欠落していたことは疑いようもありません。=リング誌2013年12月号「あの試合が114−114?ロス女史は一刻も早く眼医者に行くべきだ、重篤な病だ」。】

公正な判断能力が欠落したジャッジは、検査によって排除しなければなりません。当たり前です。

ジャッジの基準は明白です。今回の件で「海外ではダメージを与えるパンチよりも手数が評価される」という明らかに誤ったことが、ほんの一部で垂れ流されていますが、これは汚物のような嘘です。

だから、世界中が「村田が勝っていた」と判定しているのです。

スコアの基準は明白です。大きな基準は3つです。

①EFFECTIVE AGGRESSION
直訳すると「効果的な攻勢」です。これが最も大切な要素です。もちろん、WOWOWでも毎試合冒頭でアナウンスされているように、有効打のない「単なる突進」は、効果的な攻勢とは認められません。

エンダム戦の村田の前進は、明らかに「単なる突進」ではなく、まさしく「効果的な」プレッシャーをかけていたことに異論がある人はいるのでしょうか?

②RING GENERATIONSHIP
2番目に大切な評価基準が、リング・ジェネレーションシップ。これが最も誤解されると言われています。これは、どちらに振っていいかわからないような接近したラウンドで、決め手となるものです。有効打も手数も拮抗している中で、どちらが相手を動かしていたか、コントロールしていたか、ということです。

これも、エンダム戦での村田が明白に取っていたものです。エンダムは村田のプレッシャーで交代していたのは、誰にでも分かることです。下がりながらも、効果的なカウンターで村田の動きを止める、つまり村田をわざと前に出させていたのなら、それはエンダムのリング・ジェネレーションシップが勝っていたということになりますが。

もちろん1、2ラウンドの村田は手数が異様に少なく、エンダムに「効果的なプレッシャー」がかかっているのかどうかは、誰にもわかりませんから(わかっていたのは村田とエンダムの二人だけですね)、手数でエンダムにポイントをつける以外にはありません。

この要素の天才がフロイド・メイウェザーです。彼の場合は、誰が見ても、相手に動かされているのではなく、相手を動かしているのです。キャリア後半は、下手くそなジャッジなら誤審してしまうこの要素を最大の武器にして無敗を保ったメイウェザーの技術は、背筋がゾッとするほどです。カネロ戦やマルコス・マイダナ戦などは結果的に判定が割れてしまう危険を孕んでいたとはいえ、あのショルダーロールは間違いなく相手を動かしていました。

③ AGGRESSION
これは「単なる突進」です。最後の最後の要素です。①②のどちらの要素でも、判断尽き兼ねる場合は、どちらが危険を恐れず前に出て、どちらが危険を恐れて後退していたか。ただし、これはあくまで、最後の要素です。「単なる突進」を評価したくはありませんが、どう見渡しても、それしか材料が無いというラウンドだけに、これが適用されます。

これも、エンダム戦の村田は明らかですね。村田がエンダムを追い込むシーンは何度もあっても、その逆は一度もありませんでしたね。

先週の試合で、誰が見ても村田が取ったラウンドは4、6、7の3つです。エンダムはあと2回はダウンを追加されていてもおかしくなかったのに、ロープとレフェリーに救われた、という声も多いですが、それは置いておいて。

エンダムが残りの9ラウンド、全てを取れば、9−3でエンダム。ただ、4ラウンドはダウンがあるので9−4でエンダムです。しかし、ボクシングの3つの採点基準に照らしわせたら、その9ラウンドも、エンダムはダメージで膝を揺らしながら後退するばかりで、上回っていたという手数ですら、ただの一度も村田をぐらつかせることが出来なかった弱々しいジャブがほとんどでした。

今回の二人のジャッジが、まともな判定眼を持っていなかったことは明白です。そして、それが許されているのが、狂ったボクシング界なのです。

しかし、「どこに眼ェつけとんねん!」は、今回の特定のジャッジだけに向けた意味ではありません。もう一つの問題があります。

その「どこに眼ェつけとんねん!」は、世界中のあらゆるジャッジ、一人の例外もなく、全員に当てはまることです。それだけに、問題は大きく、深刻です。

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