岡本綾子が米国に上陸 した1981年から、現在まで、この38年で最も重い日の丸を背負ったのは誰なのか?
前回お断りしたように岡本や野茂英雄、イチロー、大谷翔平らは国民的な期待を集めましたが、彼らはその競技を追求する野心家であり、日の丸を背負わざるをえなかった「日本代表」のアスリートとは区別して考えさせていただきます。
前回お断りしたように岡本や野茂英雄、イチロー、大谷翔平らは国民的な期待を集めましたが、彼らはその競技を追求する野心家であり、日の丸を背負わざるをえなかった「日本代表」のアスリートとは区別して考えさせていただきます。
やはりボクシングファンとしては、白井義男から語るしかありません。
敗戦からわずか7年しか経っていない1952年、他に世界と戦う日本人が存在しない時代背景です。
今の五輪選手やサッカー日本代表のような明確な代表意識はなかったでしょうが、後楽園球場を埋め尽くした大観衆の熱気を素肌に感じ、そこに流れる君が代の旋律を聞いた白井が重い日の丸を背負ったことは間違いありません。
1952年5月19日の白井を基準点とします。期待度100、それを裏付けるTV視聴率はほぼ100%と考えられます(当時は試験放送でしかTVはありませんでしたが3年後の1955年白井vsパスカル・ペレスの視聴率が96%だったことから推定100%です)。
そして、敗北で国民を幻滅させてしまうという重圧度も100、合わせて200の重さの日の丸を背負いました。
その白井がペレスにタイトルを奪われてから約8年もの大空位時代に沈んだ日本列島を再び引き上げたファイティング原田のクライマックスがエデル・ジョフレ戦です。
原田は神様に愛されたボクサーでした。1962年にポーン・キングピッチを破って日本人二人目の世界王者になったときは矢尾板貞夫のピンチヒッター、そのキャリアに燦然と輝く1964年のジョフレ戦は絶体絶命、圧倒的不利予想でした。
重圧ももちろんのしかかっていたでしょうが、原田は開き直って戦えたはずです。期待度80、重圧度70、足して150。ジョフレ初戦は視聴率55%、第二戦は64%に跳ね上がっていることからも、日本中のファンが初戦をどう見ていたのかが伺えます。
大きな期待と、重いプレッシャー、そしてその二つを乗り越えたゆえの栄光の眩しさ。
これらは本来、三位一体のはずです。しかし、大きな期待と重いプレッシャーとはほぼ無縁の状態で日本を飛び立ち、ドイツ・フランクフルトで世界一の栄冠を掴み、日本列島を熱狂させたのが、2011年女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」でした。
日の丸を爽やかにひょいと担いで、目映い栄光を手に入れた彼女たちはまさにシンデレラでした。
決戦の地へ向かうまでの彼女たちはほとんど注目も期待もされませんでしたが、ドイツで快進撃を続けトーナメントを勝ち上がるなでしこの勇姿は、大きな悲劇に打ちひしがれた国民を勇気づけてくれました。
TV視聴率は22%とハイアベレージでしたが、そもそもの期待度5と重圧度20、合わせて25の軽快な日の丸を手にした幸運と、したたかな実力を兼ね備えたシンデレラたちは国民栄誉賞まで掴み取ることになるのです。
敗戦からわずか7年しか経っていない1952年、他に世界と戦う日本人が存在しない時代背景です。
今の五輪選手やサッカー日本代表のような明確な代表意識はなかったでしょうが、後楽園球場を埋め尽くした大観衆の熱気を素肌に感じ、そこに流れる君が代の旋律を聞いた白井が重い日の丸を背負ったことは間違いありません。
1952年5月19日の白井を基準点とします。期待度100、それを裏付けるTV視聴率はほぼ100%と考えられます(当時は試験放送でしかTVはありませんでしたが3年後の1955年白井vsパスカル・ペレスの視聴率が96%だったことから推定100%です)。
そして、敗北で国民を幻滅させてしまうという重圧度も100、合わせて200の重さの日の丸を背負いました。
その白井がペレスにタイトルを奪われてから約8年もの大空位時代に沈んだ日本列島を再び引き上げたファイティング原田のクライマックスがエデル・ジョフレ戦です。
原田は神様に愛されたボクサーでした。1962年にポーン・キングピッチを破って日本人二人目の世界王者になったときは矢尾板貞夫のピンチヒッター、そのキャリアに燦然と輝く1964年のジョフレ戦は絶体絶命、圧倒的不利予想でした。
重圧ももちろんのしかかっていたでしょうが、原田は開き直って戦えたはずです。期待度80、重圧度70、足して150。ジョフレ初戦は視聴率55%、第二戦は64%に跳ね上がっていることからも、日本中のファンが初戦をどう見ていたのかが伺えます。
大きな期待と、重いプレッシャー、そしてその二つを乗り越えたゆえの栄光の眩しさ。
これらは本来、三位一体のはずです。しかし、大きな期待と重いプレッシャーとはほぼ無縁の状態で日本を飛び立ち、ドイツ・フランクフルトで世界一の栄冠を掴み、日本列島を熱狂させたのが、2011年女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」でした。
日の丸を爽やかにひょいと担いで、目映い栄光を手に入れた彼女たちはまさにシンデレラでした。
決戦の地へ向かうまでの彼女たちはほとんど注目も期待もされませんでしたが、ドイツで快進撃を続けトーナメントを勝ち上がるなでしこの勇姿は、大きな悲劇に打ちひしがれた国民を勇気づけてくれました。
TV視聴率は22%とハイアベレージでしたが、そもそもの期待度5と重圧度20、合わせて25の軽快な日の丸を手にした幸運と、したたかな実力を兼ね備えたシンデレラたちは国民栄誉賞まで掴み取ることになるのです。


コメント
コメント一覧 (2)
日の丸を背負わざるをえない五輪代表。自らの野望を実現するために世界を選んだアスリート。前者の代表が瀬古ら金メダルを義務付けられた代表選手。後者は野茂や中田英らでしょう。
おっしゃる通り、もう一つありますね。気づきませんでした。
フェンシング太田雄貴、初期の女子レスリング吉田沙保里、女子ジャンプ高梨沙羅…彼らは、日の丸や自分の野望よりも自分を育んでくれたマイナー競技のために戦いました。
彼らにのしかかったプレッシャーが、日の丸を背負ったメジャー競技よりも重かったのかどうかはわかりません。
ただ、大田や高梨の挫折の涙は、自分が光を当てなければならなかった先輩や恩のある方々に報えなかった辛さ、悲しみのほとばしりでした。
そして、やはりおっしゃる通りです。その涙が、国のためや自分の野望のための挑戦に敗れたときに流す涙よりもずっと美しく見えたのは当然のことだと思います。
日の丸の重さという意味では違うかもしれませんが、彼らは自分たちの競技のためだけでなく、スポーツ界全体のために先頭に立って活動していました。結果がすべてのスポーツにおいて、どんな発言も結果を残していなければ聞く耳を持たれません。彼らは自分たちがアイコンであることと同時に一人のスポーツ選手として結果を求められていることを分かっていたはずです。競技だけに集中できるという状況では決してない中、結果を求められる、その重圧は計り知れません。今でも、東京五輪が決定した時の太田選手、リオ五輪で負けた時の両選手の表情、そしてインタビューを思い出します。