ロシアW杯。ついに開幕です。現地は日本代表同様、W杯にしては盛り上がりに欠けているようですが…試合が始まればロシアも世界も燃え上がるはずです。=読売新聞:6月14日朝刊=
1964年の東京五輪まで、世界と戦う日本人アスリートはプロボクサーに限定されていました。
東京五輪後もプロボクシングの世界タイトルマッチは、「日本代表」が戦う大舞台であり続けました。この国の観戦スポーツで圧倒的な存在感を示し続けているプロ野球が、世界への扉を固く閉ざした鎖国状態であったことも、世界タイトルマッチの威厳を保つ間接的な効果があったでしょう。
しかし、1970年代に入るとボクシングは二団体時代を迎え、階級も一気に増殖、世界王者の価値は相対的に下がってしまいました。
1976年10月10日、WBA世界ジュニアフライ級王者に就いた具志堅用高は「日本代表」の香りを漂わせた最後のチャンピオンでした。
ワセリンと汗に光る凛々しい表情で君が代を口ずさむ具志堅の姿は、間違いなく「日本代表」でした。
しかし、その具志堅ですらすでに、多くのファンは「新設された水増し階級の王者」「世界王者といっても日本を出たら誰も知らない」というカラクリに気づいていました。
そして、具志堅が14度目の防衛に失敗してグローブを吊るした1981年、この年奇しくも岡本綾子が米国LPGAツアーに参戦します。
岡本は米国ツアーで優勝を重ね、1987年には米国人以外で史上初の賞金女王に輝きます。その勇姿は米国メディアから〝逆輸入〟の形で報道され、スポーツファンは「世界で活躍するということはこういうことだ」と乱舞しました。
大学図書館でSports Illustrated誌はもちろん、TIME誌やNews Week誌といった一般誌でも岡本綾子が大きく取り上げられている特集記事を読んだ興奮は忘れることは出来ません。90年代以降何度も見たり聞いたりするフレーズもこのとき初めて目にしたものです。
「岡本綾子は日本が送り出した最高の輸出品だ」。
岡本は、野茂英雄やイチローらのまさしく先駆けだったのです。
一方、この間もボクシング界は団体と階級をいたずらに増殖させ、内部から腐り落ちていきます。それでも、80年代はボクシングの世界チャンピオン には一定の尊敬と名声が約束されていました。
しかし、90年代に入ると、とてつもなく巨大な〝外敵〟が出現します。
1993年にJリーグが誕生、1995年には野茂英雄が太平洋を渡ってしまいます。
彼らは「世界と戦うとはどういうことなのか」を岡本綾子よりも鮮烈に見せつけました。
それなのにボクシング界は、さらに団体と階級を増やし、毎年数え切れないほどの世界王者が日本のリングに上がって勝ったり負けたりを、相も変わらず繰り返していたのです。
もはや誰もが、使い古したテープから繰り返し聞かされる「世界チャンピオン」が欺瞞であることに気づいてしまいました。ボクシングの世界戦がテレビ中継されないということも、今では珍しいことではありません。
具志堅用高が倒れ、岡本綾子が羽ばたいた1981年から現在までの38年間で「最も重い日の丸を背負ったのは誰なのか?」。
岡本や野茂、イチロー、松井秀喜らにも国民の期待は重くのしかかっていましたが、彼らは純粋に競技を追求した野心家であり、日本代表とは少しミュアンスが違うので、ここでは独断で外します。
現実問題として野茂には「日の丸を背負って」とは真逆の「石もて追われた」側面もあり、松井も「今は裏切り者と言われるかもしれませんが…」とメジャー挑戦の会見で神妙に話しました。
いよいよ、本題です。
最も重い日の丸を背負ったのは誰なのか?
1964年の東京五輪まで、世界と戦う日本人アスリートはプロボクサーに限定されていました。
東京五輪後もプロボクシングの世界タイトルマッチは、「日本代表」が戦う大舞台であり続けました。この国の観戦スポーツで圧倒的な存在感を示し続けているプロ野球が、世界への扉を固く閉ざした鎖国状態であったことも、世界タイトルマッチの威厳を保つ間接的な効果があったでしょう。
しかし、1970年代に入るとボクシングは二団体時代を迎え、階級も一気に増殖、世界王者の価値は相対的に下がってしまいました。
1976年10月10日、WBA世界ジュニアフライ級王者に就いた具志堅用高は「日本代表」の香りを漂わせた最後のチャンピオンでした。
ワセリンと汗に光る凛々しい表情で君が代を口ずさむ具志堅の姿は、間違いなく「日本代表」でした。
しかし、その具志堅ですらすでに、多くのファンは「新設された水増し階級の王者」「世界王者といっても日本を出たら誰も知らない」というカラクリに気づいていました。
そして、具志堅が14度目の防衛に失敗してグローブを吊るした1981年、この年奇しくも岡本綾子が米国LPGAツアーに参戦します。
岡本は米国ツアーで優勝を重ね、1987年には米国人以外で史上初の賞金女王に輝きます。その勇姿は米国メディアから〝逆輸入〟の形で報道され、スポーツファンは「世界で活躍するということはこういうことだ」と乱舞しました。
大学図書館でSports Illustrated誌はもちろん、TIME誌やNews Week誌といった一般誌でも岡本綾子が大きく取り上げられている特集記事を読んだ興奮は忘れることは出来ません。90年代以降何度も見たり聞いたりするフレーズもこのとき初めて目にしたものです。
「岡本綾子は日本が送り出した最高の輸出品だ」。
岡本は、野茂英雄やイチローらのまさしく先駆けだったのです。
一方、この間もボクシング界は団体と階級をいたずらに増殖させ、内部から腐り落ちていきます。それでも、80年代はボクシングの世界チャンピオン には一定の尊敬と名声が約束されていました。
しかし、90年代に入ると、とてつもなく巨大な〝外敵〟が出現します。
1993年にJリーグが誕生、1995年には野茂英雄が太平洋を渡ってしまいます。
彼らは「世界と戦うとはどういうことなのか」を岡本綾子よりも鮮烈に見せつけました。
それなのにボクシング界は、さらに団体と階級を増やし、毎年数え切れないほどの世界王者が日本のリングに上がって勝ったり負けたりを、相も変わらず繰り返していたのです。
もはや誰もが、使い古したテープから繰り返し聞かされる「世界チャンピオン」が欺瞞であることに気づいてしまいました。ボクシングの世界戦がテレビ中継されないということも、今では珍しいことではありません。
具志堅用高が倒れ、岡本綾子が羽ばたいた1981年から現在までの38年間で「最も重い日の丸を背負ったのは誰なのか?」。
岡本や野茂、イチロー、松井秀喜らにも国民の期待は重くのしかかっていましたが、彼らは純粋に競技を追求した野心家であり、日本代表とは少しミュアンスが違うので、ここでは独断で外します。
現実問題として野茂には「日の丸を背負って」とは真逆の「石もて追われた」側面もあり、松井も「今は裏切り者と言われるかもしれませんが…」とメジャー挑戦の会見で神妙に話しました。
いよいよ、本題です。
最も重い日の丸を背負ったのは誰なのか?

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