
ボクシングのビッグファイトのリングとして、マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)こそが、昔も今も最も由緒ある舞台であることは変わりようがありません。
〝The Mecca of Boxing〟を名乗れるのはMSGだけであり、MGMグランドでもT-mobile Arenaでもありえません。
約90年前、ニューヨークがボクシングの本場に定着した時代、MSGはポログラウンドやヤンキースタジアムと並ぶメガファイトの震源地でした。
ポログラウンドが1963年に閉鎖され、ヤンキースタジアムがボクシング興行から距離を置いてしまってからも、MSGは移転や改修を繰り返しながらも、このスポーツの聖地であり続けました。
ボクシングの本場が西海岸に移ろってからでさえ、MSGの特別な存在感は変わりません。
MGMグランドやカウボーイスタジアムなどいくつもの大舞台のリングに上がったマニー・パッキャオですら、ミゲール・コット対ジョシュア・クロッティ戦のリングサイドに座った第一声が「聞いていた通りの素晴らしい雰囲気だ。私もいつかここで戦いたい」でした。
この、「永遠の聖地」が特別なリングであることは135ポンド、ライト級においても際立っています。
その聖地で行われる世界ライト級戦の系譜に「ホルヘ・リナレスvsワシル・ロマチェンコ」が新たに加わることになるのです。
21世紀になってからはホルヘ・カサマヨルvsホセ・アルマンド・サンタクルス(2007年)、ブランドン・リオスvsジョン・マレー(2011年)に続く三度目の世界ライト級戦となりますが、かつてこのリングでは幾多のん名勝負が繰り広げられてきました。
リング誌6月号は、そんな名作の中から珠玉の10試合を紹介しています。
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1921年1月14日 王者ベニー・レナード vs リッチー・ミッチェル 第二戦。
4年前はミッチェルの地元ミルウォーキーで初戦、そのときはレナードの7ラウンドKO勝ち。舞台をニューヨークに移した〝ホーム&アウェイ〟の第二戦。
〝ゲットーの魔術師〟レナードが最初の2分間で三度のダウンを奪って勝負あり…しかし立ち上がったミッチェルの乾坤一擲の左フックで、今度は王者が痛烈にダウン。ダメージから回復したレナードは、さらに4つのダウンを追加して6ラウンドTKO勝利。
「リング上で死ぬなら本望」と語る生粋のファイター、レナードは引退後はレフェリーに転身。名裁きで名を馳せたが、1947年4月18日にレフェリング中に心臓発作を起こして帰らぬ人となった。
確かに〝ゲットーの魔術師〟は本望を全うしたのだ。
1935年5月10日 王者トニー・カンゾネリ vs ルー・アンバース 第一戦

オッズは13−5で若きアンバース。
2万人が詰めかけたフルハウスのMSGで躍動したのはカンゾネリ。タイミングの良いジャブを間断なく繰り出し、アンバースの攻撃を遮断、3ラウンドにはライフルのような右ストレートでダウンも奪う。
10ラウンドにローブローで減点されるも、最終15ラウンドに二度目のダウンを奪ったカンゾネリが14−1(取ったラウンドの数)の大差判定勝ちを収めた。
1936年9月3日 ルー・アンバース vs トニー・カンゾネリ 第二戦
前戦から15ヶ月あまり、アンバースは14連勝!で再戦に漕ぎ着けた。その間、カンゾネリも11連勝。しかし、前の年とは違った。アンバースはリベンジに燃え、カンゾネリは鋭いジャブを繰り出す足のバネを失っていた。
アンバースの攻撃にカンゾネリの顔面は腫れ上がり、12−3で判定勝ち。
1937年5月7日 ルー・アンバース vs トニー・カンゾネリ 第三戦
1勝1敗で迎えたラバーマッチ。
両者ともに、三度目の激突までに前回のような無敗の快進撃は出来なかった。アンバースはカンゾネリとの再戦直後にエディ・クールとジミー・マクラーニンに二連敗、ペドロ・モンタネスにも負け、ラバーマッチまでの9試合は5勝3敗1分。しかし、この9試合は全てノンタイトル戦だったため、アンバースは辛くも王座を死守していた。
カンゾネリもこの間、4試合しかリングに上がらず3勝1敗、ラバーマッチの直前の試合でマクラーニンに黒星を喫している。
試合はアンバースが優位に進め、カンゾネリは鼻を切り裂かれ、両目はシャッターを下ろした状態で15ラウンド終了。
判定は12−2−1でアンバース。カンゾネリは、この試合が最後の世界タイトルマッチとなった。

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