ワイアット・アープです。

伝説と呼ぶには物足りない、神話が生きていた時代の話です。

1950年代、米国でボクシングのステイタスが最高潮だった時代。世界ヘビー級チャンピオンの系譜は少年たちの暗記の練習でした。

The man who beat the man who beat the man 〜王者を名乗れるのは、王者を倒した者だけ。


チャンピオンシップ制度の根本基本の概念です。

決定戦など、王者が死んでしまったくらいしかあり得ません。負けてないのに王者が階級を変えたら、王者がタイトル返上、決定戦を行うしかありませんが、そんなことはレアケース。

そもそも、決定戦などは後付けの減量階級や団体分裂後の話で、議論する余地のないヘビー級王者がタイトル返上して、複数階級制覇に乗り出すーーーそんな異常事態はボクシングの地位がどん底まで失墜した現代でもあり得ません。

825x550

さて、そんな現代から100年以上も昔の話。

Lineal championの系譜は ベアナックルの王者からスライドした初代王者ジョン・ローレンス・サリバン、1892年9月7日にサリバンをジャブとフットワークを駆使して21ラウンドでKOしたジェームス・ジョン・コーベット。

「タイトル返上はありえない」のですが、大金を稼いでしばらく隠遁するというケースはありました。十分な金と名誉にありついた無敵のサリバンもまた、5年と7ヶ月ものブランクを作っていましたが、銀行員上がりのコーベットの挑戦を受けたのでした。

そして、サリバンに初黒星をつけた〝Gentleman Jim〟コーベットからタイトルを奪ったのがボブ・フィッツモンズでした。


43Dec


フィッツモンズがコーベットを得意のSolar Plexus blow(みぞおちパンチ)で沈めたのが、1897年3月17日でしたから、リング誌が創刊される25年も前。この画像は、1897年から56年も経った1943年12月号のリング誌です。

ヘッドライナーは「POST WAR OUTLOOK BRIGHT(戦後のボクシング界には明るい未来が待っている)」。

すでにジョー・ルイスが活躍、50年代にはロッキー・マルシアノ、60年代にはカシアス・クレイがリングに上がる未来が用意されているのですから、確かに、戦後のボクシング界には明るい未来が待っていました。

リング誌の予想が珍しく的中。こんなこともあるんです。

それにしても、「ボクシングの明るい未来」を語るときに半世紀以上も前の「コーベットvsフィッツモンズ」が表紙になるというのは、19世紀のボクシングが神話的に尊敬されていたということかもしれません。


Wyatt20Earp20Referee20Web


このフィッツモンズのコーベット戦から一つ前の試合、1896年12月2日に行われたトム・シャーキー戦が伝説の保安官ワイアット・アープが主審をつとめた〝世界ヘビー級タイトルマッチ〟です。

競馬と野球とボクシングが3大スポーツの時代は1960年代頃まで続き、世界ヘビー級チャンピオンの系譜はスポーツファンの父親から子供へ、暗記の練習教材になることもありました。

ジョンLサリバン〜ジェームスJコーベット〜ボブ・フィッツモンズ…この時代では3人まで、暗記の教材にもなりません。

そして、1987年3月17日にフィッツモンズがコーベットから世界タイトルを奪取したはずなのに、その4ヶ月前のシャーキー戦が「ワイアット・アープが裁いた世界ヘビー級タイトルマッチ」とされているのはどういうわけなのでしょう?

BoeRecにThis bout was promoted as for the World Heavyweight Title The ref's decision was hotly criticized.(この試合は世界ヘビー級タイトルマッチとして喧伝され、主審はその裁定を激しく非難された)とあります。

ボクシングは有力なプロモーターである英国貴族が作ったスポーツクラブなどが世界チャンピオンを認定するなど〝世界チャンピオン〟が複数存在することがありました。

しかし、現在とは違い「The man who beat the man who beat the man 〜王者を名乗れるのは、王者を倒した者だけ」というチャンピオンシップ制度の大原則を誰もが知っていた時代です。

王者を倒したコーベットが王者であることは、メディアやファンに支持されていました。

The man who beat the man who beat the man 〜王者を名乗れるのは、王者を倒した者だけ。その系譜(Line)に乗っていない王者などまやかし。Lineal championだけがchampionなのです。

フィッツモンズとシャーキーの試合は「世界ヘビー級タイトルマッチ」の看板を揚げていただけだったのです。



そしてまた、ワイアット・アープも虚飾満載の神話でした。

ワイアット・アープは神話のヒーローとして描かれていますが、彼が名声を得たのはその死後だったと言われています。

まだフロンティアが西海岸に到達していない時代、つまりは無法の時代に生きた保安官です。彼らと比べると現在のギャングは可愛いものかもしれません。

彼の死後に書かれた無数の伝記には「10 feet tall and bulletproof(身長10フィートで鋼の肉体は弾丸をも跳ね返した)」とありますが、そんなわけがありません。

ちなみに10フィートは304センチ。

人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアントでも7フィート4インチ(約224センチ)。やはり7フィート4インチで長身と言われるNBAなど、ワイアット・アープから見ると小人がちまちまするスモールワールドです。

マニフェスト・ディスティニー。神が定めた運命だからフロンティアを開拓し、原住民を皆殺しにするのは仕方がない。そこでは、原住民だけでなくヨーロッパで行き場を失い新大陸にやって来た移民たちも、反抗したり気に食わなければ殺されていました。

暴力だけが支配する時代です。

ボクシングファンも含めて、当時の市民たちの目から見たワイアット・アープは「きちんとした政府があれば牢屋に閉じ込めておくべき凶悪犯罪者」に映っていたでしょう。百歩譲って「必要悪」。

さて、1896年12月6日。カリフォルニア州サンフランシスコはメカニクス・パビリオン。

前日まで、不当な判定が下される懸念を強くしていたフィッツモンズ陣営は、主催者のJJブルームとジョン・ギブスが提案するレフェリーをことごとく拒否。

なんと、試合当日の朝になってもレフェリーが決まりませんでした…。