1950年代は、シュガー・レイ・ロビンソンが現代に連なる近代ボクシングの技術体系を完成させた時代です。
オリジナル8、世界チャンピオンが地球上に8人しかいなかった時代です。
現代では考えられないほど、人々の価値は一元的で、スポーツも競馬とボクシング、野球がメジャー。
日本でも大相撲と野球が人気でしたが、世界と頂点を争うボクシングは特別なステイタスを持っていました。
今から約70年前に、世界フライ級Undisputed champion 白井義男の一枚看板で後楽園球場と大阪ドームで10度もイベントをブチ上げたのです。
当時はインターネットなど影も形もなかった時代、極東のフライ級ボクサーに世界がどれほど興味を示していたのかわかりませんが、リング誌や英国ボクシングニューズ誌では毎月8つの階級の王者と10人の世界ランカーを紹介していました。
そんなメディアに触れているボクシングファンは、白井義男の名前を間違いなく知っていたでしょう。少なくとも、毎月目にして、日本とはどこにあるどういう国なのだろうかと思いを馳せていたでしょう。
世界王者は、今のようにほとんど無限に存在するわけではなく、8人の男の名前を覚えるだけなのですから。


1950年代、ボクシングが尊厳を持っていた時代に、メディアとマニアから最高評価を受けていたのがシュガー・レイ・ロビンソンでした。
メディアとマニア…つまり大多数のボクシングファン、いや当時はボクシングがメジャーだった時代ですからスポーツファンと大きく括っても良いでしょう、彼らが大きな関心を寄せていたのはボクシングではなく、ヘビー級でした。
1950年代のヘビー級…そうです、ロッキー・マルシアノです。
「マルシアノと同じ時代か、運が悪いな」というのは違います。
ボクシングの階級制が整った1920年代はジャック・デンプシー、30年代から40年代にかけてはジョー・ルイス、50年代はマルシアノ、60年代から70年代はモハメド・アリが君臨していたのです。
そして、彼らだけでなく、現代の複数階級制覇の世界チャンピオンなど足元にも及ばない人気を誇ったライバルたちが激戦を繰り広げて、生き残ったのが時代を代表する彼らでした。
1970年代まで、ボクシングとはヘビー級のことであり、ヘビー級とそれ以外の階級の間には歴然とした格差が横たわっていたのです。

NO TELEVISION テレビではやらないからクローズド・サーキットに見に来い!ボクシング産業は1950年代ですでにマニアの囲い込みという自殺行為に手を染めていたのでした。
ヘビー級が動くがごとく、ボクシングは動く。
そんな時代のど真ん中に現れたシュガー・レイ・ロビンソンに、メディアが贈ったのがパウンド・フォー・パウンド、「体重が同じならマルシアノよりもお前の方が強い」という言葉でした。
穿った見方をすると、それは弱者の言い訳。
当初、シュガー・レイ・ロビンソンを讃えるだけのPFPが、衰退一途のボクシング産業を救うマーケティングとして起用されたのは1980年代、アリがリングを去って、このスポーツが太陽を見失った時代のことでした。
そんなご都合主義は、エデル・ジョフレだけを指していた「黄金のバンタム」が、バンタム級がレベルが高いという誤った意味で流布されるようになったことに似ているかもしれません。
それまで、定期的にランキングされることなどありえなかったPFPに、リング誌が順位づけをして年間表彰するようになったのは1980年。
年間アワードにも組み込まれたBest Fighter Pollは、リング誌の慢性的な経営難が深刻化、2016年で37年に及ぶ歴史を閉じてしまいました。
現在の電子版によるPFPがスタートしたのは2010年、Yahooスポーツが経営難のリング誌と提携したタイミングでした。
Best Fighter Poll、PFP10傑は妄想に順位を付ける行為であり、別の角度から見るとシュガー・レイ・ロビンソンの専売特許の開放でした。

アリのいないヘビー級から目を逸らし、中量級の魅力を伝えるために再び用いられたPFPの主役に抜擢されたのが、もう1人のシュガー・レイというのもなかなかよく出来た物語でした。
オリジナル8、世界チャンピオンが地球上に8人しかいなかった時代です。
現代では考えられないほど、人々の価値は一元的で、スポーツも競馬とボクシング、野球がメジャー。
日本でも大相撲と野球が人気でしたが、世界と頂点を争うボクシングは特別なステイタスを持っていました。
今から約70年前に、世界フライ級Undisputed champion 白井義男の一枚看板で後楽園球場と大阪ドームで10度もイベントをブチ上げたのです。
当時はインターネットなど影も形もなかった時代、極東のフライ級ボクサーに世界がどれほど興味を示していたのかわかりませんが、リング誌や英国ボクシングニューズ誌では毎月8つの階級の王者と10人の世界ランカーを紹介していました。
そんなメディアに触れているボクシングファンは、白井義男の名前を間違いなく知っていたでしょう。少なくとも、毎月目にして、日本とはどこにあるどういう国なのだろうかと思いを馳せていたでしょう。
世界王者は、今のようにほとんど無限に存在するわけではなく、8人の男の名前を覚えるだけなのですから。


1950年代、ボクシングが尊厳を持っていた時代に、メディアとマニアから最高評価を受けていたのがシュガー・レイ・ロビンソンでした。
メディアとマニア…つまり大多数のボクシングファン、いや当時はボクシングがメジャーだった時代ですからスポーツファンと大きく括っても良いでしょう、彼らが大きな関心を寄せていたのはボクシングではなく、ヘビー級でした。
1950年代のヘビー級…そうです、ロッキー・マルシアノです。
「マルシアノと同じ時代か、運が悪いな」というのは違います。
ボクシングの階級制が整った1920年代はジャック・デンプシー、30年代から40年代にかけてはジョー・ルイス、50年代はマルシアノ、60年代から70年代はモハメド・アリが君臨していたのです。
そして、彼らだけでなく、現代の複数階級制覇の世界チャンピオンなど足元にも及ばない人気を誇ったライバルたちが激戦を繰り広げて、生き残ったのが時代を代表する彼らでした。
1970年代まで、ボクシングとはヘビー級のことであり、ヘビー級とそれ以外の階級の間には歴然とした格差が横たわっていたのです。

NO TELEVISION テレビではやらないからクローズド・サーキットに見に来い!ボクシング産業は1950年代ですでにマニアの囲い込みという自殺行為に手を染めていたのでした。
ヘビー級が動くがごとく、ボクシングは動く。
そんな時代のど真ん中に現れたシュガー・レイ・ロビンソンに、メディアが贈ったのがパウンド・フォー・パウンド、「体重が同じならマルシアノよりもお前の方が強い」という言葉でした。
穿った見方をすると、それは弱者の言い訳。
当初、シュガー・レイ・ロビンソンを讃えるだけのPFPが、衰退一途のボクシング産業を救うマーケティングとして起用されたのは1980年代、アリがリングを去って、このスポーツが太陽を見失った時代のことでした。
そんなご都合主義は、エデル・ジョフレだけを指していた「黄金のバンタム」が、バンタム級がレベルが高いという誤った意味で流布されるようになったことに似ているかもしれません。
それまで、定期的にランキングされることなどありえなかったPFPに、リング誌が順位づけをして年間表彰するようになったのは1980年。
年間アワードにも組み込まれたBest Fighter Pollは、リング誌の慢性的な経営難が深刻化、2016年で37年に及ぶ歴史を閉じてしまいました。
現在の電子版によるPFPがスタートしたのは2010年、Yahooスポーツが経営難のリング誌と提携したタイミングでした。
Best Fighter Poll、PFP10傑は妄想に順位を付ける行為であり、別の角度から見るとシュガー・レイ・ロビンソンの専売特許の開放でした。

アリのいないヘビー級から目を逸らし、中量級の魅力を伝えるために再び用いられたPFPの主役に抜擢されたのが、もう1人のシュガー・レイというのもなかなかよく出来た物語でした。


コメント
コメント一覧 (2)
ロマを評する時に速い(not早い)と評する人はそんな多くない 何故ならどう見てもリゴンドーやデービスの方が速いから 彼は上手いと評価される
なのに同じ型を持った、ダマトの方針が結果の半分を占めそうなタイソンは速いと評される
まぁ速いの事実ですがそのせいでヘビーが遅いというイメージが定着したように思います
そのせいでpfpが軽量級がヘビーに行っても速いままだとかタイソンはフェザー並みの速さだとか果てはパックは階級をあげてもスピードが落ちないのがすごいとかみたいな滅茶苦茶な評価になってしまったわけです
井上はsバンタムで既にフィジカルアドバンテージを失いましたがスピードは変わらず
なら今の活躍は何故かと言えばディフェンスと誘導が上手いからです
そういう指標で一元化すればpfpは十分実用的だと思います
だって上手かったロビンソンのスタイルは現代まで影響を与えてるわけですからね
フシ穴の眼
が
しました
「この選手とこの選手がナチュラルに同じ階級としてリング上で戦ったら……パワーとタフネスは偏差値に換算するけどスピードはそのままで良いよな………………
うん!ヘビー級王者が優れた中量級、軽量級王者に勝てる映像が思い浮かばない!よっしゃぁ彼らのが優れてるぅぅ!!」
ですもんね。
美味いロジックを考え出したものです。
フシ穴の眼
が
しました