2000年代になってWBOが主要団体として認められると、全てのベルトを統一して他の誰にも王者を名乗らせないUndisputed Championになるのはますます難しくなったと思われました。

認定団体は当たり前の話、商売がたきの関係です。基本的に、それぞれの団体が独自のランキングと独自の王者を抱えているのです。 

井上尚弥がバンタム級で Undisputed Championになった相手は、WBO王者ポール・バトラーでしたが、彼に4つのタイトルの一つを持つに相応しい実力があると考えている人は井上信者ですら皆無だったでしょう。

それどころか、世界トップ10に入る実力すらも怪しい、井上にとってベルトを持っていなければ 戦う価値の無い相手でした。

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「ベルトを持っていなければ戦う価値のない相手」…つまり「ベルトを持っていれば 戦う価値がある」というロジックは普遍的に成立するでしょうか?

個人的には「Undisputed Championには特別な価値がある」と考えてきました。 

しかし、Undisputed Champion になっても君臨することなく、すぐにタイトルを返上したり、剥奪される現実を鑑みると、タイトルの価値の暴落ぶりには改めて驚かされてしまいます。

 「ベルトを持っていなければ戦う価値のない相手」と試合するのは時間の無駄、「ベルトの有無に関わらず戦う価値のある相手」と戦うことが、4団体時代により大きなレガシーを残すために必要なのではないでしょうか。

バンタム級のUndisputed Champion、井上尚弥に勝ってUndisputed Championになることには大きな意味、価値があると思います。

しかし、散逸したベルトをノニト・ドネアやエマヌエル・ロドリゲス、ジェイソン・モロニー、井上拓真らが争ってUndisputed Championになったとして、そんな認定団体を喜ばせるだけの4つのベルトのスクラップ&ビルドを繰り返して生まれるUndisputed Championにどこまでの意味があるでしょうか?

ジョシュ・テイラーのUndisputed Championにしても、テレンス・クロフォードに勝って獲得したものならもっと価値があったはずですが、君臨しないUndisputed Championの価値をどう考えれば良いのでしょうか?

Undisputed Championは君臨してこそ意味があります。それを言い出すと、世界王者と名が付く限りはどんな王者でも君臨してこそ意味があります。

結局、マニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーの「メガファイト路線」が正解だったという、4団体時代の振り出しに戻ってしまうのです。

日本のボクシングシーンで大きな期待を集める井上にしても、ファンの多くはベルトの有無に関係ないビッグネームとの冒険的なマッチアップに挑んでくれる方がワクワクするはずです。

4つの団体が好き勝手にランキングを作成、17階級で我田引水な王者を認定している現状では、バトラーのような世界基準から外れた、井上が相手にする価値のない〝世界王者〟も数多く存在します。 

もちろん、ボクサーにはその実力やキャリアによって求めるべきものは違います。

現時点の那須川天心は〝バトラー〟を倒す必要があるでしょう。 

その意味で、WBOジュニアバンタム級タイトルを返上した井岡一翔は興味深い存在です。

「中谷潤人との防衛戦をクリアしてからファン・フランシスコ・エストラーダに勝つのが最も高いレガシーを築ける」というのは、一つの真理です。

ただ、一寸先がどうなるかわからないボクシングビジネスに生きる34歳の軽量級ボクサーがキャリアの総仕上げを逆算する段階にあるのは間違いありません。

40年前のように世界タイトルにまだ価値があった時代なら「我々の頃は体重超過でタイトルを失うとか、自分から返上するとかは考えにくかった、次にいつチャンスが来るか、もしかしたらもうチャンスが来ないことだってあるわけですから」 という浜田剛史の言葉を聞くまでもなく、井岡はタイトルを返上しなかったでしょう。

「王者として指名挑戦者(中谷)と防衛戦を行うのは当然」という姿勢を見せていた井岡が、中谷戦を逃げたとは考えられません。

田中恒成との指名試合を「メリットがない」と切り捨てながら結局は受けて立った井岡が、最終ステージを迎えたキャリアやジョシュア・フランコとの再戦、エストラーダとの交渉、中谷との指名試合の期限などさまざまな事情を天秤にかけて、当たり前の選択をしただけです。

世界タイトルよりもエストラーダの方が価値がある、ということです。