かつて白井義男は後楽園球場でメガファイトを繰り広げ、ファイティング原田は巨人・大鵬・卵焼きと言われたプロ野球や大相撲を寄せ付けない視聴率をマーク。
具志堅用高も国民栄誉賞が議論されるなど、プロボクシングの世界は「国民的英雄」と呼ぶに相応しい人材を1980年初頭まで 輩出してきました。
ボクシングを離れても、長嶋茂雄や王貞治は視聴率こそボクシングの世界チャンピオンには及ばなかったものの、原田らに勝るとも劣らない存在でした。
しかし、国民的英雄は1980年を最終シーズンに王貞治がフィールドを去り、具志堅用高が1981年にグローブを吊るしたときから誕生していないように、個人的には思えます。
昨年のサッカーW杯、今日、最高の形でフィナーレを迎えたサムライジャパンのワールド・ベースボール・クラシックは確かに日本列島を沸騰させた国民的行事でした。
今年はラグビーW杯も控え、やはり大きな盛り上がりを見せるでしょう。優勝にチャージするような戦いをみせるなら、サッカーや野球を超える盛り上がりを見せるかもしれません。
しかし、それらは国民的行事であったかもしれませんが、国民的英雄はどこにも見えませんでした。
ボクシングの世界で語っても、辰吉丈一郎や亀田興毅は原田と比較できる視聴率を稼いでいました。
それでも…辰吉や亀田は「国民的英雄」とはいえません。
サッカーやラグビーのスター選手、かつての野茂やイチロー、高橋尚子ら五輪金メダリストですら本当の「国民的英雄」とは言い切れません。
彼らへの関心は性急なだけでなく、一時的・断片的で、王貞治や具志堅用高にあった持続性、今風にいえばSustainabilityが薄いのです。
サッカーやラグビーのW杯のスターと比べると、イチローは「日本史上最高アスリート」として長い間、尊敬されてきたじゃないか、という反論もあるかもしれません。
もちろん、あくまで私の肌感覚です。
そして、80年代初頭を最後に「国民的英雄」という愛すべき神は絶滅してしまったと思い込んでいました。
世の中が豊かになり、多様化が進み、選択肢が無限に増える中で、一つのスポーツの一選手が国民的英雄になる時代は終わったと思いました。
引退後のレノックス・ルイスが取材でフィリピンを訪問、マニー・パッキャオが神の如く敬われていることに衝撃を受けていました。そのドキュメンタリーを見た私は「それは発展途上国のフィリピンだから」と思っていました。
先進国、富裕国には神など存在しない。
フリードリヒ・ニーチェに教えられるまでもなく、私たちの時代に、この日本で神、国民的英雄などとっくの昔に死んでしまったと確信していました。
それが、揺らいだのは一昨年の東京五輪のことでした。
そして、今日。有楽町の駅前で配布される号外に群がる人々、あちこちで湧き起こる「ニッポンコール」 や「万歳三唱」。
そりゃ、日露戦争のときの提灯行列のフィーバーに比べたらおとなしいのかもしれませんが、21世紀の東京のど真ん中です。
不思議な気分になりました。
2年前の東京2020(2021年開催) を思い出しました。あのオリンピックに、彼は出場してませんでしたが、すでにあのとき、彼は国民的英雄だったのかもしれません。
具志堅用高も国民栄誉賞が議論されるなど、プロボクシングの世界は「国民的英雄」と呼ぶに相応しい人材を1980年初頭まで 輩出してきました。
ボクシングを離れても、長嶋茂雄や王貞治は視聴率こそボクシングの世界チャンピオンには及ばなかったものの、原田らに勝るとも劣らない存在でした。
しかし、国民的英雄は1980年を最終シーズンに王貞治がフィールドを去り、具志堅用高が1981年にグローブを吊るしたときから誕生していないように、個人的には思えます。
昨年のサッカーW杯、今日、最高の形でフィナーレを迎えたサムライジャパンのワールド・ベースボール・クラシックは確かに日本列島を沸騰させた国民的行事でした。
今年はラグビーW杯も控え、やはり大きな盛り上がりを見せるでしょう。優勝にチャージするような戦いをみせるなら、サッカーや野球を超える盛り上がりを見せるかもしれません。
しかし、それらは国民的行事であったかもしれませんが、国民的英雄はどこにも見えませんでした。
ボクシングの世界で語っても、辰吉丈一郎や亀田興毅は原田と比較できる視聴率を稼いでいました。
それでも…辰吉や亀田は「国民的英雄」とはいえません。
サッカーやラグビーのスター選手、かつての野茂やイチロー、高橋尚子ら五輪金メダリストですら本当の「国民的英雄」とは言い切れません。
彼らへの関心は性急なだけでなく、一時的・断片的で、王貞治や具志堅用高にあった持続性、今風にいえばSustainabilityが薄いのです。
サッカーやラグビーのW杯のスターと比べると、イチローは「日本史上最高アスリート」として長い間、尊敬されてきたじゃないか、という反論もあるかもしれません。
もちろん、あくまで私の肌感覚です。
そして、80年代初頭を最後に「国民的英雄」という愛すべき神は絶滅してしまったと思い込んでいました。
世の中が豊かになり、多様化が進み、選択肢が無限に増える中で、一つのスポーツの一選手が国民的英雄になる時代は終わったと思いました。
引退後のレノックス・ルイスが取材でフィリピンを訪問、マニー・パッキャオが神の如く敬われていることに衝撃を受けていました。そのドキュメンタリーを見た私は「それは発展途上国のフィリピンだから」と思っていました。
先進国、富裕国には神など存在しない。
フリードリヒ・ニーチェに教えられるまでもなく、私たちの時代に、この日本で神、国民的英雄などとっくの昔に死んでしまったと確信していました。
それが、揺らいだのは一昨年の東京五輪のことでした。
そして、今日。有楽町の駅前で配布される号外に群がる人々、あちこちで湧き起こる「ニッポンコール」 や「万歳三唱」。
そりゃ、日露戦争のときの提灯行列のフィーバーに比べたらおとなしいのかもしれませんが、21世紀の東京のど真ん中です。
不思議な気分になりました。
2年前の東京2020(2021年開催) を思い出しました。あのオリンピックに、彼は出場してませんでしたが、すでにあのとき、彼は国民的英雄だったのかもしれません。

コメント
コメント一覧 (1)
100年経っても冷めないかも…
フシ穴の眼
が
しました