今夜は、木挽町でお酒を飲みながら…。
それにしても「アードベッグ」ってなんでこんなに、酔っ払いを狂わせるのでしょうか?
それにしても「アードベッグ」ってなんでこんなに、酔っ払いを狂わせるのでしょうか?
私が走っていた時代の「東京国際マラソン」は消滅して、今は国際が外れて「東京マラソン」。素晴らしい進化です。
しかし、今夜は80年代後半の思い出をノスタルディックに、メランコリックに、センチメンタルに語らせてくれ〜。
私がボクシングに興味を持ち始めたのは、1980年代。
ボクシング抜きにしても、最高に面白い時代でした。
ボクシング抜きにしても、最高に面白い時代でした。
2団体15階級時代から、IBFとWBOが新たに〝主要〟団体に加わり、ストロー級とスーパーミドル級が水増しされ、現在の4団体17階級時代が出来上がってしまいました。
しかし、JBCはまだWBAとWBCの2団体しか受け入れず、そもそも国内ランキングはストロー級からミドル級までの13階級しかありません。
世界王者が13階級×2団体=26人しかいなかった時代です。
日本王者も13人。地域タイトルも事実上、東洋太平洋(OPBF)しかなかった時代です。
当時は「ボクシングって、いつからこんなにわかりにくくなったんだ?」という声をよく聞きましたが、今から考えると、とんでもなくわかりやすい時代でした…。
前置きが長くなる前に、高橋直人です。高橋ナオトではありません。
私が後楽園ホールによく通っていた頃、1980年代後半。
ボクシングがボクシングだった時代の、あの薄汚い後楽園ホールのリングで最も眩しいスポットライトを浴びていたのは、間違いなく高橋直人でした。
大学から丸ノ内線で一本、後楽園駅から水道橋へ。
東京ドームの巨人戦や後楽園ホールのボクシングの試合のチケットを振って「券あるよー」と声をあげるダフ屋が何人もいました。
そんなダフ屋のおっちゃんは、私と同年輩の若者カップルやらなんやらいっぱい歩いているのに、いつもなぜか絶対、私にだけ「安くしとくよ」と擦り寄ってくるのでした。
そういえば高校時代、野球部のチームメイトの多くが女子にモテていたのに、私は全く見向きもされませんでした。上京して後楽園・水道橋近辺のダフ屋にアイドル的にモテモテになったとき、「神様って、こんな感じでツジツマを合わせるのか」と、苦笑いしながら考えたのを思い出します。
酔いが深まるとチャチャッと書けなくなるのが、少しもどかしいかな…いや、あちこちに思いが飛ぶのは、書いてる方は 面白いです。そう、「チャチャッと」で、阿佐ヶ谷にあった「茶々」というカラオケスナックのことを思い出しました。
そんな話はさておき、ここでは「高橋直人」。
今では、高橋直人も高橋ナオトも知らないボクシングファンが多いのかもしれません。
そんな方々に、1980年代後半という時代で「世界王者よりも人気があるボクサーがいた」と言っても、信じてもらえないかもしれません。
でもね、いたんです。
あの当時、ボクシングファンが「高橋直人」に夢見ていた未来は、まさに今の「井上尚弥」でした。
つまりは、最強のバンタム。
しかし、高橋直人は「逆転の貴公子」と同義語の「高橋ナオト」となり、後楽園ホールはもちろん、東京ドームまでも熱狂させました。
高橋直人は「高橋ナオト」になることは出来ましたが、ファンが期待した「井上尚弥」になることは、ついに叶いませんでした。
1987年の高橋直人と、2023年の井上尚弥。時系列を考えると、無茶苦茶な話です。
高橋直人が、井上尚弥を目指したわけなどあり得ません。
しかし、あの当時の後楽園ホールでボクシングファンが高橋直人に夢見た未来は、まさに「井上尚弥」だったのです。
あり得ない時系列ですが「『井上尚弥』になれなかった 『高橋直人』と『高橋ナオト』」の、お話です。


コメント
コメント一覧 (4)
懐かしいですね。いい時代でした。
フシ穴の眼
が
しました
懐かしいですね。いい時代でした。
フシ穴の眼
が
しました
「はじめの一歩」作者の森川ジョージ氏本人談でボクシング漫画を編集者に見せた時は「こんな大逆転の連続嘘くさ過ぎるよ」と難色を示されたが高橋ナオトの試合を見せて連載OKを勝ち取ったというのも凄い。
フシ穴の眼
が
しました
90年代前半でした!
好きな選手は和製デュラン坂本博之で
良くホールに見に行きました。
高橋直人はそれより少し前の世代なので
生で試合は見た事はなかったです!
この時代はまだ日本王座、東洋王座に価値
があった時代ですね。
阿部会長は相当無茶苦茶な人だった見たい
で高橋直人も色々大変だったそうですね。
マーク堀越戦、ノリジョッキージム戦の逆転
勝利、世界タイトルに届かす日本2階級王者
で終わったが記録より記憶に残る選手でし
たね。
フシ穴の眼
が
しました