海外のビッグファイトは、試合まで徐々にボルテージを高めながら盛り上げてゆきます。

フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、カネロ・アルバレスの試合は、そのほとんどが週末のラスベガスで行われ、当日に向けて複数の記者会見を行い、全米の大都市を巡ってメジャーリーグで始球式を行ったりするプロモーショナルツアーも展開されます。

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日本の場合は興行規模が小さい軽量級が主流のため、プロモーショナルツアーや、対戦相手を来日させての記者会見はまずありません。

それでも、ミドル級の村田諒太の防衛戦の相手は試合決定発表の会見でも来日していたように、人気階級になると明らかに潮目が変わります。

そして、いよいよファイトウィークになると、両者が会場入り、ファンもラスベガス入りして現地はボクシングで盛り上がるのです。



いよいよ、井上尚弥のUndisputed championshipが、ファイトウィークに突入しました。

しかし、土日またぎの〝ファイトウィーク〟は違和感があって、盛り上がりに欠けるような気がします。

カジノ&リゾートが存在しない日本では、サイトフィー(招致料)などありえませんから、会場費も興行側負担になります。

このことが、会場費の安い大田区総合体育館や、ウィークデーでの開催が増えている一因です。

また、ウィークデー開催には、週末に行われるメジャースポーツとのバッティングを回避でき、露出度・注目度が上がる効果も期待出来ます。



「MGMグランドガーデンアリーナでメインを張る」と語っていた井上尚弥の夢は、無惨にも引き裂かれてしまいました。

最初から分かりきっていた〝惨敗〟です。

米国では軽量級に大きな需要がなく、外国人のバンタム級選手に大会場のメインが用意されることは、まず考えられません。

ライト級のワシル・ロマチェンコや、ミドル級のゲンナジー・ゴロフキンでさえ、単体ではビッグファイトを組めないのが現実です。

もし、彼らがメキシカンだったなら、全く違う待遇を受けていたのは間違いありません。



この10年で軽量級にもかかわらず、例外的に〝それ〟が用意されたのは、レオ・サンタクルスが絡んだフェザー級の世界タイトルマッチ、アブネル・マレス戦(ステーブルズセンター)、カール・フランプトン戦(バークレイズセンター・MGMグランドガーデンアリーナ)でした。

サンタクルスはもちろん、マレスやフランプトンが軽量級としては傑出した人気者だったことは、今更説明は要らないでしょう。

そんな軽量級では、メキシカン絡みの超ピッグネーム同士が激突する段になって、フェザー級になってようやく〝それ〟が用意されるのです。

バンタム級の井上vsポール・バトラーなんて興味が持たれない、というか、それ以前の問題で誰も知らないでしょう。

それは、バトラーがスティーブン・フルトンになろうが、ムロジョン・アフマダリエフになろうが変わりません。

もちろん、評価が高いフルトンやアフマダリエフを倒せば専門家とマニアの評価は跳ね上がり、井上も2年以上もPFPキングに君臨したローマン・ゴンサレスのような存在になれるかもしれません。

しかし、軽量級である限り、米国で日本以上の注目や報酬は期待出来ません。




その日本で、軽量級の素晴らしさをどう見せていくのか?どう伝えていくのか?

軽量級のボクサーでは、サッカーや野球のスター選手のように、W杯や海外の最高峰リーグで戦い、米国や世界の注目を集めることは出来ません。

そもそも、ボクシングでは人気階級といってもマイナースポーツの中での人気階級という話で、ウェルター級やヘビー級の王者になっても世界的な名声を得ることは出来ません。



有料ネット配信と平日開催は、ビジネスとしては正解です。

ただし、ボクシング界全体のことを考えるなら、米国と同じ一部のマニアに支えられるマイナースポーツへの道、まっしぐら。

ネット配信にしても、井上の報酬(日本経済新聞によると2億円を超える)に見合うだけの視聴料が集まるとは思えません。

赤字覚悟の実験でしょう。

もし〝実験結果〟が芳しくなかったら、Amazonプライムのように様子見から撤退の方向に向かうかもしれません。

そうなったときに、地上波テレビがまた振り向いてくれるでしょうか?




大谷翔平やサッカーW杯で日本人が興奮する構図には「米国や世界が刮目している」という〝逆輸入報道〟が欠かせません。

BBCやCNN、ニューヨークタイムスなどの一般メディアまでが大きく記事にしてくれることが、世界と戦っているという興奮のスパイスになるのです。

そんなスパイスが全く期待できないボクシングの軽量級が、日本国内ですら地下に潜ってしまって、本当に良いのでしょうか…?

軽量級が世界だけでなく、日本でも無視される、そんな暗黒の未来に踏み出しているというのは考え過ぎでしょうか?